ノンテクニカルサマリー

企業における従業員のメンタルヘルスの状況と企業業績-企業パネルデータを用いた検証-

執筆者 黒田 祥子 (早稲田大学)
山本 勲 (慶應義塾大学)
研究プロジェクト 労働市場制度改革
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

人的資本プログラム (第三期:2011~2015年度)
「労働市場制度改革」プロジェクト

精神疾患を患う人が増加傾向にあり、メンタルヘルス問題が社会的に注目される中、企業は従業員のメンタルヘルスをどのように捉えるべきなのだろうか。従業員のメンタルヘルスの悪化は、勤務時間中の生産効率やモラルの低下、あるいは欠勤の増加などを通じて、企業における労働生産性の低下につながるおそれがある。しかし、どのような要因で従業員のメンタルヘルスが悪化するのか、職場のメンタルヘルス対策として何が有効なのか、従業員のメンタルヘルスがどの程度悪化すると企業業績に影響が生じるのか、といった点は必ずしも明らかになっていない。

たとえば、人的投資を実施し、長期雇用のもとで労働者を育成していくような労働の固定費の大きい企業では、メンタルヘルスの悪化による労働者の解雇や離職は、人的投資の収益性の低下につながりうる。また、日本では精神疾患を発症した労働者の解雇が裁判になった場合、企業側に安全配慮義務違反が問われる可能性が高い。多額の採用・教育費用を投じた労働者が精神疾患を罹患し著しく生産性を落とす場合、そうした労働者を企業内に抱えておくコストは、職場の同僚へのスピルオーバーの可能性なども視野に入れれば解雇や離職による投資費用の埋没化以上に大きい可能性もある。

こうしたこと踏まえ、本稿では、企業のパネルデータを活用して、企業における従業員のメンタルヘルスの状況を明らかにするとともに、メンタルヘルスの不調を理由に休職する従業員がどのような要因で増加しやすいのか、また、従業員のメンタルヘルスの不調によって企業業績が悪化することはあるのか、といった点を検証する。企業データを用いて、メンタルヘルスの不調が理由で休職する従業員の比率が長時間労働や企業特性によって変わるのか、あるいは、そうした休職者の比率が高まると利益率や生産性といった企業業績が悪化するのかという検証を行った研究は少ない。また、本稿の分析では、こうした施策がメンタルヘルス対策としてどの程度の効果をもたらしているのかをパネルデータに基づいて検証する。メンタルヘルス対策を導入している企業は日本で増加傾向にあるが、これらの施策の効果に関する経済学的・定量的な分析はほとんどなされていない。

分析の結果、まず、企業におけるメンタルヘルスの不調をメンタルヘルス休職者比率で判断すると、従業員300-999人規模や情報通信業、週労働時間が長い企業でメンタルヘルスの不調がみられることが明らかになった。また、メンタルヘルス施策の導入状況をみると、企業は平均的に4つ程度の施策を導入しているが、産業保健スタッフの雇用やストレス状況の把握など高いコストが予想される施策の導入率は相対的に低い傾向があることもわかった。

次に、企業パネルデータを用いてメンタルヘルス休職者比率に与える影響をみたところ、時期によって結果が異なるものの、長時間労働によって休職者比率が高くなる可能性や、フレックスタイム制度やWLB推進組織の設置によって休職者比率が低くなる可能性が一部では見出された。一方、導入が進んでいるメンタルヘルス施策全般については、大きな効果はみられなかった。ただし、衛生委員会などでのメンタル対策審議やストレス状況などのアンケート調査、職場環境などの評価および改善など、個別施策によってはメンタルヘルス対策として有効なものがあることもわかった。特に、職場環境などの評価および改善は効果が比較的高いとの結果が得られており、この点は職場環境がメンタルヘルスの状況に多大な影響を及ぼしうることを示した先行研究とも整合的である。メンタルヘルス施策は、企業レベルよりも職場レベルでのきめの細かい対策がより有効であることを示唆しているといえる。

最後に、メンタルヘルスの不調が企業業績に与える影響を検証したところ、図に示されているように、メンタルヘルス休職者比率の上昇は中期的に売上高利益率を低下させる可能性が示された。固定効果モデルの推計結果からも、メンタルヘルス休職者比率は2年程度のラグを伴って売上高利益率に有意に負の影響を与えることが明らかになった。従業員全体に占めるメンタルヘルス休職者比率は平均でみると1%未満と低い。しかし、休職者が多い企業ほど業績を押し下げているとの結果が示されたことは、水準自体は低くてもメンタルヘルスの休職者比率が労働慣行や職場管理の悪さの代理指標あるいは先行指標になっていると解釈することもでき、メンタルヘルスの問題が企業経営にとって無視できないものとなっているといえよう。

図:メンタルヘルス休職者比率と売上高利益率の3年前からの変化幅との関係
図:メンタルヘルス休職者比率と売上高利益率の3年前からの変化幅との関係