政策課題として浮上したデフレ
日本経済の長期間にわたるデフレ現象に対する政策的な対応が求められてから20年ほどが経過した。そもそもバブル経済崩壊後の資産価値減少が企業の負債処理を滞らせたことによって、銀行および企業の経営を制約したことが重要な問題であった。デフレが社会問題化したのは、このような事態の転換が重視されたためであった(注1)。すなわち、資産価値を回復させ、不良債権を速やかに処理することによって、銀行の貸出行動および企業の設備投資意欲が積極化することが期待された。ところが、2002年の金融再生プログラムの成果もあって不良債権処理が政策的にも決着がつきはじめた2003年以降も、物価上昇率は抑制的であった上に、経済成長率も低位に推移した(注2)。企業業績は回復に向かった反面で雇用者所得が大きく上昇することもなかった。こうした事態は2019年末においても大差ないものであろう。
2012年に政権を獲得した安倍内閣は、もともと「3本の矢」としてアベノミクスを開始し、大胆な金融政策、機動的な財政政策、民間投資を喚起する成長戦略を進めた(注3)。その後も、2015年に新「3本の矢」および「一億総活躍社会」、2016年に「働き方改革」、2017年に「人づくり革命」などとさまざまな経済政策のスローガンを掲げてきたが、「3本の矢」が打ち出した対策はこれらの基礎となり続けてきたと考えられる(注4)。とりわけデフレの脱却は政策課題として解決が模索され続けた。2013年に黒田東彦を日本銀行総裁に据えて「異次元緩和」と称される量的・質的金融緩和によるデフレ脱却策が採用され始め、形を変えながらも基本路線は継続されてきたからである。
異次元緩和は、やや図式的な理解を示しておけば、次の点で新しさをもっていた。すなわち、マネタリーベースおよび長期国債・上場投資信託の保有額をこの期間に2倍へと拡大し、長期国債買入れの平均残存期間も2倍以上に延長するなどの対策であった(注5)。その意図は、2013年時点で2年後をめどに消費者物価の前年比上昇率2%を目標とするインフレターゲットとでも呼べる対策であった。加えてこの対策は経済成長にも利する可能性が、政策手段として考慮できるし、おそらくそうした効果も次第に期待されたのではないかと思われる。それは次のような含意であった。すなわち、異次元緩和の効果の一つは、金融機関の資金的なゆとりを引き上げ運用先の開拓を促し、なおかつ借り手である企業や家計に対して資金需要を満たすコストを引き下げることにも認められる。とはいえ、ゼロ金利に近い状態が継続していたから、金融政策による操作のみならず資金的なゆとりが金利の引き下げを介して資金需要のハードルを引き下げることは難しい。それでも、政策の意図が理解され将来のインフレ期待が喚起できれば、これに基づいた実質金利の低下によって資金需要が刺激される可能性がある。期待されたもう一方の効果はこうした方向性でもあったと考えられる(注6)。
ところが、こうした効果は、設備投資の若干の増加を除いて(注7)、今のところ大きく顕在化したとは言いきれない。次に、日本経済史の分野の知見を活かして、経済成長の時代が永続的なものではない可能性を視野におさめながら―なかなか今の時代に認めることは勇気が必要なことかもしれないが―(注8)、金利が低いのにもかかわらず借り手が増えないことと、インフレ期待が反映されずに物価上昇が抑制されるような事態が継続していることについて、産業構成の変化と労働力市場の問題のあり方から考えられることを若干、指摘してみたい。
産業構成のサービス化に基づいた資金需要の低下およびデフレ
金利が非常に低い状態である上に、インフレ期待を促し実質金利を引き下げようとしているにもかかわらず借り手が伸びないことは、第一に、資金需要が乏しいことを理由として考えられる。資金需要の減退は、所得の低迷による消費の引き下げと産業構成のサービス化の影響が考えられる(注9)。直接他者に働きかける点に労働過程の主な特徴をもつサービス産業は、素材系の産業や製造業などと比べれば固定資本が比較的少額で済む。あるいは次のように表現した方が理解を得やすいかもしれない。すなわち、1955年から1973年にかけての高度成長期、1974年から1985年あるいは1990年代前半にかけての安定成長期と比較すれば、産業構成のサービス化によって資金需要が強い時代ではなくなってきた可能性が考慮できる。そのため金融政策を介して設備投資を伴うような高い成長率が実現する効果がなかなか発揮されないのではないだろうかというものである。
