Research & Review (2004年5月号)

日本企業の自主的環境対応のインセンティブ構造

谷川 浩也
上席研究員

問題意識と研究の位置づけ

近年、環境保全に関する取り組みを自らの経済的利益にも合致したものとして、自ら実践する企業が日本でも増加しており、環境報告書を通じた情報発信も活発化しているといわれる。このような「自主的環境対応」が注目を集める背景として、(1)「環境に配慮した製品・プロセスの開発」等をプラスの価値として評価するグリーンな消費者や投資家の増大、(2)環境対応の限界コストが高いわが国で、今後とも限りない規制の強化で対応していくことの弊害(資源のクラウディングアウトや政治的社会的コストの増大)が無視できないこと、(3)技術革新能力のあるリーディング企業の潜在力が事実上ミニマムな水準の達成を目的とする直接規制によっては十分に発揮されず、自主的な研究開発努力を如何に慫慂するかが重要な課題であること、などの事情が指摘できる。

標準的な環境経済学のテキストでは、環境政策の手段として主に直接規制と税及び排出権取引のような経済的措置を中心的事例として、後者の優位性を論じることが多く、自主的措置等は、例外的・補完的な扱いであるのが通例である。これに対して、Alberini &Segerson(2002)は、政策立案者が現実に直面する選択肢は、教科書上の分類とは異なり、政府が企業の望まないコスト負担を強制できるかどうかをメルクマールとして、強制的アプローチ(税や排出権取引も含む)なのか、自主的アプローチなのかという形をとる場合が多いと指摘している。わが国でも、京都議定書の国内的実施対策を巡る論争をはじめ、同様の傾向は確かにより頻繁に観察されるようになっている。

企業の自主的な環境対応には、(1)達成手段の選択幅の拡大や投資平準化による目標達成効率の向上、(2)行政のモニタリング・コストの低減、(3)規制的措置導入に伴う政治的社会的コストの回避、及び(4)リーディング企業の努力の最大化を通じたイノベーションの可能性の向上など、多くのメリットがあると言われるが、このような自主的アプローチを政策的に有効に活用していく視点からは、どのような条件の下に、どのような動機が作用することによってこのような自主的アプローチが有効に実施されるのかという「インセンティブ構造」が明らかにされることが重要である。なぜなら、これにより我々は企業の自主的環境対応が確実に実行されると期待することができ、また、それをより確実に担保するための制度的枠組のあるべき姿も論ずることができるからである。

本研究は、このような問題意識に立脚し、日本企業の自主的環境対応のインセンティブ構造と、それが効果的に機能する条件を実証的に明らかにするとともに、政策的な含意を考察するものである。自主的環境対応のインセンティブ構造については、我が国における文献は驚くほど少なく、本研究では、(1)代表的日本企業8社からのヒアリング調査、(2)EUの官民関係機関からのヒアリング調査、及び(3)自主的環境対応についての日本企業の主観的認識に関する東証一部上場企業408社に対するアンケート調査(回答企業数129社・回収率31.6%)、というオリジナルな調査分析を実施した。

自主的環境対応のインセンティブ構造の類型とエビデンス

欧米の文献サーベイにより、自主的環境対応のインセンティブ構造を以下の五類型に分類することができるが、今回それぞれについて見出された事実は以下のとおりであった。

(1)Regulatory Threat(規制の脅し)
Alberini & Segerson(2002)やOECD(2003)は、自主的環境対応に関する多数のケース・スタデイ等を通じて、さまざまな自主的環境対応の有効性と効率性を向上させる共通の要素として、自主的又は交渉により設定された目標が達成できない、又は自主的対応により十分な効果が得られない場合に、事後的に社会的な圧力等により厳しい規制導入されかねないという「Regulatory Threat(規制の脅威)」の重要性を指摘するとともに、このような「脅威」が強ければ強いほど規制者のバーゲニング・パワーの向上を通じて、より高いレベルの環境改善が達成されると論じた。また、このような「規制の脅威」が有効に機能するためには、「脅威」の信憑性が高いこと、及び信頼できるモニタリング・システムが整備されていること等が重要であると主張している。

