各国による産業政策の積極的活用
著者の産業政策に関する前稿(安橋, 2021)では、アカデミアと実務の両面で産業政策の役割が近年見直されるようになったことを論じた。その後も多くの研究者が、世界各国で近年実施された産業政策の実態を明らかにしようと試みている。これらの研究(Juhasz et al., 2023; Evenett et al., 2024)によると、輸入関税に代わって補助金や輸出振興政策が頻繁に利用されている、先進国が途上国よりも産業政策を積極的に活用している、産業政策を実施するモチベーションとして国家安全保障やグローバル・バリュー・チェーンのレジリエンスの重要性が増している、低炭素技術、先進技術、半導体などのセクターが対象になっていることなどが判明している。
中国の産業政策とそれへの対応
このように各国の産業政策実施の背景、目的、手段が多様化するようになった要因には、2015年に公表された「中国製造2025」などを通じて、中国が独自の産業政策を積極的に展開するようになったことが挙げられるだろう。中国における産業政策の全貌を詳らかにすることは容易ではないが、それが広大な自国市場に基づく需要拡大型の産業政策であり、産業セクターに「マーシャルの外部性」が強力に働いているとの見解が一般的になっている(梶谷, 2024)(注1)。ここでマーシャルの外部性とは、産業が集積することによるプラスの効果のことで、国内需要を満たす以上の最終需要の増加とともに中間財のバラエティが増加して分業の効果が働き、規模に関して収穫逓増(生産プロセスにおいて生産量の増加につれて生産性が増加し、単位あたり生産コストが低下すること)が生じることをいう。例えば、中国の電気自動車(EV)生産においては、中国政府による購入補助金が上記メカニズムを下支えして高いコスト競争力を実現したとされる。
国際競争力を得た中国製EVへの対応については、既存の世界貿易機関(WTO)の国際ルールから見ると議論のある措置が、米国やEUなどでとられようとしている。具体的に米国では、中国政府の補助を受けて過剰生産されたEVが米国企業や労働者の脅威となっているとの理由で、通商法301条に基づいて中国製EVの関税を2024年中に100%に引き上げることで調整されている。また、欧州連合(EU)も、中国政府による不公正な補助金によって欧州企業に損害を与えるおそれがあるとの理由で、現行の10%に加えて最大で37.6%の関税を上乗せする案を公表している。これに対して中国は、米国のEVなどを推進するインフレ抑制法(IRA)が公正な競争を阻害しているとしてWTOに提訴し、紛争処理小委員会(パネル)の設置を要請した。加えてEUに対しても、上記の関税上乗せ措置をWTOに提訴している。
ただし、このように米国やEUが迅速な対応をとった動機には、WTOの貿易救済措置(具体的には、アンチダンピング措置や補助金相殺関税)が自国の国際産業競争力を取り戻すのには不十分であるとの問題意識があるとみられる。つまり、EV市場での悪影響を示す証拠がデータから示されたときには、相手国産業の生産能力確立によるコスト優位性が既に達成されてしまい、国際競争力の観点から経済的悪影響を止めるには「時すでに遅し」となる懸念もあったと思われる。WTO上の償還請求権(支出した費用分の金銭の返還を求める権利)が過去の損害に遡及的ではなく未来志向的に定められているように、たとえ原告の訴えが認められた紛争解決手続きだとしても、補助金が取り除かれるまでの間でその損害についての対抗措置のみしか許容されないという問題がある(Bown, 2024)。
さらには、こうした国際ルール上の問題も考慮した上で、中国のEV補助金への対応としての関税引き上げは悪手だと断じる論者もいる(Wagner and Wei, 2024)。このような論者によれば、関税引き上げは国内消費者に高価なEV購入を強いるのみであり、国内生産者のイノベーションを必ずしも促進するわけではない。それよりもむしろ、国内生産者への補助金供与こそがイノベーションの加速を実現し、国際競争力の獲得ととともに、より安価かつ性能の良いEVを国内消費者に提供可能となって社会厚生上も望ましいとされる。しかし、このような補助金競争ともいえる産業政策が、国際ルール上も許容されると一概に結論付けることはできない。
産業政策に関わる国際ルールの検討は必須
本稿では主に補助金を取り上げて、産業政策と国際ルールの問題を議論した。「関税及び貿易に関する一般協定」(GATT)の締結以降、WTOの「補助金及び相殺措置に関する協定」(SCM)において補助金規律は強化されてきた。加えて、「環太平洋パートナーシップに関する包括的及び先進的な協定」(CPTPP)が日本など11カ国で発効し、国有企業への補助金規律の強化を含む国際ルールの深化も図られている。
他方で、主として市場の失敗をより積極的に是正する観点から、近年になって産業政策の役割も再び強調されるようになっている現実もある。確かに、マーシャルの外部性に伴う収穫逓増が発揮できるような産業調整が、一国の経済発展にとって有効となる理論的可能性も指摘される。特に発展途上国では、国際ルールの中での「政策スペース」の活用が常に意識されている(注2)。しかし、このような一国の産業政策が国内経済のみならず周辺国や世界の経済にどのような影響を与え、そのプラスおよびマイナスの経済的影響を関係国でいかにシェアするべきかについては、これまで十分に明らかにされているとは言い難い。こうしたことから、安定的かつ予見可能な世界経済および貿易体制を今後も維持していくためには、補助金をはじめとした産業政策に関わる国際ルールが果たす役割を分析し、それを不断に見直していくことは引き続き重要であろう。産業政策は何がどこまで許容されるかに関しては、学術的な知見の蓄積を促進すると同時に、政策関係者の実務面からの検討も引き続き望まれるところである。