コラム

第5回「企業統治か、企業文化か?」

広田 真一
早稲田大学商学部准教授

予想外に普及しなかったアメリカ型ガバナンス

企業統治(コーポレートガバナンス)の問題は、ここ10年にわたって、日本のマスメディアで大きな注目を集めてきた。そこでは、日本でコーポレートガバナンスが有効に機能していないとの主張がなされ、それは1990年代以降の日本経済の低迷の1つの原因とされた。そして、株主が経営者を規律付けるメカニズム、すなわちアメリカ型のガバナンスのしくみ(社外取締役中心の取締役会、ストックオプション、敵対的買収など)を積極的に導入・推進すべきだとの議論が盛んになされた。

しかしながら、アメリカ型ガバナンスは、当初の期待ほど日本企業に普及しなかったように思われる。実際、アメリカ型の取締役会(委員会設置会社)に移行した企業は、全上場企業の約2%に過ぎず、また社外取締役の人数も1社あたり平均0.8人程度にとどまっている。また、近年盛んになりつつある敵対的買収に対しても、買収防衛策の導入や株式持ち合いの復活でその脅威を弱めようとする動きがある。

こうしたことは、マスメディアでは日本の経営者の保身であるとしてネガティブな評価が与えられることが多い。しかし筆者は、日本企業にアメリカ型のガバナンスが普及しないことには、別の合理的な理由があるのではないかと考えている。それは、日本企業においては、その競争力を確保する上で企業文化が重要な役割を果たしており、それを生かすためにアメリカ型のガバナンスを導入しなかったのではないかというものである。

日本企業の解決すべき問題

アメリカ型ガバナンスの世界においては、企業の関係者として株主と経営者の二者のみが登場する。そして、企業の目的は株主の利益の最大化であり、それを達成できるかどうかは、ひとえに経営者の意思決定・行動にかかっている。したがって、株主がいかにして唯一のプレーヤーである経営者を規律付けるかが問題となる。

しかし、この世界を日本企業に当てはめることには2つの違和感がある。まず1つは、日本企業においては、その関係者として、株主、経営者に加えて、従業員、取引先、取引銀行など他のステークホルダーを加えるのが現実的と考えられることである。したがって、企業の目的は、株主利益の最大化という単純なものにはなり得ない。第2に、意思決定・行動するプレーヤーとして、従業員が重要である点である。日本経済新聞の日、中、韓経営者300人へのアンケート(2004年3月24日)によると、企業競争力の主な要素として、中国、韓国では「経営者の資質」が1位にランクされるのに対して、日本は「新商品・サービスの創造力」、「コスト競争力」、「製品開発力」が1・2・3位にランクされる(ちなみに「経営者の資質」は6位である)。このことは、従業員の創意工夫や彼らのインセンティブの高さといった現場の力が、日本企業の競争力の主要な源泉となっていることを示している。

すなわち、現実の日本企業は、(1)ステークホルダーが複数、(2)経営者のみならず従業員が重要なプレーヤー、という特徴をもつ。そこで、日本企業が経営を行うに当たっては、「複数のステークホルダーのもとで企業の目的をどう定めるか」、「経営者のみならず従業員をも含めた組織全体をどうやって動かすか」が重要な問題となる。この問題はアメリカ型ガバナンスでは解決できない。

企業文化の重要性

われわれは、企業文化とその組織内への浸透がこの問題を解決すると考える。企業文化とは、企業内の人間が共有する価値観、信条、行動規範である。企業文化に含まれる価値観・信条は、企業の目的を組織の成員に明示し、また行動規範はそれぞれがいかに行動すべきかの具体的な指針を与える。また、価値観はそれが成員の同感を得ている場合には彼らのモチベーションを高めることになるし、行動規範は彼らの行動にある種の自己規律を与える。すなわち、企業文化は、上の(1)(2)の特徴をもつ日本企業において、経営者・従業員を企業の目的に向かって適切かつ効率的に動かすための必要条件となる。そして、優れた企業文化を作り、それを組織内へ浸透させる方法としては、経営理念の明文化とその教育があげられる。

