ノンテクニカルサマリー

企業間取引の集積と産業集積:日本製造業のマイクロ取引関係データから

執筆者 中島 賢太郎 (東北大学)/齊藤 有希子 (研究員)/植杉 威一郎 (ファカルティフェロー)
研究プロジェクト 効率的な企業金融・企業間ネットワークのあり方を考える研究会
ダウンロード/関連リンク

このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

特定研究 (第三期:2011~2015年度)
「効率的な企業金融・企業間ネットワークのあり方を考える研究会」プロジェクト

経済活動が特定の地域に集積する現象の1つの重要な要因として、企業間の取引費用の節約というものがある。取引を行う企業同士が地理的に近接して立地することで、物理的な製造品の輸送費用や、取引に必要なさまざまなコスト(仕様決定のための打ち合わせ費用等、取引に必要なあらゆるコスト)が削減できるというのである。このような要因が重要な要素であることは、これまでの多数の研究で指摘されてきた。しかし著者らが知りうる限り、これまでの先行研究は産業連関表など集計されたデータを用いた分析にとどまっており、実際に近接した企業同士で緊密な取引が行われているのか、取引相手の決定に地理的距離が重要な役割を果たしているのかといった本質的な問いに答えていないという限界があった。本稿では、約80万社に及ぶ日本での企業間の取引関係を記録したマイクロデータを用いることで、実際の企業間取引関係の地理的分布を明らかにするとともに、企業間取引の地理的集積と企業立地の地理的集積との関係について実証的検討を行った。

具体的には、Duranton and Overman (2005) によって開発された企業立地の地理的集積を計測する手法を、取引関係の地理的集積の文脈に適用することで分析を行った。直観的な手順は以下の通りである。まず、特定の産業Aに注目し、このA産業に属する企業間の取引関係の距離を全て計測しその密度分布を計測する。つまり、近い距離の部分にピークがあれば、それは取引距離が近い距離に集中していることを示すため、取引距離が集積していると考えるのである。しかし、判定のためにはこの「近さ」を定義する必要がある。そのため、地理的距離と関係なく、ランダムに取引関係が形成される半実仮想的状況(counterfactual)を考える。この仮想的距離分布と現実の分布を比較し、現実の分布のピークがどれほど近距離に偏っているかということを測定することによって、取引関係の集積度を測定するのである。

以上の手続きによる結果の例を図1に示す。これは眼鏡製造業に上記手法を適用したケースである。図中の実線は、実際の取引関係の距離密度分布である、それに対し点線は地理的距離に関係なく、企業が取引相手を選択するという仮想的状況の距離密度分布である。0-80kmの範囲において、実際の密度分布は仮想的状況の上限を超えている。このことから、眼鏡製造業の取引関係は仮想的状況よりも近い距離に偏っていることがわかり、また、0-80kmの範囲で集積していると判定されるのである。

本稿における主要な発見は以下の通りである。まず、日本における製造業企業の現実の取引関係距離は、産業全体の中央値で39kmと、たいへん短い。次に、150の製造業3桁産業のうち、90~95%の産業について40km以内で取引関係の集積が見られ、取引関係が極めて集積していることが分かった。大多数の産業の取引関係が近距離で集積しているとの結果は、米国特許における引用関係から知識のスピルオーバー効果の地理的集積を分析した研究などと比較しても、取引距離短縮を通じた集積効果の重要性を示唆するものである。さらに、取引関係の集積と立地集積の程度の間には、正の相関が存在する一方で、取引関係は近いが立地では集積していない産業、立地では集積しているが遠くの企業との取引関係を多く持つ産業など、多くの例外も存在することが分かった。

まとめると、実際の取引関係は、極めて地理的に近い範囲で行われており、取引距離の短縮というのが産業集積の1つの大きなモチベーションになっていること、この効果は、専門知識やイノベーションの波及・吸収を求めて企業が集積するといった効果と比較しても相対的に大きなものである可能性が十分にあること、また、必ずしも取引距離の短縮のみが集積の要因であるわけでなく、その他の要因が重要である産業も存在することが、我々の結果からは示唆されるのである。

企業間の取引関係データを大規模に用いた分析は、他国におけるものも含めて緒に着いたばかりである。しかしながら、今回の結果に基づき個別産業ごとの詳細な分析を行うことにより、また、共同研究開発などの関係にも分析対象を広げることにより、産業集積が取引関係などを通じて企業の生産性を向上させる経路を明らかにすることが期待される。これらの知見は、現在進められている産業クラスター政策をより効率的に実施する上でも重要な役割を果たすと考えられる。

図1:眼鏡製造業における取引距離の実際の密度関数(実線)と、仮想的状況における密度関数(点線)
図1:眼鏡製造業における取引距離の実際の密度関数(実線)と、仮想的状況における密度関数(点線)