今回の調査分析で見出された実例としては、欧州委員会(EC)と日本自動車工業会(JAMA)の自動車燃費自主協定がある。ECとJAMAは、「2012年までにEU内で販売される全乗用車の平均燃費をCO2で120g/kmとする」という1995年の欧州理事会及び欧州議会による政治的コミットメントを達成するための手段として、2000年に「2009年までにEU域内で販売される乗用車の平均燃費をCO2で140g/kmとする」旨の自主協定に合意している。JAMAとしては、この目標の達成は決して容易だとは考えていないが、これもできないとなるともともと自主協定に不満を有するNGOや欧州議会から「直接規制を導入せよ」との議論が出て来かねないので、公式にはできないとはいえない事情があった。逆に、こういうNGOや欧州議会からの潜在的圧力がRegulatory Threatとして機能していると考えられる。

(2)ビジネスにおける不測のリスクの回避
Johnston(2003)は、環境対応等の社会的責任を重視する消費者が企業に対して有効な影響力を行使する手段の1つとして、消費者の集団的不買運動などの「ボイコット」を挙げ、これが有効に機能する条件として、当該企業のとった行動が大変な暴挙であるという認識が社会に広く共有されることを指摘している。類似のメカニズムとしては、事後的に予測しなかった賠償責任を負うリスクを避けるためにあらかじめ自主的に対応する「将来の賠償責任の回避」やリスクは特定しないが何かあっては困るという「横並び意識」などがあり、これらはまとめて「ビジネスにおける不測のリスクの回避」として把握できる。

実例としては、化学産業におけるレスポンシブル・ケア活動が指摘できる。同活動の幹事会社である三井化学においては、1990年代前半までの環境問題に対する対応は、要するに規制への対応であったが、90年代後半以降は、企業経営の課題として戦略的に対処する方向へと明確に転換した。その背景には、環境保全を重視する「消費者によるボイコット」や「地元住民による反対運動」を意識した動機がある。また、レスポンシブル・ケア活動の一環としての有害物質排出削減自主管理計画を前進させたモチベーションは、あそこがあの程度ならうちは……という各社の「横並び意識」であり、これはまとめ役が意識的に活用した。また、自主計画に関する情報開示を前提にワースト・テンに名を連ねるのはどうもという自社企業イメージへの悪影響を懸念する意識も重要な役割を果たした。

(3)資本市場・財市場におけるメリットの追求
いわゆる「Pays-to-be-Green仮説」や「Win-Win-Situation」と呼ばれているインセンティブのメカニズムであり、欧米における理論的・実証的文献は多数にのぼる。これは、例えば環境に優しい製品の販売、環境表彰受賞、環境プロラムへの自発的参加など自らの自主的な環境対応活動について、企業が積極的に情報公開することにより、グリーンな消費者や投資家にアピールし、その対価として財市場における売り上げの増大や資本市場における株価の上昇等による利益を得ようとすることを指す。

今回のアンケート調査結果を見ると、日本企業は資本市場や消費者の選好を介在した自主的環境対応の必要性を相当程度認識しており、将来に関してみれば、ほぼすべての企業が資本市場との関係で自主的環境対応の重要性が増すと考えており、十分な「インセンティブ構造」の存在が窺われる。例えば、貴社が上場されている場合、環境に関する貴社の企業イメージが貴社の株価に影響を与えていると考えるかとの問いに対して、肯定した企業は63社、全体の58.3%、将来の株価形成にとってより重要になると考える企業は116社、全体の95.1%であった。他方、環境配慮型製品であることは、消費者にアピールする上でどれくらい重要かという問いに対して「重要ではない」と回答した企業はわずかに3社、全体の2.3%であった。さらに、将来の消費者は環境配慮型製品であることをより重視するようになると考える企業は実に128社、全体の99.6%に達した。

次に、このような資本市場感応度と環境規制対応による技術革新/生産性向上との関係について検証してみたところ、資本市場感応度の高いグループ(環境パフォーマンスが金融資本市場へのアクセスや財務格付けに影響を与えていると考えている企業の集団)や自己資本比率が低いグループ(外部の金融資本市場への依存度が高い集団)ほど環境規制対応によって革新的な製品開発やコスト削減が生まれやすいことが示された。例えば、環境規制対応による革新的な製品開発やコスト削減に繋がる工程改善が起こった頻度が高いと回答した企業とそうでない企業の比率が全体で0.95であるのに対して、環境パフォーマンスが金融資本市場へのアクセス難易度に影響を与えていると回答した企業だけで見ると、その比率は1.50、環境パフォーマンスが財務格付けに影響を与えていると回答した企業だけで見ると、その比率は1.17であった。また、全投資のうち環境政策目的に振り向けている比率を被説明変数とし、自己資本比率を説明変数として回帰分析を行ったところ、5%水準で有意(標本数72、決定係数0.076、係数マイナス0.199、t値マイナス2.40)であった。

