分断された労働市場における為替レート変動が雇用に与える影響

執筆者 横山 泉 (一橋大学)
比嘉 一仁 (九州大学)
川口 大司 (ファカルティフェロー)
研究プロジェクト 変化する日本の労働市場―展望と政策対応―
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

人的資本プログラム (第三期:2011~2015年度)
「変化する日本の労働市場―展望と政策対応―」プロジェクト

2012年暮れの安倍政権成立以来、急激な円安が進み、安倍政権発足当時には1ドル80円前後であった対ドルレートは現在1ドル120円前後となっており約50%の円安が進行した。この円安の進行は輸出企業の業績改善をもたらし労働市場を好転させることに貢献しているという見方がある一方で、輸入原材料高を招き輸入企業の業績を抑圧し、必ずしも労働市場の好転には貢献していないとの見方もある。

また、2008年夏の世界金融危機の後には、欧米中央銀行の金融緩和やリスク回避的な資金が日本に流入したことを通じて急激な円高が進行し、世界的な需要収縮とも相まって、輸出企業の業績が大幅に悪化した結果、雇用調整が発生したと考えられている。特に当時は派遣労働者など非正社員を中心とした雇用調整が激しく行われる「派遣切り」がマスコミをにぎわせた。

これらのエピソードが示すように為替レートの変動は雇用に対して大きな影響を与えると考えられている。経済学の研究においても、日本の産業レベルのデータを用いて為替レート変動が輸出・輸入依存度が高い産業の雇用変動をもたらしてきたことを示す研究や、企業レベルのデータを用いて、世界金融危機のショックが輸出入依存の高い企業の派遣労働者数に影響を与えたことを示す研究などが行われてきた。これらの問題意識と既存研究の知見を踏まえて、本研究では企業パネルデータである経済産業省『企業活動基本調査』を用いて為替レート変動が正社員・非正社員の雇用に与える影響を分析した。分析に当たっては、企業ごとに売り上げ全体に占める輸出や仕入れ全体に占める輸入が異なり、これらの輸出入依存率が高い企業と低い企業では為替レート変動の影響が異なることに着目した。輸出入依存率が高い企業を「処置群」、低い企業を「統制群」とすることで為替レート変動という「処置」に対する雇用反応を「差の差の推定法」を用いることで、信頼性の高い推定を行った。

分析の結果、実効為替レートで測って円が増価しても輸入企業の雇用は統計的に有意な影響を受けないものの、輸出企業の雇用は統計的に有意に減少することが明らかになった。推定値の大きさは図に示した通りであるが、その大きさを例を通じて考えてみよう。円高が起こると輸出企業の売り上げは減少するため、雇用量は減少することが予想される。推定結果を用いて、売り上げの10%を輸出する企業の例を考えると、10%の円高に対して平均的に正社員の雇用は0.161%減少し、非正社員の雇用は0.854%減少することが明らかになった。非正社員の反応が正社員の反応の約5倍になっていることは非正社員の雇用調整のコストが正社員のものよりも大幅に小さいことを意味しており、非正社員が雇用調整のためのバッファーとして使われているという主張と整合的である。一方で、円高は輸入企業の仕入れコストを下げることを通じて、企業の売り上げを増加させ、雇用を拡大させることが予想されるが、分析結果はそのような効果が見いだせないことを示している。原因は明確ではないが、原油、天然ガス、穀物といった一次産品価格の下落は企業間の取引の連関などを通じて、輸入企業と非輸入企業に同様の影響を与えていることが一因かもしれない。

本論文の結果は、為替レートの不安定性が輸出に依存する企業労働者の雇用を不安定化させることを示している。各企業がどの程度輸出に依存しているかには大きな異質性があり、為替レートの変動の影響は企業間で大きく異なる。また、為替レートの変動は非正社員の雇用により大きな影響を与えることも明らかになった。為替レートが雇用に与える影響は企業間・労働者間で大きく異なっており、為替安定化政策を考える場合には平均的な雇用への影響だけではなく、その影響を異質性の大きさをも十分に考慮する必要がある。

図:日本円が1%ポイント増価した場合の雇用量の%ポイント変化
図:日本円が1%ポイント増価した場合の雇用量の%ポイント変化
注:論文のTable 3より作成。輸出企業とは仮想的に売り上げの100%を輸出している企業。輸入企業とは仮想的に仕入れの100%を輸入している企業。雇用量の%ポイント変化を輸入シェア×実効為替レートの%ポイント変化、輸出シェア×実効為替レートの%ポイント変化、輸入シェア、輸出シェア、(売上高-売上原価)/売上高、1年前の正社員数の自然対数値、産業×年ダミーに回帰したときの、輸入シェア×実効為替レートの%ポイント変化、輸出シェア×実効為替レートの%ポイント変化に対する係数を掲出してある。輸出企業に関する推定値は統計的に有意に0と異なるが、輸入企業に関する推定値は統計的に有意に0とは異ならない。