新春特別コラム:2018年の日本経済を読む

個人では超優秀な日本人が、企業体になるとなぜ世界に負けるのか;日本企業の極めて低い生産性の背景に何があるのか

岩本 晃一
上席研究員

新春コラムは執筆者個人の責任で発表するものであり、経済産業研究所としての見解を示すものでは有りません。

1 個人では超優秀な日本人

OECDは、72カ国・地域の15歳児に対して、2000年から3年ごとに「OECD生徒の学習到達度調査(PISA)」を行っている。2015年の調査には、世界約54万人が参加、日本からは198校、約6600人が参加した。その結果、

  • 科学的リテラシー 日本 第1位 平均得点538点(OECD平均493点)
  • 数学的リテラシー 日本 第1位 平均得点532点(OECD平均490点)
  • 読解力 日本 第6位 平均得点516点(OECD平均493点)

となった。PISAは、人間の全ての面を正確に評価するものではないが、少なくとも、15歳時点では日本人は極めて優秀であることがわかる。

2 企業体になると世界に負ける日本人-極めて低い生産性-

ところが、超優秀な日本人が大人になり、会社に就職して組織で仕事を始めると、どういう訳かとたんに、アウトプットは貧しくなる。就職した若者は、仕事の手を抜いている訳ではない。毎日夜遅くまで、必死で仕事をしているにも関わらず、組織としてのアウトプットは世界的に見て、極めて低い。いまや日本人の労働生産性の低さは世界的に有名だが、いまだに日本人の多くが日本が世界的に強いと信じ込んでいる「ものづくり」の分野でも、日本人の生産性は先進国のなかで、ほとんどビリに近い(図表1)。一体、日本の企業組織のどこがおかしいのだろうか。先日、ある友人が「うちの会社に入ってくる新人は、入社時は目がきらきらと輝いているが、1年経つと、死んだ魚のような目になる」と言っていた。その表現が必ずしも全ての若者を表現している訳ではないが、一面では真実であろう。

図表1:製造業における生産性の国際比較
図表1:製造業における生産性の国際比較
出所:Christoph Schröder, Produktivität und Lohnstückkosten der Industrie im internationalen Vergleich(2014),IW-Trends.p6

筆者は、これまで長年に渡って「独り勝ち」と言われているドイツ経済の強さを解明することに尽力してきた。ドイツと日本を単純に比較すると、

  • 日本はドイツに比べて、人口が1.5倍、企業数が1.5倍、GDPが1.5倍である。
  • だが、ドイツは日本に比べて、年間労働時間が2/3しかなく、時間当たり賃金が1.5倍もある。
  • 日本もドイツも製造業が主力産業であるが、ドイツの製造業の生産性は日本の1.5倍もある。

ドイツに旅行すれば、すぐにわかることだが、ドイツは日曜日、商店街は全て休みになる。すなわち、365日のうち、1/7は経済活動を完全に休止している。しかも残業しないでさっさと帰って、戸外のレストランでながながとおしゃべりに興じている。それでありながら、「独り勝ち」と言われるほど経済が強力なのである。週末でも、めいっぱい経済活動している日本は、そのドイツの2/3の生産性しかない。「なぜ?」という単純な疑問が、私を動かしてきた動機である。

3 ドイツの経済の強さとは

ドイツ経済の強さは、さまざまな指標を日本経済と比較することで確認することができるが、それは結果であり、知りたいのは、なぜ、そうした高い指標が出てくるのか、ということである。その背景を述べようとすると、筆者の色々な調査から得られる印象論でしかない。未だに、その背景を科学的に証明できている訳ではない。

1)お金を稼ぐことに「素直」「正直」である。国の仕組み全体が、教育も含め、モノを作って世界に売り、お金を稼ぐために出来上がっている。世界で売れる優秀な「made in Germany」の製品を開発し、世界市場で売る、という「基本に忠実」である。ドイツ人に比べて日本人は、お金を稼ぐことを前面に出すと何か悪いことでもしているように感じるのか、社会への貢献を強調したり、本当はお金を稼ぎたい筈なのに、その本心を隠そうとする。

2) 製造業の繁栄こそが、国家の繁栄、国民の幸福、という国民の大きなコンセンサス、自分たちは製造業で食べていく、という国民全体の強い意志、製造業の競争力強化のための投資であれば無条件で容認されるという雰囲気がある。

