新春特別コラム:2024年の日本経済を読む~日本復活の処方箋

政策用語考:「産業協力」

安橋 正人
コンサルティングフェロー

岩崎 総則
コンサルティングフェロー

1.政策用語の中の「産業協力」

国家・政府の政策、とりわけ経済政策において、読者の方々はどのような用語を思いつくだろうか。主なところでは、財政・金融、社会保障、科学技術といった言葉かもしれない。またあるいは、最近話題になっている半導体などの産業競争力という言葉が思い浮かんだ読者もいるかもしれない。ところが、本稿で論じる「産業協力」という用語をあげる人はほぼいないと思われる。筆者たちは、科学研究費助成事業の支援も受けながら、日本の国際産業政策における産業協力について政治経済学的な分析を進めている(注1)。

この「産業協力」は、読んで字のごとく「産業を協力させる」ということ以上に、一見してつかみどころのない用語に聞こえるのではないだろうか。確かに、メーカーとサプライヤーのように、密接な取引関係のある民間企業同士が協力関係を築くことがあろう。他方で、一国が他国にコミットする産業政策は「国家間で産業を協力させる」ことを約束するものであろう。産業協力を英語に訳すると“Industrial Cooperation”と書けるが、これもどのような主体がどのように「産業を協力させる」のか、その意味するところを背景知識なくイメージするのに英語話者も苦労するであろう。

産業協力は、経済産業省(過去には通商産業省)が主に用いてきた政策ツールの1つとみなされているようだが(注2)、この用語の起源は未だ明らかではない。この用語そのものは、第二次世界大戦前から国内産業育成の文脈で使われているようだが、現在のような国際産業政策の文脈と異なるようである。国会会議録検索からは、戦後20年ほど経た1968年(昭和43年)から国家間の産業協力の必要性が国会論戦でも取り上げられている。また面白いことに、過去の新聞の中には「通産省にいわせると、産業協力という言葉は生粋の日本生まれ。『私が名付けの親』と名乗る通産官僚が何人もいる。」という記事も見つかる(注3)。加えて、英文書誌情報の言語データを蓄積したGoogle N-gramを使って英語のIndustrial Cooperationを調べると、19世紀末頃から用語の存在を確認できるが(例えば、イギリス連邦によるアイルランド産業協力、旧ソビエト連邦による東欧諸国への産業協力など)、1980年代に使用頻度のピークを迎えている。これは後述の日米・日欧間の貿易摩擦が影響している可能性がある。

2.日本の産業協力の変遷

国家間の協力の文脈では、経済協力、開発協力、技術協力、国際協力といった用語の方が広く知られているかもしれない。なぜ産業協力が用いられたのか。1つには、日本から他国への具体的協力内容もさることながら、上述の「協力」政策の多くがいわゆる政府開発援助(ODA)の対象となり、通商産業省が単独で実施しやすい政策ツールではないという理由があったと思われる。もう1つは、後述するように欧州などを対象とする「協力」は先進国が対象であるために、既存のODAの枠組みではないことを示す必要があったかもしれない。今日まで続く新興国での国際産業政策の展開にあたっては、これまでも通商産業省は日本貿易振興機構(以前の日本貿易振興会)や海外産業人材育成協会(以前の海外技術者研修協会、海外貿易開発協会)による事業を活用してきた。ただ、日本として広い意味での経済協力とは異なった協力の形態が国際的に必要だったことは、紛れもない事実である。

筆者らの研究によって、日本の産業協力が、時代によって異なる経済・歴史的背景の基に実施されてきたことが、政策担当者へのインタビュー、国会会議録の数量的テキストアナリティクスなどによって明らかになっている。依然として分析の途上であるが、その暫定的な結果を簡単に紹介しよう。

第一に、1970年代頃から日本の経済発展に伴って顕在化した日米・日欧間の貿易摩擦に起因する産業協力である。日米間では、日本側の巨額の貿易黒字が米国に問題視され、繊維、鉄鋼、自動車等の輸出自主規制が実施されたが、米国での現地生産や直接雇用を促進するような直接投資を行う産業協力が模索された。また、半導体分野などでは、日本国内の企業に対して米国製品の活用を奨励するといった産業協力も実施された。欧州との間でも、日本の著しい輸出品の浸透に対して、一部の国ではセーフガードや輸入数量制限といった措置が採られた。こうした問題を踏まえて、1987年に「日・EC産業協力センター」(現在の日欧産業協力センター)が日欧間の合意で設立され、日本の製造プラクティスに関する人材を育成する産業協力などが実施された(注4)。

