ノンテクニカルサマリー

日本企業の為替リスク管理とインボイス通貨選択
-「平成21年度日本企業の貿易建値通貨の選択に関するアンケート調査」結果概要-

執筆者 伊藤 隆敏 (ファカルティフェロー)
鯉渕 賢 (中央大学)
佐藤 清隆 (横浜国立大学)
清水 順子 (専修大学)
研究プロジェクト 東アジアの金融協力と最適為替バスケットの研究
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

昨今のグローバルな金融危機の影響により、日本円は米ドル、ユーロなどの主要通貨のみならず、東アジア通貨に対しても大きく変動している。こうした為替レートの変動は、短期的に日本企業の業績に大きな影響を与えるばかりでなく、中長期的には生産拠点の移転等の全社的な経営戦略に影響を及ぼす。さらに、この影響の度合いは、企業が輸出入における貿易建値通貨(インボイス通貨)としてどの通貨を選択しているかによっても大きく左右される。たとえば、日本国内で研究開発や生産の大半を行っている日本の輸出企業が円建て取引を選択できるならば、少なくとも短期的な為替レートの変動に伴うコストは貿易相手先に負担させることが可能である。一方、こうした輸出企業が主に相手国通貨あるいは米ドルのような第三国通貨で取引を行っているならば、為替レートの変動は輸出企業が受け取るキャッシュ・フローの円建て価値に大きな変動をもたらしてしまう。

このような状況下において日本企業がどのような為替戦略を採用し、どの通貨をインボイス通貨として選択しているのであろうか? 特に東アジア域内を中心に構築されている海外生産・販売ネットワークにおけるインボイス通貨の実態を把握することは、日本企業にとって有益かつ喫緊な課題といえるだろう。

本論文では、海外取引を行っている製造業の全上場企業920社を対象として、2009年秋に実施された「日本の貿易建値通貨の選択に関するアンケート調査」の回答結果を報告し、これまでの研究からの知見を踏まえたファクト・ファインディングを行っている。同アンケート調査は、日本企業の為替リスク管理の実態からインボイス通貨選択まで多岐にわたる調査項目によって構成され、調査対象全体の約4分の1に当たる227社から回答を得た。

回答結果から得られる日本企業の為替リスク管理とインボイス通貨選択の結果とそのインプリケーションは多岐に渡るが、ここでは、インボイス通貨選択と企業内貿易の割合の関係に注目しよう。図1は、日本から各国・地域向け輸出に占める円建て取引シェアを回答企業全体および連結売上高に基づく企業規模別の平均値として示している。一見してわかることは、米ドル、ユーロ、英ポンドなどの主要通貨を持つ先進国・地域への輸出においては、円建てシェアは極めて低い。これに対してアジア、中南米、ユーロ圏以外の欧州各国・地域への輸出において、円建てシェアは5割を超えている。さらに、全ての国・地域向けにおいて、大規模企業の円建てシェアは小規模企業を大きく下回っている。

図1 各国・地域向け輸出における円建てシェア
図1 各国・地域向け輸出における円建てシェア

先進国・地域向け輸出において円建てシェアが低い背後では、主要通貨である相手国通貨がインボイス通貨として選択される傾向が顕著である。一方、低コストで取引可能な主要通貨を持たない途上国、特にアジア各国向け輸出においては、相手国通貨がほとんど選択されず、第三国通貨の米ドルが円と拮抗あるいは凌駕するシェアを占めている。

それではなぜ大規模な日本企業ほど、自国通貨である円を選択していないのであろうか? その理由の1つは、大規模企業ほど貿易相手国に自社の出資する現地法人を設立しており、日本からの貿易取引の大半が企業内取引で占められていることである。図2は、アンケート回答結果に基づいて、日本から各国・地域向け輸出における企業内取引(自社の生産拠点および販売拠点向け輸出合計)のシェアを回答企業の平均値として示している。日本企業の最重要の貿易相手国・地域である北米、ユーロ圏(および英国)、中国、タイ等は、輸出総額に占める企業内取引シェアが5割を大きく超えている。そして企業規模が大きくなるほど企業内取引シェアも大きくなる傾向が顕著である。

図2 輸出総額に占める現地法人向け取引の割合
図2 輸出総額に占める現地法人向け取引の割合

先進国・地域向け輸出において相手国通貨をインボイス通貨とする選択は、現地市場の競争の激しさゆえに為替変動から販売価格を安定させようとする行動、すなわち既存研究で言われているPTM (Pricing-to-Market)と整合的なインボイス通貨選択である。そして、これは為替リスク管理の観点では、可能な限り現地法人を為替リスクの負担から解放し、本社(日本)に為替リスク管理を集約する戦略と整合的となる。

一方、日本の代表的な輸出企業は、特に北米地域への輸出基地としての自社の生産ネットワークをアジア地域、特に中国やタイを中心に構築して来た。日本と日本企業のアジア生産拠点で生産された財の多くが、米国を最終仕向け地として輸出されるとき、日本とアジア間の貿易においても米ドルがインボイス通貨として選択される傾向が観察されるのである。

以上に代表される興味深いファクト・ファインディングの数々の詳細については本論文を参照していただくと共に、より厳密な実証分析と、そこから得られる政策上の強力なインプリケーションは、本論文の結果を用いた今後の研究成果に期待していただこう。