東日本大震災からの復興政策は、復興庁が2020年12月にまとめた報告書によれば次のようであった(注1)。すなわち、日本政府は、2011年7月に「東日本大震災からの復興の基本方針」をまとめ、2020年度までの10年間にわたる計画を立案した。このうち2015年度までの5年間を「集中復興期間」と位置付け被災地の復旧・復興に集中的な取り組みを実施した上で、2016年3月に残り5年間を「復興・創生期間」として「「復興・創生期間」における東日本大震災からの復興の基本方針」を策定し政策を具体化した。2019年3月には、後者の案を見直し、「復興・創生期間」後の基本的方向性を立案し実行した。
これらの成果は、同様に報告書によれば、「地震・津波被災地域においては、住まいの再建・復興まちづくりはおおむね完了し、産業・生業の再生も順調に進展」し、「復興は総仕上げの段階」にあるとされ、「福島の原子力災害被災地域においては、除染等の取組によって、空間線量率は、原発事故発生時と比べ大幅に減少」し、2020年3月までに「帰還困難区域を除く全ての地域で避難指示の解除が実現し、帰還困難区域の一部でも避難指示が先行解除」され復興・再生が本格的に始まっているという(注2)。
もっとも、これで復興が完了したと総括されているわけではない。2020年12月には、「復興・創生期間」後の基本方針が策定され、被災状況に応じた計画が示された。すなわち、「地震・津波被災地域」に対しては、2021年度から5年間、「心のケア等の被災者支援を始め、今後も一定の支援が必要な事業に取り組む」とされ、「原子力災害被災地域」については、今後10年間にわたって対応するものとされ「引き続き国が前面に立って取り組」み、「新たな課題や多様なニーズにきめ細かく対応」することとなり、復興庁の設置期間も10年間延長された(注3)。震災後の復興をめぐる政策課題は依然として尽きないことがうかがえる。
一方、最近、まとめられた書物によれば、復興政策の過程そのものにも課題があったことが指摘されている。すなわち、復興事業の費用に国費が100%あてられたこと(注4)、行政組織や企業でもない非営利組織(NPO)などのサードセクターが復興を支えたものの、こうした機関の法的な位置付けが不十分であったことのほかさまざまな諸点である(注5)。また、次のような指摘もある。すなわち、復興政策は、その主役を「地域住民」と位置付けたものの、復興の方向性を概念化した「日本のあるべき姿」が明瞭ではなく、「人口増」、「経済成長」、「開発」、「近代化」を目指した「昭和の経済成長」をモデルとせざるを得なかったと考えられること、強権的な行政手法が用いられたことなどの問題点であり、なおかつ復興を遂げた被災地における人口減少および自治体の財政難といった事態は、日本が抱える共通の地域政策課題を露呈しているといった難点も浮かび上がらせたというものである(注6)。
総括には慎重にならなければならないが、自治体および住民の主体性と国の方針をどのようにすりあわせて復興の方向性を模索するのか、また費用をいかに分担するのかといった点に大きな課題を残しつつも、土木建築事業の投入によって復興は大きな形を示すことにもなったのであった。