第二に、1980年代以降に活発になったアジアへの直接投資関係を対象にした産業協力である。1985年のプラザ合意による急激な円高や欧米との貿易摩擦により、日本企業のアジアへの対外進出が進んだ。特にタイ、マレーシア、インドネシア、フィリピン等のASEAN各国は、その人件費等のコストが安価であったことから、日本企業の製造拠点として生産ネットワークの中核的地位を占めるようになった。通商産業省(1994)も指摘するように、日本企業が現地調達・現地生産を進めるにあたって課題となったのが、現地の部品等を供給する裾野産業の育成であり、これらの産業高度化であった。このため、日本によるASEANへの産業協力は、1995年に設置されたカンボジア・ラオス・ミャンマー産業協力ワーキンググループ(その後の日本・ASEAN経済産業協力委員会)(注5)の下で、現地の裾野産業企業の技術力向上・経営支援、産業技術者・経営管理者等の人材育成、日系メーカー企業とのリンケージ強化などを中心に行われた。

第三に、今世紀以降の中東をはじめとした資源国との間の産業協力である。近年になって原油や天然ガス等の原材料価格の上昇が激しくなるとともに、レアアース等の希少資源の安定供給確保も資源政策上の懸案事項となった。日本は天然資源に乏しい国家であり、非常に多くを外国からの輸入に依存している。したがって日本としては、外国での資源開発権益を獲得して開発に参加したり、外交努力でもって安定供給の約束を取り付けるなどの必要に迫られたりしている。他方で、資源国も資源のみに依存した経済構造からの脱却を目指しており、日本がこれら各国との間で必要な産業基盤の形成支援や技術供与などの産業協力を行う余地が生み出されるようになっている。

このように上記のいくつかの簡単な類型だけを見てみても、産業協力という政策用語が時代に応じて変遷し、多様な意味合いを持ちながら、政策ツールとして活用されてきたかを理解できるだろう。

3.新しい形の産業協力に向けて

ここで注意すべきなのは、産業協力の様態はまさにこの現在においても変遷を遂げつつあることである。その1つが、ASEANをはじめとした新興国との産業協力であろう。従来はどちらかと言えば、産業高度化が進んでいる日本が直接投資に資するように、ASEANの産業を指導・育成するという要素が強かった。しかしながら、最新のデジタル・イノベーションを活用した産業化のホットスポットは、今や日本よりもASEANに存在している。こうした事態の進行を背景に、経済産業省も経済政策として「アジア・デジタル・トランスフォーメーション(ADX)」を掲げて、日本企業とASEAN企業との積極的なコラボレーションを推進している。これも広い意味では、日本とASEANとの産業協力と言えるかもしれないが、日本企業がASEANのデジタル産業のベストプラクティスを取り込むという要素も含まれている。さらには、2023年8月に公表された「日ASEAN経済共創ビジョン」(注6)では、日本とASEANの経済関係が変わる中で、「公正で互恵的な経済共創」によって「日ASEANの経済関係を再構築」することを謳っており、産業のあり方も含めた今後の展開が注目される。

以上のように、捉えどころが難しい「産業協力」という政策用語の考察を試みてきたが、これからも新しい形の産業協力にかかる概念が生み出され、それが実際に政策ツールとして実施されると思われる(概念と政策実施は同時かもしれないが)。学界においても、このような政策概念を多面的かつ精緻な観点で分析していくことが必要だろう。

脚注
  1. ^ 日本学術振興会科学研究費助成事業・若手研究「東アジアにおける経済統合と国際秩序形成―国際産業政策の視点から―」(課題番号22K13348)。
  2. ^ 「農林水産業協力」や「防衛産業協力」といった派生用語もあるが、本稿ではこれら用語を取り上げない。
  3. ^ 朝日新聞、1986年4月27日朝刊
  4. ^ 全くの余談であるが、関係者へのインタビューによると、「日・EC産業協力センター」の設立準備にあたり、当時の通商産業省通商政策局内でも「産業協力」という用語の淵源がどこにあるかを調べたものの、結局判然としなかったという。
  5. ^ 1994年にインドシナ・ミャンマー産業協力ワーキンググループとして発足し、1995年にカンボジア・ラオス・ミャンマー産業協力ワーキンググループ(CLM-WG)に改組された。日本とASEANとの間の産業協力促進、競争力強化、新規加盟国の開発協力支援がその主な目的とされた。その後1997年にCLM-WGは発展的改組が行われ、日本・ASEAN経済大臣会合(AEM-METI)の下に、日本・ASEAN経済産業協力委員会(AEM-METI Economic and Industrial Cooperation Committee: AMEICC)が設立された(第1回会合は1998年11月)。
  6. ^ 以下の経済産業省ホームページを参照のこと。
    https://www.meti.go.jp/press/2023/08/20230822005/20230822005.html
参考文献
  • 通商産業省(1994)、『ASEAN産業高度化ビジョン―産業政策のススメ』、通商産業調査会

2023年12月22日掲載

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