新春特別コラム:2023年の日本経済を読む~「新時代」はどうなる

EBPMと政府統計:「人への投資」の効果を測る

森川 正之
所長・CRO

RIETIは、エビデンスに基づく政策形成(EBPM)の実現を重要なミッションとしている。そうした取り組みを強化するため、EBPMセンターを設置した。2023年はこの活動を発展させていく年になる。

有効な政策を行う上で政府統計の役割は大きい。「公的統計の整備に関する基本的な計画」(2020年)を見ると、公的統計は「証拠に基づく政策立案(EBPM)」を支える基礎であると冒頭に書かれている。小売販売のPOSデータ、クレジットカード取引データ、携帯電話の位置情報など、政府統計以外の「オルタナティブ・データ」の活用も広がっているが、政策評価を行う上で政府統計、特にパネルデータが極めて重要なことに変わりはない。しかし、統計に関する議論は技術的な性格があり、専門家以外には分かりにくい。そこで、現政権の経済政策の柱の1つである「人への投資」を例に、EBPMにおける政府統計の意義を考える。

企業内教育訓練投資と生産性

長期的な生産性上昇や経済成長にとって、イノベーションと人的資本投資が2つのエンジンであることに異論のある経済学者は少ないだろう。従って、「人への投資」を政策の重点に位置付けるのは正鵠を得ている。人的資本投資には、家庭内教育、就学前教育、学校教育、職業訓練などさまざまな投資が含まれるが、足下の政策では、企業の教育訓練支出の拡大など職業スキルの向上に力点が置かれている。

企業の従業員に対する人的資本投資の効果は、投資を行った企業の生産性がどれだけ高まるかで計測できる。以前、筆者が「企業活動基本調査」の企業データを使って推計した結果によれば、企業の教育訓練投資がその企業の生産性に及ぼす効果は大きく、投資収益率に換算すると設備投資よりもはるかに高い(Morikawa, 2021)。従業員の賃金を高める効果も確認されるので、実質賃金引き上げへの寄与も大きい。

労働者が教育訓練を受けることで獲得したスキルは1年で失われるわけではなく、減耗しつつ何年かにわたって持続するので、投資効果を正しく測るためには、過去の教育訓練投資を累計したストックの数字を用いるのが望ましい。「企業活動基本調査」(経済産業省)は、非上場企業を含めて企業の能力開発投資を継続的に追跡調査したデータ―「パネルデータ」という―なので、個別企業の人的資本投資のストック額を計算できる。しかもこの調査は企業の生産性やその経年変化を測る上で、日本で最も優れた統計調査なので、人的資本投資の生産性への貢献を定量的に把握できる。

ただし、この分析は政策効果を分析したものではなく、政府による「人への投資」の効果を明らかにするためには、個々具体的な施策が企業の人的資本投資をどれだけ増やしたのかを検証する必要がある。そのためにも人的資本投資の情報を含む企業パネルデータが不可欠である。そして検証結果を踏まえて、効果的な政策への資源配分を増やし、効果のない政策は縮減していくことが望ましい。どういうデータを利用してどのように政策効果を検証するのか、具体的なプランを政策実施前から持っているかどうかは、その政策に対する政府の本気度を見極める試金石とも言える。

大学院教育の投資収益率

労働者への職業訓練の多くは、現に行っている業務に即したものなので効果が比較的早く現れるが、長期的な人的資本形成という意味では学校教育の果たす役割が大きい。特に、イノベーションの担い手を育成する上で、世界的に大学院教育の重要性が高まっている。「学校基本調査」(文部科学省)の公表データから概算すると、日本でも大学院進学率は10%を超えており、四年制大学以上を卒業して就職した人のうち約13%が大学院(修士課程、博士課程)修了者である。

それでは、大学院教育は有効な人的資本投資と言えるだろうか? 大学院教育の効果を測るためには、そもそも就労者の学歴が大学院卒かどうかを特定できるデータが必要である。その上で、大学院を出た人の就労状態や賃金が分かれば、教育投資の収益率を概算できる。「就業構造基本統計調査」(総務省)は、比較的早い時期(2007年)に大卒と大学院卒を分けた調査票を導入した。以前、この調査のミクロデータを用いて筆者が推計した結果によれば、大学院教育の投資収益率は10%を大きく上回っていた(Morikawa, 2015)。その後のいくつかの研究も、大学院教育が賃金に対して大きな効果を持つことを確認している。

賃金の分析を行う上で研究者が最も頻繁に利用している「賃金構造基本統計調査」(厚生労働省)も、2020年から大卒と大学院卒を区別した調査票を導入するとともに、パートタイム労働者の学歴も調査するようになった。こうした統計調査内容の充実は、「人への投資」の効果分析の発展につながるだろう。

統計に関する人的資本投資

近年、政府統計をめぐる不適切な事案が相次いだ。この結果、一部の省庁ではリスク回避のため統計調査自体をやめる動きもあると聞く。間違いが起きると困るからやめるというのは本末転倒という気がするが、背後にあるのは各省庁における統計職員の人員削減傾向である。一方、世の中ではデータサイエンス学部を創設する大学が相次ぐなど、政府統計を含めてさまざまなデータを作成・利用する高度人材―「データサイエンティスト」―を育成する動きが強まっている。こうした中、政府部内の統計作成に携わる人材の確保、また、政策企画・実施部門の職員の統計リテラシー向上は、EBPMを根付かせるのに不可欠な人的資本投資である。

一方、統計のミクロデータを活用しやすくすることも課題である。学者・研究者の間では政府統計ミクロデータの利用手続きが煩雑で時間がかかることへの不満が多く、研究の国際競争力にも影響を及ぼしている。ここでもデータ提供に携わる人員の不足がネックになっているようだが、手続きや申請書類を簡素化するなどを通じて政策志向の研究を活発化する余地は大きいと思われる。

現在、政府統計に関する次期基本計画に向けた検討が進められている。本稿で取り上げた人への投資だけでなく、イノベーション、グローバル化などの重要課題に対応する政策の立案や事後評価においても政府統計の役割は大きい。特に、過去の蓄積の上に新しいデータが加わっていく長期パネルデータは政策評価にとって極めて重要な資産であり、継続していくことの価値が高い。政府統計では回答者負担がしばしば問題になるが、政府統計を維持・充実することなくEBPMの旗を振れば、アドホックなアンケート調査や報告義務が増えて、企業にとってかえって大きな負担になってしまうかもしれない。

統計は専門的で地味なイシューなので不祥事ばかりが注目されるが、EBPMを実効あるものにする上で、統計は貴重な政策インフラであり、その意義について国民の理解が広がることを期待している。

参照文献
  • Morikawa, Masayuki (2015). “Postgraduate Education and Labor Market Outcomes: An Empirical Analysis Using Micro Data from Japan,” Industrial Relations, 54 (3), 499-520.
  • Morikawa, Masayuki (2021). “Employer-provided Training and Productivity: Evidence from a Panel of Japanese Firms,” Journal of the Japanese and International Economies, 61, September, 101150.

2022年12月22日掲載

この著者の記事