したがって、日本企業においては、アメリカ型の企業統治(コーポレートガバナンス)を導入するより、むしろ優れた企業文化を育成・浸透させる方がそのパフォーマンスを向上させる可能性が高いと考えられる。そして、日本の経営者はそれを直感的に感じているのではないか。実際、コーポレートガバナンスに関する対談等においても、経営者の話の中に企業文化に関連する内容がしばしば出てくる。「よい企業文化こそが会社発展の鍵」、「企業文化自体がコーポレートガバナンスになっている」、「経営理念を浸透させることこそが日本的組織の強みを活かしきる最大のポイント」などがその例である。

企業文化の実証分析

そこで筆者は、日本における企業文化の重要性を考察するために、早稲田大学の久保克行氏、宮島英昭氏と共同で実証的な分析を行った。その分析結果は当経済産業研究所(RIETI)のディスカッションペーパー("Does Corporate Culture Matter? An Empirical Study on Japanese Firms", RIETI Discussion Paper Series, 07-E-030, May 2007)にまとめられているが、ここではその主要な結論を紹介しよう。

われわれは、日本の一部上場企業のうち、経営理念のある企業を企業文化が強い企業とし、経営理念がない企業を企業文化が弱い企業とみなして、両者の間にパフォーマンスの差があるかどうかを調べた(データは1986-2000年の15年間)。その結果、(他の事情を一定にして)経営理念がある企業はない企業に比べて、総資産営業利益率(ROA)が0.42%高いことがわかった。さらには、経営理念があるだけでなくそれを従業員に教育している企業は、経営理念がない企業に比べて、ROAが0.84%高いことも見い出された。これはROAの全サンプルの平均値(3.13%)の26.6%にあたる。すなわち、企業文化の組織内への浸透は、企業の利益率を4分の1強高めるということになる。

さらに、企業文化が強い企業は、その文化を生かすような雇用政策、組織構造、財務政策をとっていることも明らかになった。具体的に言うと、経営理念がある企業はない企業に比べて、(1)従業員の平均勤続年数が長い、(2)取締役会における社内出身の取締役の比率が高い、(3)負債比率(負債/総資産)が低い、(4)株式持ち合いの比率が高い、ことがわかった。このうち(1)は企業文化の浸透したコア従業員を会社内に保持しようとする政策、(2)は企業文化に精通した社内出身者を経営陣に多く含めようとする政策の結果だと考えられる。そして(3)(4)の財務政策は、企業文化を毀損させる倒産の危機や敵対的買収の発生を防ごうとするものとみられる。

企業統治をとるか、企業文化をとるか

ここで興味深いことは、これらの(1)~(4)の政策は、アメリカ型のガバナンスの視点からは望ましくないと評価されることである。社内取締役中心の取締役会、低い負債比率、株式持ち合いは、株主による経営者への規律付けを弱めると判断される。また、長期雇用の慣行は、不況期にリストラを遅らせることになり、株主の利益を圧迫するとみなされよう。しかし、企業文化を保持し生かすという観点からは、これらの政策は合理性のある行動と考えられる。

「企業統治をとるか、企業文化をとるか」。アメリカ型企業統治のしくみは経営者への規律付けを強める一方で、日本企業を動かすために不可欠な企業文化を毀損してしまう可能性がある。そのため、日本企業は、企業統治より企業文化をより重要と考えて、アメリカ型のガバナンスを導入しなかったのではないかと見られるのである。

2007年10月12日

著者プロフィール

2007年より現職。2000年~2006年早稲田大学商学部助教授。2001年~2003年イエール大学ビジネススクール (Yale School of Management) 客員研究員。研究分野は、コーポレートファイナンス、コーポレートガバナンス、実験ファイナンス等。

2007年10月12日掲載

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