執筆者 | 濱中 淳子 (大学入試センター) |
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研究プロジェクト | 労働市場制度改革 |
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。
人的資本プログラム (第三期:2011〜2015年度)
「労働市場制度改革」プロジェクト
日本の労働市場において、大学教育は役に立たないものとして認識されてきた。「大学で扱っている知」と「仕事で用いる知」の乖離を指摘する声は後を絶たず、大学改革の必要性も繰り返し訴えられている。しかし、この「大学教育無効説」とでも呼べる言説については、その妥当性について疑問を投げかけることもできるはずである。すなわち、大学教育は実態として役立っているにもかかわらず、役立っていないと語られているにすぎない可能性もある。
こうした観点から、本稿は、企業関係者側のまなざしに注目し、とりわけ文系領域の教育をめぐる現時点での評価のありようとその背景について検討を加えた。その作業から得られる知見は、学歴や大学教育の効用を考察するという学術的な意味合いにおいても、そしてさらに大学と企業の関係を見直す道筋を立てるという政策的・実践的課題の文脈においても、大きなインプリケーションを提供してくれると判断されるからだ。
利用したのは、2015年2月に事務系総合職採用面接担当者を対象に実施した質問紙調査のデータである。ここ3年間に、事務系総合職の採用面接を経験したことがある企業関係者に対して、「勤務先の特性」や「求めている人材像」「面接現場の状況」ならびに「回答者自身の面接経験ならびに学校経験」を尋ねた。回答数は1100であるが、検証の結果、主な知見として次のものが得られた(【1】については図1、【2】〜【4】については図2を参照)。【1】専門の学習・研究が役に立つかについての意見はばらついており、その意義を評価している者は少なくないというのが現状である、【2】ただし、学習・研究への評価が低いのは、大企業といった発言に影響力があるところの関係者に多い、【3】新事業への参加や業績不振などの苦境を経験することは、大学時代の意義を認識することにつながるが、必ずしも学習・研究の評価を大きく高めるものになっているわけではない(学習・研究のみならず、大学時代のサークル・体育会での活動やアルバイトの経験にも価値を見出すようになる)、【4】面接担当者自身の経験が及ぼす影響も看過できるものではなく、自らが大学時代に意欲的に学習に取り組んでいなければ、学習を役立つものとして認識することは難しくなる。
さらに分析からは、大学時代の学習・研究に意義を見出している場合でも、専門に対する理解不足の問題から、面接場面で学習のことを十分に取り上げられないケースがあることがうかがえ、このように大学教育無効説には企業側の事情も大きく絡んでいることが示唆された。
こうした結果は、大学教育無効説が企業関係者の状況も踏まえながら理解されるべきものであることを示唆している。大学教育の内容自体にいまだ問題がある可能性は否めない。しかしながら企業側の評価にも危うい側面はあり、置かれている環境や面接者自身の個人的な経験に大きく左右されながら言説が構築されているところがあると見受けられる。
大学と企業の関係をいかに構築していくか。この問題を吟味するにあたっては、すでに構築されている言説を疑うといった観点も含む、多面的な視点を設定する必要があると思われる。