ノンテクニカルサマリー

東アジアにおける産業別の競争力・生産性と実効為替相場

執筆者 伊藤 恵子 (専修大学)
清水 順子 (学習院大学)
研究プロジェクト 通貨バスケットに関する研究
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

国際マクロプログラム (第三期:2011~2015年度)
「通貨バスケットに関する研究」プロジェクト

2000年代半ば以降、中国をはじめとするアジア新興国は安価な労働力を背景に世界輸出を拡大させた結果、日本企業の世界輸出における存在感は徐々に低下してきた。特に、2008年9月リーマン・ショック後の急激な円高は、日本の製造業の収益構造を悪化させ、同時期に大幅なウォン安により輸出価格競争力を大幅に回復させた韓国企業との業績の差は顕著であった。

上記のように、為替相場の変動は、外貨建て価格の変化を通じて一国の製造業の輸出競争力に大きな影響を与える。一方、価格はコストの大きさによっても決定されると考えられるため、製造業の輸出価格競争力は為替相場だけではなく、単位労働コスト(Unit Labor Cost:ULC)の変化の影響も受ける。ULCは、生産量1単位あたりの労働コストと定義されるが、これを簡単な数式で表すと、(労働者1人当たり賃金×労働者数)÷(実質生産額)となる。さらに、この式を変形すると、ULC=(労働者1人当たり賃金)÷(実質生産額÷労働者数)となる。つまり、ULCは賃金を労働生産性で除したものであり、ULCが下がる(上がる)ことは、労働生産性の上昇よりも賃金の上昇が小さく(大きく)、労働コスト負担が軽くなる(重くなる)ことを示す。ULCの変動はコストの変動を通じて価格を変化させるため、価格競争力を高めるためにはULCを引き下げる。すなわち、分母である労働生産性を上昇させる一方で、分子である賃金を引き下げるかまたは賃金上昇を抑える必要がある。

日中韓の現地通貨建てのULCを国別・産業別に算出し、2001年のULCを100として時系列の推移をみる。2001~2009年の期間において、中国と日本では、ULCが低下傾向である産業が多いのに対して、韓国では電機産業以外の産業分野でULCが上昇傾向を示している。しかし、この現地通貨建ての産業別ULCをそれぞれ産業別の名目実効為替相場を用いた外貨建てULCにして比較するとどうなるだろうか? 特に為替相場の変動が非対称であった日本と韓国の電機産業と輸送用機器産業において、現地通貨建てULC(グラフ(1))と外貨建てULC(グラフ(2))を比較してみよう。これによると、電機産業の現地通貨建てULCでは2009年に日本と韓国の差は16ポイントであるが、外貨建てのULCでは日本と韓国の差がわずか2ポイントに縮小している。同様に、輸送用機器の現地通貨建てのULCでは、2009年に日本では対2001年比で17ポイント低下したのに対して、韓国では同26ポイント上昇しており、両者の差は43ポイントである。しかし、外貨建てのULCで見ると日本と韓国の差は13ポイントに縮小している。このように、日本では各企業がコストカットの努力の末ULCの低下を実現させたとしても、円高の影響でULCの低下が相殺されてしまっていることがわかる。

それでは、ULCの低下と為替相場の変動は、それぞれ輸出競争力にどのような影響を与えているのだろうか? 本稿は、日中韓の産業別の輸出競争力を産業別のULCと産業別の名目実効為替相場を用いて分析している点に大きな特徴がある。理論的には、輸出競争力は、自国の輸出品と外国産品の相対価格によって決定されると考えられる。その相対価格は、各国の生産コストによって決定される国内価格と為替相場によって決まる。従来の研究では、相対価格を表す変数として実質為替相場、すなわち名目為替相場を消費者物価指数で調整したものが用いられることが多かった。しかし、消費者物価指数は非貿易財の価格変化も含んでおり、必ずしも輸出品の価格を比較する上では適切とはいえず、品目別または産業別に国内価格の動きを捉えることが望ましい。また、グラフ(1)、(2)からもわかるように、ULCの推移は産業毎に異なっており、産業別にULCの影響を分析する必要がある。名目実効為替相場は、RIETIで公表されている日中韓それぞれの産業別名目為替相場を用いた。

自国の輸出品の相対価格が安くなれば輸出競争力が高まると予想されるが、そのためには、生産コストが下がることにより国内価格が下がるか、または自国通貨が減価する必要がある。そこで、本研究では、日中韓の12産業別にULCと名目実効為替相場を用いて、両者が各国・各産業の輸出に与える影響を分析した(2001年から2009年までの年次データによるパネル分析)。主な結果は以下の通りであった。第1に、中国の輸出は生産コストに最も敏感であるのに対して、日本の輸出はあまり生産コストの変化に敏感に反応しなかった。第2に、日本の輸出は生産コストよりも為替レートの変動に対して大きな影響を受けるが、中国と韓国については為替の影響が有意でなかった。為替の影響については、リーマン・ショックの円高の影響が顕著であった2009年をサンプル期間から外しても同様の結果が確認された。第3に、産業別では特に輸送機器産業において為替の影響が大きかった。

以上より、ULCと名目実効為替相場が各国の各産業の輸出競争力に与える影響はさまざまであり、生産コスト低下が輸出を増やす効果は中国が最も大きいのに対して、日本の場合は生産コスト低下が価格競争力を上げて輸出を増やす効果が小さく、為替レートの変動が生産コスト削減努力を打ち消してしまうことが確認された。したがって、日本企業の輸出競争力を高めるための政策インプリケーションとしては、為替相場がこれ以上円高に進まないような為替相場の安定化政策を採ること、そしてもし可能であれば円安方向に誘導することが重要であることが示唆される。また、日本において生産コスト低下が輸出競争力に結び付いていないことは、日本から輸出される財は低価格を武器とした製品ではなく、むしろ価格以外の面で強みを持っている製品であることを示しているかもしれない。輸出を増やすには、更なる生産コスト削減努力を企業に促すというよりは、価格以外の面での競争力をより高める方向での政策対応が望ましいのではないだろうか。安倍政権が推進している賃上げ要請が、労働者のスキルや意欲の向上を通じて非価格競争力を高める方向に機能すれば、賃金上昇は必ずしも日本企業の輸出競争力をそぐものではないと示唆されるだろう。

グラフ(1):日中韓における電機産業と輸送用機器の現地通貨建てULC 比較(2001 年=100)
グラフ(1):日中韓における電機産業と輸送用機器の現地通貨建てULC 比較(2001 年=100)
グラフ(2):日中韓における電機産業と輸送用機器の外貨通貨建てULC 比較(2001 年=100)
グラフ(2):日中韓における電機産業と輸送用機器の外貨通貨建てULC 比較(2001 年=100)
出所:WIOD のデータ、およびRIETIの産業別実効為替相場データより筆者が算出。