3)日本人もドイツ人も、考えることはほとんど大差はない。だが、ドイツ人は成果を出すまで最後までやり遂げる、という点が違う。ドイツ人は理論どおりにやれば、理論どおりの成果が出る筈だと「真面目」「愚直」に実行し、そして理論どおりの成果を出している。一方、日本人は、「確かにそれが正論かもしれないが現実には難しい」という意見が「現実をわかっているやつだ」と評価されて会議を通ったり、新しいプロジェクトには熱心だが、一旦プロジェクトが開始すると多くの人が関心を無くしてうやむやになり、やがて次の新しいプロジェクトに熱中するという現象がよく見られる。例えれば、「子供のサッカー」に見える。みんなでボールを追いかけているのだ。

4) ドイツ人は、総論が良ければ、すぐにプロジェクトをスタートさせる。途中で問題が発生すれば、その都度、議論し、方向転換しながら、最終的には、目標に到達してしまう。日本人のように、詰めて詰めて石橋をたたいて渡らない、という性格と真反対である。ドイツ人は、これまでの歴史上、理想と考えられた目標にも何とか達成してきた経験から、自らの能力に自信を持っている。そして、新たな理想が出現しても、すぐにスタートしてしまう。

5) 地方政府(州市)が、お金を稼ぐことに極めて一生懸命である。首長の選挙でも、その点を強調する。一方、日本の地方政府はお金を稼ぐことに無関心である。だが、お金の配分(教育、福祉)には極めて熱心である。選挙でもお金の配分内容を競っている。

ドイツ政府の考え方は、お金があれば何でもできる、お金がなければ、教育福祉も何もできないという単純な発想でしかない。これと比較すれば、日本では、お金はどこからか沸いてくると思っているのか、お金の使い方ばかりが議論の対象となっている。ドイツは、「稼ぎがいい一家の大黒柱」が高く評価される。

6)「働き方」でいえば、某日系ドイツ支社の社長の言葉を紹介したい。「ドイツ人と一緒に働いてみて、その生産性の高さを肌で感じている。彼らは勤務中におしゃべりをしない。朝出勤すれば、その日にやるべきことをどうすれば時間内に終えるかを考え、無駄話せずに仕事し、勤務中にやり終え、終業時間が来るとさっさと帰って行く」「95%の完成度のものを、膨大な時間とエネルギーを使って98%にしない。むしろ創造的なことに時間を使う」「義務的な仕事を早く終わらせて、創造的なことに多くの時間を投じることに価値を見いだしている」。

7) ドイツの大学は無償である。外国人留学生も無償である。上述したように、国全体がお金を稼いで、政府財政にお金があるので、教育はやりたいことができている。学生は企業にインターンに行って、大学に帰ってくるということを何度か繰り返し、30歳くらいまでに、自分に合った仕事場を見つけて就職する。企業にとっては、「必要な人を、必要なときに」雇うのである。何度も大学に帰る事が出来るのも、大学が無償であることが大きい。一方、世界のなかでも特異な日本の「新卒一括採用方式」は、「会社の命令であれば、何でもやります。どこへでも行きます」というゼネラリスト養成を目的としている。日本企業では、スペシャリストはいらないのだ。2つの意見を足して2で割る政治型調整を得意とするゼネラリスト集団である。そのため、現代のような大きな時代の変革の時代にあって、時代を切り拓く専門家がいない。

4 日本人経営者の自信のなさ

今、日本経済は2つの意味で大きな変革の時代、すなわち大きな時代の転換期にある。1つめは、人口減少・少子高齢化が急速に進んでいることである。人口増の時代は、たいした知恵がなくても、商品・サービスを作りさえすれば、なんとなく、まあまあ売れていた。だが、人口減の時代にあっては、市場が縮小しているのであり、本当に知恵を絞り、深く考えなければ、売れる商品・サービスは生まれない。2つめは、第4次産業革命といわれる激しい技術革新である。日本の経営者は、この技術進歩についていっていない。そうした大きな時代の変革のなかで、日本の経営者は、失敗して責任を問われることを恐れ、チャレンジしない。自分の経営者としての任期が終えるのをじっと待っている。その結果、最も大きな影響を受けているのは若者である。企業がほとんど雇用を増やさない、増やしたとしてもその多くは非正規でしかない、という企業の姿勢が、今の若者に対して、将来に対する漠然とした不安を抱かせている。そして、消費よりも貯蓄へ、年金保険支払い率の減少、といった社会問題を起こし、「合成の誤謬」を生み、日本を負のスパイラルへと導いている。

文献

2017年12月27日掲載

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