執筆者 | 渡辺 純子 (京都大学) |
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研究プロジェクト | 経済産業政策の歴史的考察―国際的な視点から― |
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。
政策史・政策評価プログラム (第三期:2011〜2015年度)
「経済産業政策の歴史的考察―国際的な視点から―」プロジェクト
本稿は、戦後、通産省が実施してきた「産業調整政策」といわれる諸政策について、歴史的に振り返り、それが1990年代から2000年代に至る世紀転換期(2001年の省庁再編により通産省が経産省へと改組された時期とも重なる)に終わりを迎えたことの意義や影響について考察している。
「産業調整政策」は、定義それ自体が複雑で困難な面があるが、たとえば「繊維工業設備臨時措置法」(1956年)、「石炭鉱業合理化臨時措置法」(1955年)、「産炭地域振興臨時措置法」(1961年)、「特定不況産業安定臨時措置法」(1978年)、「特定不況業種離職者臨時措置法」(1977年)、「特定不況地域中小企業対策臨時措置法(不況地域法)」、「特定不況地域離職者臨時措置法」(いずれも1978年)、「特定産業構造改善臨時措置法」(1983年)、「産業構造転換円滑化臨時措置法」(1987年)といった法律を根拠として実施されてきた諸政策のことを指している。
これらは、日本の戦後復興を支えたがその後衰退に向かった繊維産業や石炭鉱業、オイルショックなどの影響で構造不況に陥ったアルミ製錬・石油化学等の基礎素材産業など、いわゆる「構造不況業種」が抱える困難に対して、政府・通産省がさまざまな支援を図るものである。
その究極的な目的は、日本の国際競争力に対応した産業構造の転換を進め、日本経済を安定成長の軌道に乗せることにある。この中で構造不況業種のリストラクチャリングがスムーズに進むよう、業界や企業に対する支援(業界・企業再編のための環境整備)のほか、離職者対策や企業の撤退により疲弊に苦しむ地域への対策も実施されていた。現時点で振り返ってみれば、構造不況業種に限定はされるものの、労働者や地域に配慮した政策が数多く存在し、失業の増大など大きな社会不安を招くことは一応回避されてきたといえる。
しかし、1990年代後半以降、この種の政策は原則として打ち切りとなり、企業や労働者の自助努力がより重視されるようになった。企業に対する政策の一部は、たとえば「産業再生政策」として形を変えて存続しており、また特定の産業・企業については経産省が再生に関与することもある一方で、労働面については、この間、労働市場の規制緩和が進んだこともあり、一部の層は非正規化や失業の困難に直面し、政策的支援が十分に行き届いていない部分もある。
戦後の日本で産業調整政策が実施されてきたのは、それなりの時代背景や条件があったからであり、1990年代後半以降は経済環境が異なるので、そのままの形で継続することは不可能である。しかし、日本経済が再生を遂げるためには、長期的・総合的な視点が必要であり、そうした意味では、通産省やその他の関連官庁の政策がかつて果たしてきた産業調整における摩擦回避の役割にも再評価の目を向け、バランスのとれた政策立案が必要とされている。