ノンテクニカルサマリー

企業間の取引関係とR&Dスピルオーバー

執筆者 池内 健太 (科学技術・学術政策研究所)
René BELDERBOS (ルーベン大学 / UNU-MERIT / マーストリヒト大学)
深尾 京司 (ファカルティフェロー)
金 榮愨 (専修大学)
権 赫旭 (ファカルティフェロー)
研究プロジェクト 東アジア産業生産性
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

産業・企業生産性向上プログラム (第三期:2011~2015年度)
「東アジア産業生産性」プロジェクト

背景・目的

企業の研究開発(R&D)は当該企業自身の生産性の上昇に寄与するのみでなく、さまざまな経路を通じて他社の生産性にも影響するといわれており、この現象は「R&Dスピルオーバー」と呼ばれる。これまでR&Dスピルオーバーが生産性に与える効果に関する先行研究においては、技術的近接性と地理的近接性の役割が主に注目され、多くの実証分析も行われてきた(たとえば、Adams and Jaffe 1996)。それに対して、取引関係の役割は産業連関表を用いた集計レベルのデータに基づく分析など(たとえば、Goto and Suzuki 1989)に限定され、これまで詳細な分析があまりされてこなかった。一方、海外直接投資(Foreign Direct Investments: FDI)に関する先行研究では、国際的企業の進出による地元の企業への知識のスピルオーバーにおいて、財・サービスの取引関係が重要な経路であることが指摘されている(たとえば、Haskel他 2007)。つまり、生産性の高い海外企業と直接取引を持った地元の原材料や部品、中間サービスの供給者のパフォーマンスが上昇することが多くの先行研究で確認されている。

また、欧州のイノベーション調査(Community Innovation Survey: CIS)を用いたいくつかの先行研究においても顧客や供給者から得た情報やそれら企業との協力関係が企業の生産性にとって重要であることが指摘されている(たとえば、Belderbos他2012)。しかし、これらCISのデータを用いた研究では、個々の企業が実際にどの企業と取引関係を持っているかについては、分析されていない。そのため、これらの先行研究では、取引関係の有無やタイプによってR&Dスピルオーバーの大きさがどの程度異なるか定量的に明らかになっていない。

そこで、本研究では、日本の製造業企業における個々の供給企業と顧客企業が識別できるユニークなデータを『工業統計調査』および『科学技術研究調査』と接合したデータを用いて、取引関係を通じたR&Dスピルオーバー効果を定量的に分析する。また、取引関係がない場合の技術的な近接性や地理的な近接性を通じた企業間のR&Dスピルオーバーと取引関係を通じたスピルオーバーが生産性に与える効果の大きさを定量的に比較するとともに、取引関係の有無によって企業間の距離の効果がどのように変化するかについても分析を行う。

データ・分析方法

本研究では個別企業の主要な取引先企業(顧客および原材料や部品などの供給者)に関する詳細な企業情報が収録された『TSR企業相関ファイル』(東京商工リサーチ)を『工業統計調査』(経済産業省)および『科学技術研究調査』(総務省)と企業レベルで接合したデータを用いて分析する。『TSR企業相関ファイル』は企業ごとの主要な顧客企業と仕入先企業の企業コードを収録したデータベースであり、このデータを用いることによって、個々の取引関係のレベルで企業間の取引ネットワークが捉えられる。さらに、『TSR企業相関ファイル』は取引関係のみならず当該企業の主要株主となっている企業のコードも収録しているため、企業間の資本関係のネットワークも詳細に把握することができる。

分析対象は、製造業に属する企業であり、2006年の各企業の取引関係およびR&Dがその企業が有する工場の2007年の生産性にどのような影響をもたらすかを分析する。分析の手順は以下の通りである。まず、『工業統計調査』の個票データを用いて、工場レベルの全要素生産性(Total Factor Productivity: TFP)を計測する。工場レベルのデータを企業レベルで名寄せした後、『科学技術研究調査』の個票データを企業レベルで接合することにより、各工場が所属する企業のR&Dを特定する。他方、『科学技術研究調査』の個票データを用いて、各企業のR&Dストックを推計した上で(陳腐化率は『民間企業の研究開発に関する調査』(NISTEP)のデータを参照し、ラグは1年と仮定した)、『TSR企業相関ファイル』に企業レベルで接合し、各企業の主要顧客企業のR&Dストックや主要な仕入先企業(供給企業)のR&Dストックを特定する。同様に、『TSR企業相関ファイル』の主要株主企業のデータを用いて、各企業の主要な顧客企業や仕入先企業のうち、資本関係がある企業のR&Dと資本関係がない企業のR&Dストックについてもそれぞれ特定する。

これらのデータ処理の結果、最終的には約1万2000社の企業が所有する約2万の工場のデータが分析対象となった。最後に、このデータを用いて、工場レベルのTFPを従属変数とし、所属する企業のR&Dに加えて、主要顧客企業のR&D、主要仕入先企業のR&D、取引関係のない企業のR&Dなどを説明変数とする回帰分析を行う。なお、本研究では、企業間のR&Dスピルオーバーによる生産性に与える効果が企業間の関係性(取引関係の有無やタイプ、資本関係の有無)によってどの程度異なるかを表すパラメータを直接推定することにより、R&Dスピルオーバー効果が企業間の関係性のタイプによってどのように変化するかを定量的に明らかにする。また、企業間の技術的近接性と地理的近接性がR&Dスピルオーバーの強さに与える効果も同時に推定するため、非線形回帰分析を適用する。

本研究の分析結果とその政策的含意

本研究で得られた主な分析結果は次の3点である。

  1. 顧客企業や供給企業のR&Dストックは企業の工場レベルの生産性を高める効果を持ち、その効果は技術的な近接性や地理的な近接性によるR&Dスピルオーバー効果に比べても非常に大きい(概要図表 1)。
  2. 取引先企業との間に資本関係があるとさらにR&Dスピルオーバー効果は大きくなる(概要図表 1)。
  3. 技術的な近接性に基づくR&Dスピルオーバー効果は地理的な距離が遠くなると次第に小さくなるが、取引先からのスピルオーバーの場合は地理的な距離の影響を受けない。

これらの結果は、取引関係を通じたスピルオーバーはR&Dの生産性に対する効果やR&Dの社会的なリターンの大きさを決める重要な要素となっている可能性を示している。

したがって、政府が補助金や税額控除などの制度を用いて企業のR&Dを支援する際には、多くの顧客企業や供給企業を有する企業、すなわち企業間取引ネットワークのハブになっている企業のR&Dを支援することでより経済効果が大きくなることが示唆される。また、国内の企業間の取引ネットワークの密度が高いほど、国内で企業のR&Dを促進するような政策の効果が高いことも示唆される。その一方、海外の企業との取引関係・資本関係が国際的なR&Dスピルオーバー効果の大きさにおいても重要な影響を持つことも示唆されるが、国際的なR&Dスピルオーバーの効果の詳細な把握と定量的な分析は今後の課題である。

概要図表 1:知識源との取引関係・資本関係別R&Dスピルオーバーの相対的な大きさ
概要図表 1:知識源との取引関係・資本関係別R&Dスピルオーバーの相対的な大きさ
注)取引関係がない他企業のR&Dからのスピルオーバー効果を1とした相対値。