ノンテクニカルサマリー

文化政策と投資保護-公益規制による財産権侵害の投資協定における位置づけ-

執筆者 伊藤 一頼 (静岡県立大学)
研究プロジェクト 現代国際通商システムの総合的研究
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

貿易投資プログラム (第三期:2011~2015年度)
「現代国際通商システムの総合的研究」プロジェクト

海外で事業展開する企業にとって、国際投資は不可欠な活動の1つとなっている。しかし、外国政府はときに予期しがたい行動をとることもあり、突然の政策変更や一方的な契約の破棄によって投資の価値が著しく損なわれるリスクも存在する。そこで、そうした国際投資の損失を回避する手段として、近年急速に発達したのが、二国間投資保護条約のシステムである。これは、相手国の企業等からなされた投資の保護を政府が相互に約束するものであり、現在こうした条約が世界で約2700ある。そして、この投資保護システムの大きな特徴は、もし相手国政府の行為によって外国投資が損害を被った場合には、企業等がその政府を相手取って「仲裁」を起こすことができ、訴えが認められれば損害賠償を受けられるという制度を持つことである。仲裁とは、紛争が起こるとその都度「仲裁人」を選定して、条約違反があったかどうかを司法的に判断してもらう仕組みである。近年、この投資仲裁がきわめて活発に用いられるようになり、多くの企業が外国投資の損失を取り戻すことに成功している。

ところが、こうした国際投資保護システムが、政府の規制権限を過度に侵食するのではないかという懸念も強まり始めている。つまり、外国投資に損失を与えて投資仲裁に訴えられることを恐れ、政府が環境保護規制などの実施をためらうことで、公益が損なわれるのではないかという不安である。特に、各国が従来から強い規制を行ってきた文化保護の分野では、すでにさまざまな形で投資紛争が発生し、投資仲裁への付託に至ったものもある。たとえば、国内の文化遺産を保護するために外国企業の鉱山開発事業に新たな条件を課したところ、投資の価値が損なわれたとして訴えられた事例などである。

しかし、政府の規制権限が実際に侵食されているか否かは、仲裁が下した判断を詳細に分析しなければ把握できない。本論文では、特に文化面での政府規制が争われた仲裁事例を素材として、投資保護ルールがどのように適用され、いかなる結論が出されているのかを検討した。その結果、政府の規制が正当な公益の実現を目的としており、合理的な手段を用いて実施されていれば、たとえそれが外国投資に損失を与えたとしても、条約違反にはならないことが確認された。条約が定める投資保護ルールは、あくまでも、政府規制が不合理ないし恣意的な形で実施された場合に、不当な損害を被った企業等を救済するためのものであり、正当性のある公益規制については、それを条約違反としないような解釈がこれまでの仲裁事例により形成されてきている。

とりわけ、文化保護規制については、その目的の正当性を多くの仲裁が認めているところであり、適切な手段と手続によって実施される限り、条約違反となることはほとんどないと考えられる。投資保護システムによる規制権限の侵食という議論は、多分に誇張されている面があり、文化政策をはじめとする公益的な施策を遂行するための余地は、投資保護条約の下でも失われないと考えるのが正確である。