ノンテクニカルサマリー

グレース・ピリオド制度の使用と知識フローに及ぼす影響

執筆者 長岡 貞男 (ファカルティフェロー)/西村 陽一郎 (神奈川大学)
研究プロジェクト イノベーション過程とその制度インフラの研究
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

技術とイノベーションプログラム (第三期:2011~2015年度)
「イノベーション過程とその制度インフラの研究」プロジェクト

問題意識

この数十年の間、各国特許制度の国際調和が進展したが、いまだに調和がなされていない制度間格差が存在する。日本、米国、欧州主要国の特許庁および欧州特許庁からなるテゲルンゼイ・グループの2014年の報告書で主要な制度間格差が列挙されているが、その1つがグレース・ピリオドである。グレース・ピリオドとは、特定の条件の下で、特許出願までに行った発明の公開によって、その本人の発明の新規性を喪失しないものと取り扱う一定の猶予期間である。よって、発明者もしくは出願人が出願前に公開した発明につき、グレース・ピリオドの期間内に特許出願を行えば、発明の新規性喪失を理由として特許性が否定されない。米国特許庁では、無条件に1年間、欧州特許庁および欧州の主要国ではグレース・ピリオドはほぼ無いに等しい(国際博覧会における公開および極めて限られた条件のみに6カ月間)、日本は中間で6カ月間がグレース・ピリオドとして特許法上発明者もしくは出願人に与えられている。

グレース期間は、特許出願を予定している研究者が学会などで研究成果を早期に行うことを可能とするので、特許の保護と研究成果の早期普及を両立させる重要な制度である。しかし欧州では学会発表などへのグレース・ピリオドが存在しないため、欧州での特許保護を受けたい研究者は、日本の研究者でも米国の研究者でも研究の公表を遅らす必要があるのが現状である。

現在まで、グレース・ピリオド導入にあたり、その影響がさまざまなところで議論されているが、実証的な検証は非常に限られている。なぜなら、本制度の導入済みである米国では、グレース・ピリオドは発明者が当然に保有している権利であり、米国特許庁にグレース・ピリオド適用の例外申請が必要なく、グレース・ピリオドの制度利用の実態およびその効果について検証することが非常に困難である。欧州では制度がないためにやはり検証は困難である。他方、日本では、グレース・ピリオドは発明者に例外的に与えられる期間であり、我が国特許庁に例外申請が必要であり、体系的な記録が残っている。日本の経験の分析は、グレース期間のあり方について世界的に非常に有用な示唆を与えると考えられる。

研究目的

本研究では、グレース・ピリオドによる効果について、3つの仮説をまず提示した。第1の仮説は、研究成果の早期公開と特許の出願の両方を望む研究者が、グレース・ピリオド利用によって、国内特許の出願を待たないで研究成果の学術的な公開を行うことができるので、開示が加速化されるという開示加速仮説である。第2の仮説は、研究成果の公開と同時に特許出願が可能であるにもかかわらず、グレース・ピリオド利用によって、発明者による特許出願が遅延するという国内特許出願遅延仮説である。第3の仮説は、学術成果公表に高い優先度をおいているため、あるいは事故によって、特許出願前の公開を行い、本来であれば我が国特許出願を断念していた発明に対してグレース・ピリオド利用によって、国内特許出願を促すという国内特許出願促進仮説である。

そして、これら3つの仮説のうち、どの仮説が我が国におけるグレース・ピリオド利用を説明できるのかを、(1)日本企業の特許出願の国際化が我が国におけるグレース・ピリオド利用を抑制するのかなどグレース・ピリオド利用の決定要因分析(表1)、 (2)大学発明者と企業研究者の間のグレース・ピリオド利用の決定要因の重要性の差、(3)グレース・ピリオド利用によって知識スピルオーバーが促進されているか(グレース・ピリオド利用の経済的効果分析、図1)といった実証的課題を設定し統計分析した。利用したデータは、特許出願年が1992年から2008年までの個別特許データである。紙面の都合上、表1についての割愛されている詳細な説明については本文を参照されたい。

分析結果

分析によれば、グレース・ピリオドに関する3つの仮説のうち、開示加速仮説が現実と最も整合性が高かった。設定した各実証的課題に沿って説明をしよう。まず、グレース・ピリオド利用の決定要因分析である。分析では、個別特許についてのグレース・ピリオドが利用される確率を、大きく(1)国際特許出願の機会、(2)サイエンス・リンケージの強さ、(3)請求項数や発明者数で測定した特許化発明の私的価値を含めて推計した。分析結果によると、(1)外国へ出願する機会の拡大によって、グレース・ピリオド利用は抑制される、(2)企業内研究者と比較するとアカデミック研究者では、請求項数の影響を基準としてサイエンス・リンケージが強い特許化発明ほど、グレース・ピリオドは利用される。これは表1における開示加速仮説の符号条件と一致する。

次にグレース・ピリオド利用の経済的効果分析である。本分析では、個別特許からの知識フローを特許化文献による他社引用で測定し、自己引用で観察できない要因を除算することで除去しつつ、グレース・ピリオド利用の有無の影響を、発明のサイエンス・リンケージの強さ、請求項数や発明者数で測定した特許化発明の私的価値をコントロール変数に加えて、推計した。分析結果によると、グレース・ピリオドを適用した特許化発明ほど、(学術公開が早期であったため)知識スピルオーバーが多かった。これは図1における開示加速仮説の予想された効果と一致する。また、(1)グレース・ピリオド利用をせずに特許出願後に学術的な公開を行った特許化発明と(2)グレース・ピリオド利用をして、特許出願前に学術的な公開を行った特許化発明の知識スピルオーバーを比較した分析を行った。分析結果によれば、後者の、特許出願前の学術的公開の方が知識スピルオーバーの効果が有意に大きかった。

政策的インプリケーション

上記の分析結果は(1)グレース・ピリオドを発明者が利用する主な動機は、特許獲得機会を確保しつつ学術的な公開をできる限り早くして学術界での優先権を確立することであること、(2)その動機と整合的に、グレース・ピリオドによって知識スピルオーバーが実際に促進されていることを示している。発明者がグレース・ピリオドを利用するかどうかはあくまでも発明者の選択肢であり、加えて早期公開によって第3者(企業および消費者)も利益を得る可能性が大きいので(重複的な研究の早期回避、次のイノベーションへの早期着手など)、グレース・ピリオド制度は社会的厚生を増加させる可能性が高い。また本研究では、PCT出願の改革によって近年の特許出願の国際化機会が拡大していることが、わが国におけるグレース・ピリオド利活用を抑制していることも示しており、この結果は、グレース・ピリオド制度のグローバルな導入の重要性が高まっていることも示している。

表1:3つの仮説と我が国におけるグレース・ピリオド利用との関係
グレース・ピリオド利用効果に関する仮説 グレース・ピリオド利用に対する3つの決定要因
グレース・ピリオドが無い外国へ出願する機会の多さ サイエンス・リンケージの強さ 発明の特許化による私的利益の高さ
開示加速仮説 負(海外特許化に関する機会損失)
国内特許出願遅延仮 正、しかし非有意になる可能性あり 不明(国内特許保護の実質的延長利益)-(海外特許化に関する機会損失)
国内特許出願促進仮 (なし) 正、しかし非有意になる可能性あり 正(国内特許化利益)
図1:3つの仮説と知識スピルオーバーとの関係
図1:3つの仮説と知識スピルオーバーとの関係