執筆者 |
祝迫 得夫 (ファカルティフェロー) 中田 勇人 (明星大学) |
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研究プロジェクト | 輸出と日本経済:2000年代の経験をどう理解するか? |
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。
国際マクロプログラム (第三期:2011~2015年度)
「輸出と日本経済:2000年代の経験をどう理解するか?」プロジェクト
アベノミクス開始以降の円安によって、思ったように日本の輸出が伸びていないことに関しては日本企業の生産拠点の海外移転などがその原因にあげられている。そのようなミクロ的要因が重要であることは間違いないが、それ以前に2000年代中盤の我が国の輸出の好調さの背景には世界的な好景気による需要要因がある。したがって近年の輸出が伸びていないのではなく、リーマン・ショック以前の輸出は為替レート以外の要因で極端に好調だったということができる。
この問題を数量的に検証するために、本論文では構造VARという分析手法を用い、我が国の輸出に影響を与える外生的ショックは為替レートだけであると仮定した場合と、海外需要ショックなどの他のショックの存在を仮定した場合で、為替レート・ショックの我が国の輸出に与える影響がどのように違ってくるかを検証した。その結果どちらの仮定のもとでも、ある一定規模の為替レートの変動が輸出に与える影響の絶対的な大きさにはあまり違いはなかった。
そこで、異なる構造ショックが我が国の輸出に与えた影響の相対的な大きさの違いを比較するために、80年代中盤の円高不況、1994・95年の急激な円高の進行、リーマン・ショック後の円高の進行という、3つの歴史的な円高エピソードにおける為替レート・ショックの重要度の違いについて分析を行った。
このうち1990年代半ばの円高と2000年代末の円高について分析結果をまとめたのが、図1の2つのグラフである。グラフ中の実線は、予測されていなかった日本の輸出成長率の変動を示している。赤い棒グラフはこの輸出の変動に対する実質実効為替レートの影響を、緑色の棒グラフは海外需要ショックの影響を示している。したがって、これら2つのショックの合計と実線の輸出成長率の変動の差は、他の要因では説明されない輸出そのもののショックに対応している。赤い棒グラフで示される為替レート変動の影響の大きさが一番大きかったのは、パネルAに示された1995年前後の円高局面であり、これに対しパネルBのリーマン・ショック後の輸出の減少については、緑の棒グラフで示されている海外需要の減少=世界的な景気後退の果たした役割の方がずっと大きかったことが分かる。
また、パネルBの実線と棒グラフの高さの違いが大きいことは、2009年の輸出の激減期と2010年の回復期の両方において、他の要因では説明できない輸出そのものショックが大きかったことを意味している。このことは、たとえば日本企業の主な輸出品である耐久財・資本財等についての過剰な在庫調整などの理由によって、為替レートの変化の大きさと比較してより大規模な生産の調整が発生したため、結果として急激な輸出数量の減少が発生していた可能性を示唆している。このような議論を踏まえると、生産拠点の海外移転の影響のような構造的要因を持ち出さなくても、アベノミクスによる円安が日本の輸出を期待したほど増加させていないことは、特に海外の景気がまだまだ停滞している現状では驚くべきこととはいえないであろう。