「経済を回す」という表現の使われ方
2020年12月初旬、新型コロナウイルスの第三波が警戒されている。政策的な行動変容を求めるのか経済活動を優先するのか決着の難しい議論が毎日のように報道され、そこでは、専門性の相違、事態の受け止め方の違い等によって、さまざまに危機が語られ利害調整を困難にしている様子がうかがえる。もっとも、こうした事態は問題であるから現在の議論が無意味であるというわけではまったくない。ここでは、「経済を回す」と表現されている事態を簡単に解き明かしながら、今後の課題を微弱ながらも考えてみたい。
試みに2020年12月3日時点で、「日経テレコン」を用い、「経済を回す」という用語を記事検索してみよう。日経各紙で65件、そのうち『日本経済新聞』朝刊は29件ヒットした。「経済が回る」であれば、同様に20件、7件であった。重複した記事もあるかもしれない。注目したいことは、第一に、この言葉が、新型コロナウイルスが流行する以前から使われていたことである。筆者が利用した「日経テレコン」は1975年から記事検索が可能であり、「経済を回す」という用語がヒットしたのは、最も古くて1999年10月4日の『日本経済新聞』朝刊で、メルリンチ社のコール氏に対して水野和夫氏が行ったインタビューである「米景気好調どこまで」であった。「経済を回す」は、水野氏の「米国は自国経済を回すのに必要な資金を確保するために、世界に貯蓄を増やしてほしいわけだ」という発言のなかで登場した(注1)。次は2007年の記事だったが、本コラムの主旨に照らしてとりあげたいのは、4番目に古い2011年5月3日の記事である。当時の三菱商事社長がインタビューに応じ、「企業や個人など民間は震災を理由にした過度な自粛ムードを取り払う必要がある。外食など消費で経済を回すことが大切だ」という発言の中で使われていた(注2)。需要の減少を緩和させる意図で表現されたものだろう。現在の使用イメージに近いと言える。そうした意味では、東日本大震災の復興過程では、このような使われ方が少なくとも始まっていたのである。
しかし、第二に注目したいことは、「経済を回す」という表現は、やはり新型コロナウイルスが流行した後、使用頻度が高まったことである。2020年1月1日を下限として検索すれば、「経済を回す」という用語は日経各紙で37件ヒットした。1999年以降で65件ヒットし、そのうち2020年1月1日から12月3日までが37件だったから、新型コロナの流行下で使用頻度は格段に上がった様子が読み取れる。2020年1月以降で最初のものは3月2日の記事であったが、同様に需要の減少を想定した使われ方が行われたのは、4月4日の「ネット通販や地元誘客、活路、観光客急減の飛騨地方、老舗菓子店・旅館など」『日本経済新聞』地方経済部中部であり、全国版の朝刊では4月18日の「米、見切り発車の緩和宣言」であった。アメリカを対象としたこの記事では、「感染拡大を抑えながら経済を回すには感染者を早く見つけて隔離するために」検査が必要だとするハーバード大学の専門家の意見を紹介する文脈で記者によって使われていた(注3)。『日本経済新聞』を資料とした限りでは、2011年の震災後、明らかに需要の減少を解消させるあるいは軽減させる文脈で「経済を回す」という表現が使われ始めていたが、テレビなどの報道番組を介して使用頻度が上ったのは、2020年の新型コロナ対策による需要減少という事態に直面してからだったと考えられる。
産業構成の変化と財政の役割
「経済を回す」という言葉の使用頻度が上がっていることは、2つの点で重要な示唆を与えている。第一に、市場を介した資源配分に傾斜した見方がより定着していることを意味するのではないかということである。「経済を回す」という表現は、市場に委ねた需要回復によって「新型コロナウイルスなき社会」への復帰をイメージし、産業構成の変化を積極的に想定した表現ではないと考えられる。近代社会は市場を介した資源配分の仕組みを発展させたと同時に、企業を主なアクターとする組織の成長を促した。企業は指揮命令系統によって労働を管理・強化し資源のさまざまな結合を実現して、継続的な生産性の向上を果たしてきただけでなく、多種多様な財やサービスを生み出し続け産業構成の変化をもたらしてきた(注4)。高度成長期日本のケースでは、政府が産業構造政策によって産業構成の変化を支えたこともあった。企業を主役とする組織にも注目することによって、産業構成の変化を理解することがより可能になるのである。われわれがもはや農業や漁業に従事する人々が人口の大半を占める社会に暮らしているわけではないこと、また2020年春先、不足に悩まされたマスクは数カ月経ってさまざまな種類が市場に登場したことなどを想起すれば、次の視点も重要である。すなわち、経済は回るだけではなく、変化もするということである。こうした意味では、新型コロナウイルスの終息に黄色信号が灯っている限り、また新たな感染症の脅威を払拭できない限り、これらの条件を想定した産業構成を模索することも無駄な課題ではないのである(注5)。
第二に、「経済を回す」という表現が、市場を介する資源配分機能によって需要を回復させ、ひいては雇用の確保あるいは生活の安定化をイメージしている限りでは、財政の役割に基づいた生活保障の限界を露呈したことも意味しているように思われる。財政負担の加重を警戒する国民も多いだろう。しかし、神野直彦氏の言葉を借りれば、共同体的人間関係を基盤とした「分かち合い」の経済である財政の役割を、我々は改めて意義づける必要があるのではないだろうか(注6)。人為的な有効需要創出や市場機能の回復に委ねた需要回復が感染症対策となかなか両立し得ず、そのうえ産業構成の急速な変化も難しいのであれば、生活保障の重みは忘れてはならないだろう(注7)(注8)。