ノンテクニカルサマリー

日本の輸出インボイス通貨選択におけるパズルの解明-インタビュー調査による企業レベルの決定要因分析-

執筆者 伊藤 隆敏 (ファカルティフェロー)/ 鯉渕 賢 (中央大学)/ 佐藤 清隆 (横浜国立大学)/ 清水 順子 (専修大学)
研究プロジェクト 東アジアの金融協力と最適為替バスケットの研究
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

貿易取引におけるインボイス通貨(貿易建値通貨)の使用状況を先進国間で比較すると、日本は自国通貨(円)建て輸出のシェアが極めて低い。また、輸出相手国別にみると、日本は米国やユーロ圏等の先進国(地域)向け輸出において相手国通貨建て輸出を行う傾向があり、アジア向け輸出においては米ドル建て取引のシェアが円建てのそれを上回っているという顕著な特徴が存在する。1970年代のGrassman等の研究に基づくインボイス通貨選択の「定型化された事実」に従えば、先進国間の貿易は輸出国通貨建て、先進国と途上国の間の貿易は先進国通貨建てで取引される傾向がある。したがって、上記の日本の特徴は「定型化された事実」に反する重要な研究課題、いわゆる「パズル(謎)」である。

このパズルの解明のためには、貿易取引におけるインボイス通貨の詳細なデータが不可欠である。特に貿易取引の意思決定を実際に行っているのは輸出(輸入)企業であり、企業レベルのインボイス通貨選択とその決定要因の分析を行うことができれば、インボイス通貨研究を飛躍的に進めることが可能である。しかし、そのようなデータは先進国においてもほとんど公表されていない。これがインボイス通貨研究の大きな障害となっている。

こうしたデータ上の制約を克服するために、本論文は2007年秋から08年秋にかけて4業種(自動車、大手電機、機械、電子部品)に属する日本の主要輸出企業23社の財務担当者に対するインタビュー調査を実施した。企業レベルの詳細なインボイス通貨選択状況と選択方針、および為替リスク管理体制に関する情報を収集するとともに、インボイス通貨の決定要因の実証分析を行うことによって、2つのパズルの解明を試みている。

表1は、日本の各国・地域向け輸出における最も使用頻度(割合)の高いインボイス通貨を、インタビュー調査の全回答企業および業種別に一覧している(たとえば、ユーロ圏向け輸出欄の[14/21]とは、回答した企業21社のうち14社が輸入相手国通貨(ユーロ)を最も使用頻度の高いインボイス通貨であると回答したことを表す。)主要通貨を持つ先進国・地域向け輸出においては相手国通貨建て輸出が一般的であるのに対して、アジア各国向け輸出においては第三国通貨である米ドルの使用頻度が円を上回っており、日本のインボイス通貨選択の2つのパズルを的確に捉えている。

表1:日本から各国・地域向け輸出における最も使用頻度の高いインボイス通貨
表1:日本から各国・地域向け輸出における最も使用頻度の高いインボイス通貨
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日本の主要輸出企業が上記のようなインボイス通貨選択を行っているのはなぜか? インタビューを通じて企業のインボイス通貨選択方針を調査した結果、本論文は、(1)企業内・企業間貿易および商社経由取引等の輸出経路、(2)貿易相手国通貨の為替ヘッジ・コスト、(3)輸出先の市場競争の程度および自社の製品差別化の度合い、(4)アジア生産拠点から米国を最終仕向地とする生産販売構造、という4つのカテゴリーに属する決定要因を抽出した。さらに、個別企業の有価証券報告書から抽出した財務データ等に基づいてデータセットを構築し、上記の決定要因を説明変数とするプロビット分析を行って、インボイス通貨選択の各決定要因の重要度を実証的に検証することに成功した。まず、先進国・地域向け輸出では、相手国通貨のヘッジ・コストが低いほど、海外現地法人向けの企業内貿易の割合が高いほど、そして輸出財の製品差別化の度合いが低いほど相手国通貨をインボイス通貨として選択している。次にアジア各国向け輸出においては、企業内貿易の割合などの取引経路の重要度に加えて、主要輸出企業がアジアに設立した生産拠点が米国を最終仕向地とする輸出拠点として機能しているかどうかが、日本からアジアへの米ドル建て輸出の重要な決定要因として機能していることが判明した。

以上の推定結果は、日本の輸出インボイス通貨選択のパズルが、日本企業のアジアで展開する生産ネットワークと深く関連していることを示している。しかし、アジアでドル建て取引が続く限り、日系現地法人は対本社(円)と対現地顧客(現地通貨)の両方で為替リスクを抱えることになる。中長期的な視点に立てば、この為替リスクは企業の収益や立地選択などに無視できない影響を及ぼす。日本企業にとってもアジア域内での為替の安定は大きな意味を持つものであり、アジア域内共通通貨バスケットを用いた域内為替協調とそこでの日本の役割が重要な政策課題となるだろう。