ノンテクニカルサマリー

労働者のメンタルヘルス、労働時間、仕事特性と職場環境―従業員パネルデータを用いた検証―

執筆者 黒田 祥子 (早稲田大学)/山本 勲 (ファカルティフェロー)
研究プロジェクト 企業・従業員マッチパネルデータを用いた労働市場研究
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

人的資本プログラム (第三期:2011〜2015年度)
「企業・従業員マッチパネルデータを用いた労働市場研究」プロジェクト

『患者調査』(厚生労働省)によれば、わが国の精神疾患の患者数は、1996年の189万人から、2014年には318万人と1.7倍に急増しており、このうち生産年齢人口にあたる15-64歳は全体の2/3を占めている。職場における労働者のメンタルヘルス対策は喫緊の課題となっており、改正労働安全衛生法においては、2015年12月から労働者50人以上の事業場では年1回のストレスチェックが義務化された。本稿は、精神疾患の患者数が趨勢的に増加傾向にあるわが国において、職場のどのような要因が労働者のメンタルヘルスを毀損するのかを、特に労働時間や働き方の観点から考察したものである。

労働者のメンタルヘルスを毀損する要因を考察する際、注意すべきは個々人の個体差(体力やストレス耐性、性格の違い)を考慮しなくてはならない点である。たとえば、同じ長時間労働を行っても、体力がある人と相対的に体力がない人とでは、過労による病気の発症確率も異なる可能性がある。このように労働者間に個体差がある場合、単純に異なる労働者間で働き方とメンタルヘルスの状態を比較しても、両者の間に明確な因果関係は検出しにくい。本稿は、こうした個体差を取り除くために、同一個人の働き方とメンタルヘルスの度合いを4年間追跡調査したパネルデータを利用しているのが特徴である。同一個人の働き方やメンタルヘルスの度合いを経年的に観察するデータを用いることで、同一個人において働き方が変化した場合にどの程度メンタルヘルスが変化するかを分析することが可能となる。

表は主な分析結果であり、表中に示された数値がプラスの場合はメンタルヘルスを悪化させる要因、逆にマイナスの場合はメンタルヘルスを改善させる要因として作用していることを示している。表をみると、個体差を取り除いたうえでも、週当たり労働時間が長くなるとメンタルヘルスが悪化する傾向が認められる。ちなみに、メンタルヘルスが悪化しているから生産性が低くなり、結果として労働時間が長くなってしまうといった逆の因果性を統計的に取り除いた場合でも同様の結果が得られる。さらに、労働時間とメンタルヘルスとの関係は線形関係にあるわけではなく、週当たり労働時間が50時間を超えるあたりからメンタルヘルスが顕著に悪化する傾向が認められる。これは週当たり50時間という長さが、従業員のメンタルヘルス管理の際の1つの参考値となりうることを示しているといえる。

次に、労働時間が同じであっても、仕事や職場環境にとって労働者のメンタルヘルスが異なることもわかる。たとえば、「仕事の内容が明確化」されており、「仕事の手順を自分で決めることができる」タイプの仕事をしている場合には、そうではない場合に比べてメンタルヘルスは良好となる。一方、自分の裁量で仕事がしにくい「突発的な業務が頻繁に生じる」タイプの仕事に従事している場合は、そうではない場合に比べてメンタルヘルスは悪くなる傾向にある。これらの結果は、労働時間の管理も重要であるが、それに加えて、業務内容の明確化や仕事の進め方の見直しを行うことで、労働者のメンタルヘルスをある程度改善しうることを示唆している。

また、職場環境として「周りの人が残っていると退社しにくい」雰囲気がある場合には、メンタルヘルスが悪くなる傾向にある。さらに特筆すべきは、労働時間や仕事特性、職場環境を調整した場合でも、「自分の職場で、メンタルヘルスが理由で退職した人がいる」と答えた人は、そういう職場で働いていない人に比べて、本人のメンタルヘルスも悪い傾向にあるという点である。これは、個々人の労働時間の長さや仕事特性だけではなく、職場自体にメンタルヘルスを悪化させる何らかの要因があることを示唆している。なお、労働安全衛生法では、義務化されたストレスチェックの結果を部や課などの一定のまとまりをもった職場ごとに集計・分析をし、勤務形態または職場組織の見直しなどの職場環境を改善するための必要な措置を講ずることも指針に盛り込まれている。集計においてストレス度が高く検出された職場においては、労働者のメンタルヘルスを悪化させる職場全体の要因の特定化・改善が不可欠である。

表:働き方とメンタルヘルスとの関係
(1)(2)(3)(4)
週当たり労働時間 0.0687**
(0.0319)
0.0749**
(0.0316)
0.0679**
(0.0317)
0.0753**
(0.0318)
仕事特性担当業務の内容は明確化されている -1.1232**
(0.5446)
-1.1804**
(0.5409)
-1.1514**
(0.5382)
-1.1337**
(0.5470)
仕事の手順を自分で決めることができる -1.6274***
(0.6201)
-1.6371***
(0.6145)
-1.6431***
(0.6109)
-1.6283***
(0.6223)
自分の仕事は他と連携してチームで行うものである -0.3478
(0.4504)
-0.4200
(0.4470)
-0.4132
(0.4484)
-0.3602
(0.4468)
突発的な業務が生じることが頻繁にある 1.1183**
(0.5182)
1.0720**
(0.5129)
1.0672**
(0.5140)
1.1225**
(0.5156)
職場の評価残業や休日出勤に応じる人が高く評価される 0.3824
(0.6017)
0.4843
(0.6081)
0.3885
(0.5980)
0.4653
(0.6104)
職場環境周りの人が残っていると退社しにくい 2.2671***
(0.6464)
2.2946***
(0.6436)
2.2739***
(0.6355)
2.2750***
(0.6361)
残業や休日出勤が続くと、ある程度の遅出は許される 0.4219
(0.7667)
0.3913
(0.7502)
0.4273
(0.7522)
0.4077
(0.7616)
職場のMH自分の職場にMHが理由で1か月以上休職している人がいる -0.0202
(0.5813)
-0.0829
(0.5692)
自分の職場で、MHが理由で退職した人がいる 0.9633*
(0.4957)
0.9704**
(0.4756)
職場でMHが不調となる人が3年前と比べて増加した 0.0612
(0.6002)
0.1918
(0.5600)
R2 0.0598 0.0633 0.0648 0.0591
サンプルサイズ 1462 1462 1462 1462
備考)表中の*、**、***はそれぞれ10、5、1%水準で統計的に有意であることを示している。分析は全て固定効果モデルを用いている。被説明変数にはメンタルヘルスの尺度としてGHQ12(一般健康調査票12 項目版)を使用しており、スコアが高くなるほどメンタルヘルスが悪化していることを示す。説明変数には表中に記載されているもののほか、既婚ダミー、子どもありダミー、年収、過去1 年間に生じた変化(昇進や仕事内容の変化など)を用いている。