近年、国境を越えた研究開発(R&D)活動は企業の直接投資の拡大に伴って活発化している。ここでは、2007年3月16~17日に経済産業研究所主催(プログラム委員長・若杉隆平研究主幹・京都大学経済研究所教授)により国内外30名の経済学者の参加を得て開催された"International Workshop on Empirical Studies of Trade, FDI and Firm in East Asia"において筆者が報告した研究を紹介しながら、R&Dの多国籍化がナショナル・イノベーション・システムの形成にもたらす政策含意について考えを述べたい。
R&D活動の多国籍化
多国籍企業による本国以外でのR&Dは、近年急速な拡大を見せている。OECD諸国では2004年時点において対民間R&D支出の比率で平均16%を多国籍企業の現地法人が担っている。日本企業についても、海外でR&Dを行う現地法人が増加している。経済産業省の「海外事業活動基本調査」によると、製造業の海外でのR&D支出は1996年度の2057億円から2004年度には4210億円へと倍増している。一般に、企業の海外R&Dは2つのタイプに分けられる。1つは自社製品の現地市場への適応のために行われているケースである。これは海外進出した際に、市場規制や消費者の嗜好など現地市場の環境に適応させるよう現地の生産部門をサポートしなければならないためである。もう1つは、現地の優れた技術知識やR&D資源を吸収し、新規の技術知識の生産を目的としてR&Dを行うケースである。一般に、前者は生産部門を支援することから"support R&D"、後者は新しい技術知識を創出し本社に還元するという意味から"sourcing R&D"と呼ばれる。両者の中で近年特に後者のタイプのR&Dが活発になっていることが指摘されており、このようなR&D機能の拡大が多国籍企業のR&D支出の増加の背景にあるといえる。
R&Dタイプの移行とその決定要因
日本の海外現地法人について海外R&D活動の動向を見てみよう。表は、海外進出先に研究所を保有してR&D支出を計上している現地法人と、研究所を保有せずにR&D支出を計上している現地法人について、R&D支出額と現地法人数をまとめたものである。データの制約上、1995年度と1998年度の二時点に限られるが、3年の間に研究所を保有する現地法人数は急増しており、R&D支出額についてもほぼ倍の水準に増加している。
文部科学省の「民間企業の研究活動に関する調査」によると、企業は海外に研究所を設置する理由として、現地市場への適応のためのR&Dを容易に行うことができるという理由の他に、海外の優れた人材が比較的容易に確保できることや、現地の大学や公的機関等の優れた研究成果を素早く入手できるという理由を挙げている。このことから、海外にR&D拠点を設置することは従来型の"support R&D"に加え、"sourcing R&D"の機能が付加されていると言えよう。したがって、近年顕著に見られる海外のR&D拠点の増加は"support R&D"から"sourcing R&D"へとR&D機能の拡大を伴っていると考えられる。
こうした海外R&D活動は、どのような要因によって決まるのだろうか。筆者と京都大学経済研究所若杉隆平教授との共同研究(Ito and Wakasugi, 2007)では、表に示した日本の海外現地法人のデータを利用して、海外R&Dの決定メカニズムを市場要因と企業要因から分析している。その結果、1995年から1998年にかけて見られる日本企業の海外R&D拠点の増加は、技術知識の蓄積の高い国において特に顕著であることが判明した。また、R&D拠点設置が進出先の研究者数や知的財産権の保護水準の高さと有意に正の相関があることも明らかになった*1。さらに重要であるのは、こうした要素が与える影響は、従来型の"support R&D"よりも、現地の優れた技術知識やR&D資源へのアクセスを目的とした"sourcing R&D"において顕著であることが判明した点である。この研究は、R&Dの多国籍化が対象国のR&Dの潜在能力や市場制度に大きく依存しており、とりわけ増加傾向にある"sourcing R&D"型のR&D拠点の立地選択にこうした要素が特に重要であることを示している。
イノベーション政策への含意
R&Dの多国籍化はナショナル・イノベーション・システムの形成に影響を及ぼす可能性がある。一般に、知識生産には他者のR&D成果が漏れ伝わり、自らのR&Dの生産性を高めるといったスピルオーバー効果が存在する。多国籍企業のR&D活動に関しても、進出先の国内企業にその成果が波及し、その生産性を高めるという実証結果がある。例えば、日本のデータを利用したTodo(2006)は、外資企業のR&Dストックが国内企業の生産性へプラスの効果があることを示し、さらにその効果は国内企業のR&Dストックが与える効果よりも大きいことを指摘している。こうしたスピルオーバー効果が存在するのであれば、前述の筆者らの分析で明らかにされたように、人材や技術知識の水準の高さ、知的財産権の保護水準などを高め、"Innovation friendly"な環境を構築することが重要である。あるいは、より直接的にR&Dを目的とした多国籍企業を誘致する政策も検討する余地があろう。この点に関して、唯一オーストラリアが実際にR&Dを目的とした直接投資に対して投資奨励金を交付していることは注目に値する*2。日本の外資企業によるR&D支出は、対民間R&D支出のシェアの水準で見るとOECD諸国中最下位であるが、対外開放的なイノベーション・システムとすることで国内企業のイノベーションの加速を期待できるかも知れない。今後、R&Dの多国籍化を意識した諸外国の政策動向のレビューや、外資企業のR&Dが国内産業に与えるインパクトに関する実証分析の一層の蓄積が課題となろう。