博士課程卒業者は不遇か?―「就業構造基本調査(2022年)」からの観察―

森川 正之
所長・CRO

日本の研究力の低下、その一因として博士課程進学者の減少が指摘されている(科学技術・学術政策研究所, 2023)(注1)。そうした中、ここ数年、政府の「骨太方針」は、博士人材の育成や支援に言及している。特に2023年の「骨太方針」は、優秀な若者が博士を志す環境を実現するため、「博士課程学生の処遇向上、挑戦的な研究に専念できる環境の確保、博士号取得者が産業界等を含め幅広く活躍できるキャリアパス整備等」の支援を強化すると述べている(注2)。こうした動きを見ると、博士課程卒業者は労働市場において不遇な状況にあるという印象を受けるが、実際はどうなのだろうか?

高学歴者の賃金に関する研究

欧米では博士学位を持つ労働者の賃金に関する実証研究がいくつか存在し(e.g., Jaeger and Page, 1996; Walker and Zhu, 2011; Engbom and Moser, 2017)、博士の賃金が修士よりも高い―「博士賃金プレミアム」が存在する―ことを明らかにしている。例えば、米国を対象としたEngbom and Moser (2017)は、博士の賃金が修士に比べて47%高いことを示している。

日本における大学院卒業者の労働市場成果を、四年制大卒者と比較した研究は、近年いくつか行われている(e.g. Morikawa, 2015; 安井, 2019; Suga, 2020)(注3)。これらの研究によれば、各種個人特性をコントロールした上で、四年制大学卒と比べて大学院卒業者の賃金は20%~30%高く(大学院賃金プレミアム)、また、就労率も高い。その結果、大学院進学に伴う投資―授業料および在学中の逸失所得―の収益率は、10%~20%前後とかなり高い。しかし、これらの研究は、データ制約のため修士卒と博士卒が区別されていないという大きな限界がある。

筆者は、日本の労働者を対象に、博士と修士を区別した独自の調査を行った(2017年および2021年)。そこから得られたデータを基に計算すると、各種個人特性をコントロールした上で、博士賃金プレミアム(対修士)は、男性で15~20%、女性では40~60%だった。ただし、両年とも博士卒のサンプルは100人強(修士卒は約400人)で、特に女性の博士卒は20~30人にとどまるので、強い結論を導くのは無理がある。

博士卒は60歳以降の就労率が高い

2022年に実施され、最近集計結果が公表された「就業構造基本調査」(総務省)は、テレワーク、フリーランス、副業といった最近の労働市場において重要性が高まっている事項を調査項目に加えたほか、学歴区分を細分化して大学院を修士、専門職、博士に区分した。人的資本投資が重視される中、極めて有用な改善である。同調査は日本を代表する労働市場の構造統計で、対象は15歳以上の約108万人と大規模なので、サンプルサイズの問題はない。

そこで、公表された集計データから可能な範囲で、博士卒の労働市場成果を修士卒と比較してみる。在学者の中にも有業者はいるが、ここでは卒業者に絞って観察する。全有業者に占める博士卒のシェアは男性1.0%、女性0.3%で、修士卒はそれぞれ3.9%、1.7%である。

年齢別に有業率を見ると、男性は60歳以降、博士卒の有業率が修士卒を大きく上回っており、女性は全ての年代で博士卒の方が高い有業率である。60歳以上の有業率を修士卒と比べると、男性は6.6%ポイント、女性は10.1%ポイント高い(図1参照)。

図1:60歳以上の有業率
図1:60歳以上の有業率
(注)対象は「卒業者」で、在学中の者は含まない。

博士賃金プレミアムは大きい

次に、仕事からの年収を比較する。性別、年齢別、学歴別カテゴリーの人数をウエートとして、年収(各カテゴリーの中央値を対数変換)を被説明変数とするシンプルなWLS推計である(注4)。その結果によると、年齢をコントロールした上で、男性は43%、女性は64%の博士賃金プレミアム(修士卒比)が存在する(図2参照)(注5)。職種(大分類)を追加的にコントロールしても、男性38%、女性49%の博士賃金プレミアムが見られる(注6)。

図2:博士・修士の賃金プレミアム
図2:博士・修士の賃金プレミアム
(注)四年制大学卒との比較での修士卒および博士卒の年収。

年齢層別に有業率に年収を掛けた上で累計することで、就労確率を考慮した上での生涯年収を概算できる(注7)。そうした計算をすると、博士卒の生涯所得の平均値は修士卒よりも男性で31%、女性は57%高い。割引率を3%として生涯所得の現在価値を計算しても、男性で16%、女性は31%高い。つまり、博士課程に進学することで3年間分の逸失所得が発生するが、そのマイナスを折り込んだ上で、生涯を通じた所得はかなり多い。前述の海外の研究結果と比較しても、決して小さくない。平均的に見る限り、日本において博士課程進学は効果が高い人的資本投資で、特に女性において顕著である。

