ノンテクニカルサマリー

在職老齢年金制度と60-64歳の労働供給:日本の独自サーベイへの回答を基にした実証分析

執筆者 清水谷 諭 (コンサルティングフェロー)
研究プロジェクト 社会保障問題の包括的解決をめざして:高齢化の新しい経済学
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

社会保障・税財政プログラム (第三期:2011~2015年度)
「社会保障問題の包括的解決をめざして:高齢化の新しい経済学」プロジェクト

1. 在職老齢年金制度の影響分析方法

厚生年金の受給資格があっても、労働所得(あるいは労働所得と本来の年金受給額)が一定程度を超える場合には、年金が一部ないし全額支給停止されるいわゆる「在職老齢年金制度」は、労働供給に対するいわば「罰則」ととらえられ、その効果分析については、政策的関心も高く、同様の制度を持つ諸外国も含めて、数多くの実証分析が蓄積されてきている。

これまでの分析手法は主に3つに分類できる。1つ目は、Bunch Analysis (Analysis of Clustering)と呼ばれており、分布全体の中で「罰則」適用の閾値の手前で「塊」がみられるかどうかを解析する方法である。これは直感的でわかりやすいが、そもそものデータに誤差がある場合や、閾値のすぐ手前で労働供給を調整できない場合には、影響を過少評価してしまう可能性がある。2つ目は、制度改正を利用したDifference-in-Difference推定である。在職老齢年金には制度改正が多く、その前後のトリートメントグループ(制度変更の影響を受けるグループ)とコントロールグループ(制度変更の影響を受けないグループ)の「差の差」に注目する方法だが、そもそもコントロールグループを見つけられない場合や分布そのものの変化を見たい場合には利用できない。3つ目は、構造モデルを構築して政策評価を試みる方法である。この方法は政策効果をもたらしたメカニズムを明らかにできるという点で優れているが、その前提となるパラメーターなどに強い前提条件が必要となる。

2. 直接回答を基にする方法

本稿では、上の3つの方法を補完する意味で、在職老齢年金制度が労働供給に及ぼす影響を直接質問した調査の回答を解析した。厚生労働省「高年齢者就業実態調査」(2000年)では、在職老齢年金制度の適用を受ける60-64歳に対して、「在職老齢制度によって、厚生年金の一部ないし全部が支給停止されることを避けるために、就業時間や日数を減らすかどうか」という趣旨の質問を行っている。この質問を利用することで、Bunch Analysisで見落としがちな閾値の直前で労働供給を調整できない場合でも影響を把握することができるし、もし正確に測れれば、簡単でコストもかけずに政策効果分析ができるということになる。

まず単純に基本統計量を比較すると、いうまでもなく、全く働かないことにしているグループ、就業時間や日数を調整しているグループ、影響を受けていないグループの順で、在職老齢年金の対象となる労働所得+年金の合計額、就労日数・時間が多くなり、しかもその差は非常に明瞭である。男女別にみると、男性の方がグループ間の差が大きい。これだけを見る限り、在職老齢年金制度の影響は非常に大きい。

しかしそう結論付けるのは2つの理由で早計である。1つは、そもそもグループの間で属性がかなり違う可能性がある。もう1つは、在職老齢年金制度がなくても就業調整(ないし就業停止)している場合でも、在職老齢年金制度をその理由にしている可能性がある。そこでここでは前者の可能性を探るために、Dinardo-Fortin-Lemieuxの分布分解の方法を用いて、就業時間や日数を調整しているグループ("Restricted group")と影響を受けていないグループ("No effect group")の間で観察できる属性が同質であった場合の仮想分布を推定したところ、男女ともやはり両者には大きな差が見られた(図1)。つまり、前者のグループの分布の方が、後者のグループの分布よりも左に偏っていることがわかった。なお、全く働かないことにしているグループを推定の対象に入れなかったのは、それが在職老齢年金制度によるものかどうか選択肢の上ではっきりしないためである。

図1:Decomposition analysis of wage and pension benefits
図1:Decomposition analysis of wage and pension benefits

3. まとめ

これまでの実証分析では、60歳代前半の在職老齢年金制度の1989年あるいは1995年の「改正」の影響が限定的という結果が得られていたが、本稿では制度自体が60歳代前半の労働供給を抑制している可能性が高いことを示した。しかし本稿で用いたデータは、あくまで回答者の意識をベースにしたものであって、実際の制度変更が伴う行動変化をとらえたものでない点には留意が必要である。そのような制度変更による変化を分析しようとすれば、その前後の情報を得られるパネルデータが必要となるが、現時点において過去の政策変更を把握できるようなデータを構築することは不可能である。

このためには、来るべき将来の制度変更を科学的に評価できるようにするために、「世界標準」の中高年パネルであるJSTAR(「くらしと健康の調査」)を継続させ、制度変更がある場合にいつでも解析が可能である環境を整えておく必要があろう。JSTARはこれまでの日本の多くのデータと異なり、国際的に比較可能な形で、健康状態、経済状態、家族関係、社会参加といった生活全般を多面的にとらえているだけでなく、最近の研究で頻繁に取り入れられている個人のPreference(時間選好率、リスク態度)や生存確率などのデータも備えている。こうした科学的なデータセットと制度変更が組み合わされることで、より説得的な実証研究が可能になるだろう。