ノンテクニカルサマリー

女性雇用者のネガティブ・ステレオタイプは企業が生みだしている:二種の予言の自己成就の理論的考察とその対策

このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

わが国において、女性の結婚・育児離職率は育児休業の普及しつつある現在でも未だ70%程度と非常に高い。また近年、浅野博勝亜細亜大准教授と川口大司一橋大准教授は同一企業内で男性と比べた女性の相対生産性(=「女性の生産性」/「男性の生産性」)は、相対賃金(=「女性の賃金」/「男性の賃金」)とほぼ同等に低いことを示し、また深尾京司一橋大教授は女性が大多数である「パート労働者」は正規労働者と比べ、相対生産性が相対賃金以上に低いことを示している。これらの結果だけを見るなら、わが国が欧米諸国と比べて比較的大きい男女の賃金格差を持つことについて、従来も主張されていたように、それが女性差別を意味せず経済的に合理的な報酬の配分の結果であるとの主張があらためてなされることが充分考えられる。本稿はその主張の誤りを理論的に示すことを意図している。その理由は「女性の離職率が高いこと」も「男性と比べた女性の低い相対生産性」も、女性雇用者のせいではなく、企業が自らの行為で生み出している、予言の自己成就になっている可能性が非常に高いからである。

予言の自己成就とは、もともとは何か出来事について「起こる」と予言されると、予言されなければ起こらないはずのものが起こってしまうことをいい、社会学者のR・K・マートン米コロンビア大名誉教授が根拠のない銀行倒産のうわさが預金者の取り付け騒ぎを起こし、実際に倒産させてしまった事例などから生み出した概念である。現在は、より広く定義し、人々が何かを予測・予想して行動すると、その予想・予測が実現する可能性が増えることをいう。本稿では女性の2種のネガティブ・ステレオタイプについて企業によるその予言が自己成就するメカニズムを数理理論的に明らかにしている。2種のネガティブ・ステレオタイプとは「女性は結婚・出産すると離職してしまうので人材投資は無駄になる」「女性は男性に比べ生産性も向上心も低い」という日本企業の多くの管理職者の認識に表面的には見合うような女性雇用者のことである。

女性の結婚・育児離職の予言の自己成就については、ノーベル賞経済学者のG・ベッカー米シカゴ大教授の離婚の予言の自己成就の理論モデルを、離職の分析に拡大・応用している。本稿で数理的に示すのは、企業が女性雇用者の高い離職率を予測して、その離職のコストを抑えるため、女性雇用者の賃金を低く抑えたり、OJTなど企業特殊な人的資本(=主としてその企業内でのみ生産性向上に役立つ知識・技術)の育成を控えたりすると、そうしない場合に比べ、結婚・育児などで離職のリスクが高まるとき、そのリスク自体の独自の影響をはるかに超えた離職率の増幅効果をもたらすことである。わが国で結婚・育児離職率が高いことは、第一義的にはわが国の雇用のあり方がワークライフバランス(WLB)を達成しにくくさせていることだが、本稿の結果は単にそれだけではなく、一般職者に典型的に見られるように女性雇用者に対する賃金や人材投資の抑制が、WLBの欠如の結婚・育児離職率への影響を大きく増幅させ、その結果高い結婚・育児離職率が生じるメカニズムが存在することを明らかにしている。

また、男性と比べて相対的に低い女性の生産性の予言の自己成就については、S・コート米コーネル大教授とG・ラウリー米ブラウン大教授の理論(以下CL理論)を土台にしているが、著者独自の分析をいくつか加えている。CL理論は統計的差別(=個人の資質が不確定なときに、男女別などグループ別の平均で個人を扱うことから生じる差別)の理論の一種であるが、どの企業でも生産性向上に役立つ知識・技術を意味する一般的人的資本についての雇用者の自己投資のインセンティブの果たす役割を組み入れているところに特徴がある。CL理論は企業が、たとえば管理職や他の男性割合の大きい高給職などに対し、資格要件を満たす者の割合は男性に比べ女性は低いとの偏見をもち、雇用者がその偏見を認識していると、女性は男性と同じように自己投資しても、それらの職を得られる確率が男性より小さくなるため、それらの職を得るための自己投資のインセンティブが低くなり、その結果それらの職を得る確率も低くなる、というような均衡が生まれるメカニズムを数理的に示したのがCL理論の骨格である。ここで「均衡」という意味はゲーム理論用語で、企業と雇用者がそれぞれ合理的に行動しようとする結果生まれる状態のことである。

CL理論では企業の雇用者の資格判断に雇用者が与えるシグナルを用いることを仮定している。「シグナル」とは有用だが不確定性をともなう情報のことで、たとえば雇用者の仕事ぶりの比較的短期間の観察結果などがシグナルである。このシグナルについては、CL理論では男女で同一と仮定しているのだが、たとえばわが国にように「恒常的残業を拒まない」「単身赴任を受け入れる」などの基準が資格要件判断のシグナルに用いられると、家庭の役割との葛藤の大きい女性には著しく不利となる。筆者はCL理論モデルの仮定を変え、もし企業が女性に不利なシグナルを用いて資格判断をしたら結果はどうなるかを分析した。その結果は、当然不利なシグナル使用のせいで女性は資格を要する職を得る機会が減ることになるが、それに加えて、資格基準のより厳しい職(たとえばより地位の高い管理職)には、男性に比べ女性は資格取得の自己投資のインセンティブが大きく削がれ、その意味で2重にハンディキャップを負うことを明らかにした。

これらの2種の予言の自己成就の理論は、企業特殊な人材投資(離職の予言の自己成就の場合)であれ、企業特殊でない一般的人的資本(低い生産性の自己成就の場合)であれ、人材投資がされないメカニズムの存在が、女性の人材不活用を生み出すことを明らかにした。女性にとって働きやすい雇用・職場環境の実現とともに、企業による投資であれ自己投資であれ、女性に対し男性と同様に人材投資がされていく状況に変えていくことが、経済活動における男女共同参画推進の要となると考えられる。また本稿では更に議論を進め、現在のわが国の状態は、たとえば短時間勤務を選ぶと非正規雇用にならざるを得ないなどの制度的制約により「真の男女の機会の平等」には程遠いことを指摘している。

男女の機会の平等や女性の人材活用は本来企業がその経済的合理性を自ら認識し進めることが基本である。しかし政策的に推進するには以下のことが考えられよう。
(1)政府による企業へのワークライフバランスの施策援助を推進する。
(2)雇用者がペナルティーを受けずに短時間勤務を選べる権利やフルタイムであっても恒常的な長時間勤務を拒否できる権利を法的に保障する。
(3)一般職と総合職の区別によるコース制は、離職や低い労働生産性の予言の自己成就を生み経済的に不合理で、また女性への間接差別になっているので法的に禁止する。
(4)企業が中間管理職・人事担当者に対しポジティブアクション推進のインセンティブを与える報酬制度を導入することを推奨する。
(5)企業の人事決定における女性差別の実態とその機会コストの可視化を計るため、男女別の雇用者の待遇に関する情報の政府への提出を義務づけ、企業にその自主的な情報公開を求める。