(4)生産性の向上/市場における優越的地位の獲得
(3)と類似の動機として、環境対応の製品開発による消費者へのアピールや省エネ・省資源対応の工程改善によるコスト削減などを通じて、よりダイレクトに市場における優越的地位の獲得をめざす動機が挙げられる。

今回見出された事例としては、ハイブリッド車・燃料電池車の開発がある。トヨタでは、環境対応技術開発は、環境規制のためというよりも、技術者にとって高い目標への調整として取り組まれている事例が多く、ハイブリッド技術はもともと1970年代から、燃料電池技術は80年代からR&Dを開始している。プリウスの開発は、このようにして社内に蓄積された技術シーズを前提に、90年代における環境意識の高まりも踏まえ、市場での競争優位を獲得することを狙って進められたものである。また、同車を環境対応車としてのみ売っている事実はなく、同車が成功するかどうかは、走りの性能や安全面での性能も含めた車としてのトータルの魅力によって顧客の支持を得ることができるかどうかに依存していると考えられている。

(5)対政府の戦略的行動
Lyon&Maxwell(2002)によれば、「厳しい政府規制を先取りする行動」、「来るべき規制を骨抜きにする行動」、「実績を作り、規制当局から規制上又は遵守上の救済措置を得る行動」及び「ライバルに対する優位を得るべく反競争的規制を促す行動」などの規制戦略最適化行動が企業の自主的環境対応のインセンティブになることが指摘されている。

典型的事例として、経団連地球温暖化自主行動計画を挙げることができる。京都議定書が国内産業にもたらす影響を予想した経団連は、1997年9月という京都会議以前の時点で、経団連傘下の産業界負担分は1990年比プラス・マイナスゼロ%とする自主行動計画を策定・発表し、負担分を確定してしまうという選択をしたが、これは、当時の日本政府の交渉ポジションであった削減目標数値と同様のものを受け入れ、政府に対して先手を打つことによって、産業界の協力姿勢を示しつつ、(家計部門や運輸部門が削減を達成できない場合にこの分を更に産業界負担分に上乗せすることも含めて)将来の規制導入や課税による負担増をあらかじめ回避する狙いがあったものと考えられる。

政策的含意と若干の考察

今回のプロジェクトでの情報収集と分析によって、「日本企業の自主的環境対応」には、「十分合理的なインセンティブ構造の実体」があることが解明されたが、信頼性のある政策手段のオプションとして、正しく認知されるべきであろう。この場合、いずれの類型においても有効に機能する条件として情報公開が重要な役割を果たすこと、及び資本市場や消費者の選好に対する感応度の高い企業ほど環境対応に熱心であり、環境規制対応による革新的な製品開発やコスト削減を達成しやすいことなどから、企業の環境対応に対する正確な事実と公正な評価に関する情報の流通を積極的に進めることが重要だと考えられる。

また、「法律事項」のない法制は認めないという内閣の慣行や「公権力の行使」概念を重視する行政法学の伝統を背景に、このような「日本企業の自主的環境対応」が現行環境法体系上明確に位置付けられず、実体的には十分と判断できる実績と条件があるにもかかわらず、法制化できないがゆえに規制導入論が復活する等の事態が発生していると言われる。しかし、日本企業の自主的対応や自主的取り決めに対して、情報公開やモニタリングなどの付随的措置を含めて、法体系上明確な地位を与えることは、既存の理論や実務慣行を前提としても十分可能であると思われ、法技術上の工夫を凝らした行政立法当局の多様な試みが慫慂されるべきではないかと考えられる。

文献
  • Alberini, A&Segerson, K.(2002) "Assessing Voluntary Programs to Improve Environmental Quality" Environmental and Resource Economics 22: 157-184
  • Johnston, Jason S.(2003) "Signaling Social Responsibility : An Economic Analysis of the Role of Disclosure and Liability Rules in Influencing Market incentives for Corporate Environmental Performance, "
  • Conference Paper for Faculty of Law, University of Tokyo
  • Lyon, Thomas P.& Maxwell, John W.(2002) ""Voluntary" Approaches to Environmental regulation: A Survey", Economic Institutions and Environmental Policy Ashgate Publishing Ltd.
  • OECD(2003) "Voluntary Approaches for Environmental Policy - Effectiveness, Efficiency and Usage in Policy Mixes -"

2004年7月9日掲載