ノンテクニカルサマリー

取引関係と企業移転時の立地選択:東日本大震災被災企業の実証分析

執筆者 小野 有人 (みずほ総合研究所)
宮川 大介 (日本大学)
細野 薫 (学習院大学)
内田 浩史 (神戸大学)
内野 泰助 (リサーチアソシエイト)
植杉 威一郎 (ファカルティフェロー)
研究プロジェクト 企業金融・企業行動ダイナミクス研究会
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

新しい産業政策プログラム (第三期:2011~2015年度)
「企業金融・企業行動ダイナミクス研究会」プロジェクト

分析の概要

移転企業の立地選択は、企業行動を特徴づける重要な一側面である。立地選択に際して企業が考慮する要因として、都市経済学や国際経済学で注目されてきたのは、産業集積や都市化などの「集積の経済」の影響である。こうした研究を踏まえて、本稿では、産業集積の程度をコントロールした上で、既存取引先(具体的には、仕入先、販売先、金融機関)の所在が当該企業の立地選択に及ぼす影響について実証的に分析した。

企業間の取引関係や企業・銀行間の金融取引が代替の効きにくい「関係特殊的」なものである場合、企業は取引コストの節約や意思疎通の円滑化を目的として、取引先の近くに立地する可能性がある。しかし、関係特殊的な取引関係は代替が効きにくいがゆえに、不利な取引条件を強要される「ホールドアップ問題」が生じる可能性もあるため、逆に取引先との間に距離を置こうとするかもしれない。本稿では、こうした相反する2つの効果のどちらが強いか、その結果としてどのような移転のパターンが生じるかについて、東日本大震災時に津波被害または原発事故による影響を受け、その後移転した企業に着目して分析した。

東日本大震災後の被災企業の移転行動に焦点をあてることの利点は、移転企業の立地選択の背後にあるメカニズムを正確に分析できることにある。たとえば、企業が移転しようとする際には大きな固定費用を支払う必要があるため、実際に移転した企業全体をサンプルとすると、これらの固定費用を賄えるほど規模や(期待)収益が大きい企業に分析サンプルが偏り、統計的分析の結果にバイアスが生まれる可能性が高い。こうしたバイアスは、企業にとって外生的なイベントである大規模な自然災害によって移転を余儀なくされた企業を分析対象とすることによって軽減することができる。なお、被災によって移転確率が上昇するという予想は付表に示された結果からも確認される。この表は、東日本大震災時に津波浸水地域、あるいは甚大な事故が発生した福島第一原発周辺30km以内の地域に所在していた企業(以下「被災企業」と呼ぶ)と、それ以外の地域に所在していた企業(以下「非被災企業」と呼ぶ)の移転確率を比較したものである。震災後、被災企業の移転確率は震災前に比べて大きく上昇し、かつ非被災企業よりも顕著に高くなっており、事前の企業属性とは無関係に、震災によって移転を余儀なくされた企業が存在したことが示唆される。

付表:被災有無別の移転率比較
付表:被災有無別の移転率比較
(注)「年」は当該年3月~翌年2月を指す(例:2011年は2011年3月~2012年2月のため、震災後となる)。移転の定義は、調査年と調査年前年との本社住所が100m以上離れていること。2011-12年累積は、2011-12年の最新調査時点と2010年の本社住所に基づく。

被災企業に焦点をあてた分析を通じて、自然災害が実体経済へもたらす影響に関する理解を深めることも、本稿の目的の1つである。たとえば、自然災害が企業集積へ及ぼす影響については、これまで主にマクロ・産業レベルのデータを用いた研究が行われてきたが、こうした集計データの背後にあるさまざまなメカニズムを明らかにするためには、ミクロデータを用いた個別企業の参入や退出、そして移転の要因の分析が有効である。本稿は、こうした企業ダイナミクスのうち移転企業の立地選択に焦点を絞って分析することで、震災後の集積の変化について示唆を得ることも目的としている。

分析結果とその含意

本稿の主な分析結果は、以下の3点である。第1に、被災後に移転した企業は、既存の販売先、あるいは金融機関の取引店舗が所在していた市区町村に立地する確率が高い。このことは、移転企業の立地選択にとって、顧客ならびに取引金融機関の存在が重要な要因であることを示している。一方で、既存の仕入先の所在は、被災企業の移転立地先決定に有意な影響を及ぼしていない。この結果に関連して、震災前における企業と販売先、仕入先、取引金融機関との地理的な距離を各々計測すると、企業と仕入先の距離が最も遠いことが確認できる。このことは、企業と仕入先との取引関係において、距離が持つ意味がそもそも小さいことを示唆している。

第2に、販売先・金融機関の所在が企業の立地選択へ与える効果は、経済的にも意味のある大きさであった。たとえば、メイン販売先・メイン金融機関が所在する市区町村へ移転企業が立地する確率は、これらの取引先が所在していない市区町村に比べて、各々0.4、0.5%ポイント高い。企業がランダムに立地選択している場合に、本稿の分析対象となった各市区町村(合計で59市区町村)が移転先となる確率が2%弱であることを踏まえると、これらの効果は経済的に無視できない大きさといえる。なお、企業が取引金融機関の所在する市区町村へ移転する確率が高い背景としては、自社の情報を蓄積している既存金融機関の近くに所在することが企業の資金調達にとって何らかのプラスの効果をもたらす可能性のほか、取引金融機関が周辺の不動産情報などを元に、移転立地先について企業にアドバイスを提供している可能性なども考えられる。

第3に、販売先や金融機関が移転企業の立地選択へ及ぼす影響は、販売先や金融機関が被災した場合には観察されないことも分かった。また、津波被害や原発被害の大きかった市区町村では、移転企業が立地する確率が大きく低下する。このことは、震災前と変わらずに営業している取引先(販売先・金融機関)の存在や地域の被災状況が、移転企業の立地選択に当たって重要であることを示唆している。

本稿の分析対象を超えた政策的にも重要な論点は多く残されており、今後さらに研究を進める必要がある。まず、既存取引先の近くに移転することが、事後的にみて効率的な選択であったかどうかについて、移転後の企業パフォーマンスに関する分析などによって検証する必要がある。また、被災地の復興という観点からは、企業立地を、被災企業の移転だけでなく、被災地外からの企業の移入や、創業などの新規参入、被災地企業の倒産・廃業などを含めて捉えることが必要である。被災地の復興に向けた政策的含意を得るためには、これらの多面的な研究により、被災地経済の実態に関して更なる知見を蓄積する必要がある。