ノンテクニカルサマリー

特許権の権利範囲画定への特許審査の貢献:日本の特許データに基づく検証

執筆者 岡田 吉美 (一橋大学)/内藤 裕介 (一橋大学)/長岡 貞男 (ファカルティフェロー)
研究プロジェクト 産業のイノベーション能力とその制度インフラの研究
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

イノベーションプログラム (第四期:2016〜2019年度)
「産業のイノベーション能力とその制度インフラの研究」プロジェクト

1.問題意識

特許権の権利範囲の広さが、出願された発明の技術水準に対する貢献に見合ったものになっているということは、特許制度がイノベーションを促進するための最も重要な要件の1つである。特許権者はできる限り広い権利範囲を設定しようとするため、特許権の権利範囲を適正な範囲に縮減することは特許審査の重要な役割である。本研究は、このような特許審査の役割に関する初の本格的な実証研究である。

2.分析手法

本研究は、権利範囲の計測手法として、次のことを特徴としている。第1に、特許権の権利範囲は各請求項の記述により特定されているところ、通常、第一請求項が最も広い概念範囲を有していること、および、請求項の記述の長さは権利範囲を限定する要素の数と正の相関があるから権利範囲の広さと負の相関があることに着目し、特許権の権利範囲の広さを請求項1の文字数の逆数で計測した。第2に、特許公報の第一請求項と公開公報の第一請求項を比較することにより、特許になった出願の審査の結果を1)権利範囲が狭くなったもの(記述が長くなったもの)、2)当初の権利範囲で特許が設定登録されたもの(記述の長さが変化しなかったもの)および3)「権利範囲が広くなったもの」(記述が短くなったもの)に分類した。なお「権利範囲が広くなったもの」は、請求項の記載における選択肢の削除などにより記述が短くなり、権利範囲が実際は狭くなったものも含まれる。第3に、特許権者(出願人)は、特許明細書で当該発明の先行技術を開示するところ、その開示の質の計測手法として、審査官が当該出願の審査において引用した全先行技術のうち特許権者が特許明細書で予め開示した先行技術の割合を用いた。第4に、発明を物の発明と方法の発明に自動仕分けし、大部分を占める物の発明について分析を行った。

1994年の1月から2002年8月に出願日を有し、NISTEP企業名辞書に掲載された者が特許権者となっている特許を抽出し(共有特許および分割出願を除く)、特許権者の情報の他、特許分類、公開公報の請求項1の文字数、特許公報の請求項1の文字数、請求項数、発明者数、発明者前方引用数、米国特許ファミリーの存在の有無、当該特許出願に基づく分割出願の有無のデータを有するデータベースを構築した。なお、分析対象サンプルからは化学構造式などが権利範囲特定において重要な化学、医薬・医療の分野を除いた。

3.分析結果

特許出願の審査の結果として、成立した特許権の実に約3分の2は、出願当初の権利範囲よりも縮減した権利範囲で特許権が設定されていた(表1参照)。さらに、特許出願人が当初広い権利範囲を請求した場合には、審査の結果として縮減された出願の割合および縮減の程度はともに増大した(図1参照)。また、操作変数法によって内生性を除去した回帰分析の結果、特許権者が明細書中で開示した先行技術の質が高い場合には(この場合、当初の権利は先行技術とより整合的になっていると考えられる)、権利範囲が縮減された出願の割合および縮減の程度はともに減少する。これらの事実は、適正な権利範囲に設定するという特許審査の役割が非常に大きいことを示している。

また、回帰分析の結果、重要な発明(発明者数、出願人前方引用数、米国特許の有無で計測)ほど権利範囲が縮減された出願の割合は増大していることが判明した。このことは、審査官は時間的制約がある中で過剰な権利範囲の設定に伴う経済的損失を効果的に減少させるために時間を効率的に配分するという、本研究の特許審査の経済モデルに整合している(図2において、MBは過剰な権利を縮減させることによる審査官が認識している経済効果、MCはそのための限界費用である)。

表1:特許審査の結果
技術分野 特許 特許の内訳 拒絶等
「広くなった」 変化せず 狭くなった
情報・通信 50.9% 5.2% 25.5% 69.3% 49.1%
電気・電子 55.5% 4.5% 26.4% 69.2% 44.5%
機械 58.9% 3.1% 27.0% 69.9% 41.1%
その他 59.6% 3.0% 31.9% 65.1% 40.4%
合計 55.9% 4.0% 27.4% 68.6% 44.1%
図1:当初の権利範囲の広さと特許審査の結果
図1:当初の権利範囲の広さと特許審査の結果
図2:特許審査の経済モデル
図2:特許審査の経済モデル

4.政策的含意

特許出願人による先行技術の開示の質の向上は、補正なしで特許になる割合の増加や補正の程度の減少など、審査のプロセスとその結果に対して重要な影響を与えている。先行技術調査環境の整備など特許出願人による先行技術の調査の質の向上を促すインフラ整備は、クレーム設計を含む出願の質の向上をもたらし、早期の権利の確定や特許庁の審査負担の軽減のために重要である。また、審査官は時間の制約を受けていることから、限られた時間の中で適切な先行技術を効果的にサーチと分析することを支援する政策(各国特許庁間の協力や第三者による先行技術提供の活用など)も重要である。審査官が時間の制約の中で最大限の効果を発揮できるように重要な案件に時間を配分することが重要であり、このような審査官のモチベーションを維持・向上させるためのマネージメントの研究も望まれる。