第二に、産業構成のサービス化とデフレの関連性にも注意を払う必要があると考えられる。この点については、なお議論の余地が大きいので仮説的なものであるが、次のようなことである。すなわち、バブル経済崩壊ののち1990年代後半以降、人件費の継続的な削減は、大手企業が解雇の自由を手にして正規雇用の労働条件をまがりなりにも守った一方で、非正規雇用を増やし続けたことによって20年ほど常態化してきた(注10)。労働組合に必ずしも組織されなかった非正規雇用労働者の利害を反映する政党も登場したとは考えられず、具体策が展開されることは少なかったように思われる。そのうえ、サービス産業は、固定資本の意義が乏しいこともあって、生産性の大幅な上昇を見込みにくく、言わば付加価値の増加率が高くない特徴をもつ。雇用条件の悪化が労働分配率にどのような影響を与えているのか適切に検証する必要があるが、たとえ労働分配率に改善が観察されたとしても、企業利益と給与の原資となる付加価値額が低位に推移していれば所得の大幅な上昇を見通すことは難しいのではないだろうか。このように、雇用条件の悪化と、サービス産業の特性を反映した付加価値上昇率の低さとが、将来不安を払拭できないまま所得形成も難しくしたため、消費の低迷を介しながら、デフレの一因を形成した可能性を考慮できるのではないかというものである。加えてサービス産業が比較的固定資本を必要としないとすれば、それだけ投資需要を減退させてしまう可能性が高く、産業構成のサービス化を遠因とした投資にかかわる需要の収縮も物価下落圧力を加重したのかもしれない(注11)。
もちろん、こうしたことはすでに理解が深められているとも考えられる。日本政府は賃金の引き上げを求める一方、サービス産業の生産性上昇によって経済成長と賃金引き上げの一石二鳥を政策課題とする議論もあるからである(注12)。とはいえ、みてきたように、産業構成のサービス化が、資金需要の低さと給与所得上昇の難しさに影響を与えているうえ政策手段が期待通りの十分な効果を発揮していない局面があるとすれば、デフレ脱却の道筋が容易ではない可能性も高く、むしろサービス産業自体の特性をより一層考察し政策課題や社会問題の見方を相対化する必要もあるのではないだろうか。
サービス産業の発展をとらえるためには
そこで、やや発想を柔軟にして次のような諸点を考えることも重要だろう。少し大胆に言えば、デフレという現象や経済成長という価値観を相対化できるような可能性が、産業構成のサービス化を歴史的に捉えることによって見出すことができるかもしれないということである。第一に、サービス産業の在り方を生産性というものさしで計測することについてである。すなわち、このことは、人的資源の高度化によってサービス産業の生産性上昇が期待できるかもしれないが、反面でこうした産業を測定するものさしとして生産性が適切かどうかを再考する余地があるのではないかということである。もちろん、社会的なサービスの価値を高めるために生産性の上昇が必要なことは充分に認められる。とはいえ、このことはサービス産業の質を表現するうえで最適なのかどうかを考える余地は残してもよい。
第二に、同じことであるが、サービス産業を生産力としていかにとらえるのか、あるいはこの産業の社会的な意義はどのようなものであるか、このようなことを考える視点が重要になるのではないだろうか。すなわち、農林漁業、素材系あるいは機械工業系の産業については、単純な生産数量の把握によって、あるいはある意味では次善の策として価格換算した通貨単位によって産業の質や発展を議論できる可能性が模索され、サービス産業についても同様の手法が基本的には採用されてきたと思われるが、直接、他者に働きかける労働の成果を、数量や通貨単位を利用してどこまで表現できるのかという問題意識である。例えば、宅配便の発展は、労働者1人あたりの売上や利益でもって計測するより、配達個数―これは数量ではあるが―や顧客満足度のような指数を利用した方が質や発展を議論できる可能性もある。スマホのアプリなどについても、ダウンロード数だけではなく実際の利用時間、さらにはフォロワー数とか「いいね」の数で発展を議論する必要が生じてくるかもしれない。サービスの質の変化自体が価格情報に反映されにくいとすれば(注13)、なおのこと発展を計測するものさしの設定には柔軟になる必要があるのではないかと考えられる。
このように考えてくると、生産性や価格情報に反映されない、言わば計測上は眠っているサービス産業の重要性を掘り起こし国民経済上の位置づけを与えていく試みが無意味なわけでもないだろう。アイデアが得られているわけではないので恐縮ではあるが、個別サービス産業の歴史的な分析を通じて、新しい計測手法に基づいた概念設定が可能であれば、産業構成がサービス化した時代を考察するうえで、デフレや経済成長という捉え方を相対化し別の政策課題を発見する道が切り開かれるかもしれない(注14)。われわれは既存の価値観から自由になりながら柔軟な姿勢でもって対応策を模索する必要もあるのである。