なお、博士卒の就労者の産業・職種の分布は、修士卒とかなり異なっており、産業別に見ると「学校教育」、「医療業」の2業種だけで男性60%、女性68%に上る。職種別には、男女いずれも専門的・技術的職業従事者のシェアが非常に高い。高いスキルを身に付けた人たちなので、当然と言える。さらに細分化すると、「研究者」、「医師」、「教員」の3職種だけで博士卒の有業者全体の60%強を占めている(表1参照)。

表1:学歴別の有業者の職種分布
表1:学歴別の有業者の職種分布
そこで専門的・技術的職業に絞って計算すると、男性で44%、女性は74%の博士賃金プレミアムがある。逆に、専門的・技術的職業以外の職種(管理職、事務職、生産工程職等)だと、男性39%、女性48%の博士賃金プレミアムである。いずれにおいても博士卒が修士卒に比べて高賃金であることが確認できる。

残念ながら、公表データで年収が観察できるのは職業大分類までで、研究者、医師、教員の3職種はいずれも「専門的・技術的職業」の中に含まれている。このため、公表データからはより細分化した職種レベルで博士卒と修士卒の比較はできない。ミクロデータを用いてより詳しく分析することが望ましいが、おそらく本質的に異なる結論にはならないと思われる。

おわりに

もちろん、博士課程卒業者の中にも、非正規労働者(男性10%、女性24%)、年収300万円未満(男性10%、女性33%)の者が一定数存在する。従って、産業界における博士卒の正社員採用拡大を促進するのは望ましい。また、奨学金制度や日本学術振興会の特別研究員制度等によって、能力があるにもかかわらず資金制約によって進学できない学生を支援することは重要である。しかし、「就業構造基本調査」(2022年)の公表データから見る限り、少なくとも「平均的」には博士課程卒業者が不遇とは言えず、むしろ高い労働市場成果である。優秀な若者には積極的な進学を期待したい。

脚注
  1. ^ ただし、足下(2020年以降)で修士課程修了者の進学率は微増している。これが新型コロナの影響による一過性のものなのか、持続性のある反転なのかは注視する必要がある。
  2. ^ これに先立ち、「研究力強化・若手研究者支援総合パッケージ」(2020年1月、総合科学技術・イノベーション会議)は、わが国の研究力を総合的・抜本的に強化するため、博士後期課程学生の処遇の向上、産業界による理工系博士号取得者の採用者数の大幅拡大、研究環境の充実(研究時間の確保と施設の共有化)といった施策を掲げている。
  3. ^ サーベイ論文として、乾・池田・柿埜 (2021)を挙げておきたい。
  4. ^ 年収の最上位カテゴリーである「1,500万円以上」は、1,750万円として処理している。
  5. ^ サンプルが正規職員・従業員に限られるが、経験年数(継続就業期間)を追加的にコントロールしても、博士賃金プレミアムは男性42%、女性51%である。
  6. ^ もともと能力の高い人ほど修士課程、博士課程に進学するのではないか、という議論があり得る。しかし、大学院賃金プレミアムに関する先行研究によれば、そうしたセレクション効果の影響は限定的である。
  7. ^ 修士卒は25歳から、博士卒は28歳から就労するとして計算している。
参照文献
(邦文)
  • 乾友彦・池田雄哉・柿埜真吾 (2021). 「高等教育と生産性・イノベーション」, RIETI Policy Discussion Paper, 21-P-009.
  • 科学技術・学術政策研究所 (2023), 「科学技術指標2023」.
  • 安井健悟 (2019), 「大学と大学院の専攻の賃金プレミアム」, 『経済分析』, 第199号, 42-67.
(英文)
  • Engbom, Niklas and Christian Moser (2017). “Returns to Education through Access to Higher-Paying Firms: Evidence from US Matched Employer-Employee Data.” American Economic Review, 107 (5), 374-378.
  • Jaeger, David A. and Marianne E. Page (1996). “Degrees Matter: New Evidence on Sheepskin Effects in the Returns to Education.” Review of Economics and Statistics, 78(4), 733-740.
  • Morikawa, Masayuki (2015). “Postgraduate Education and Labor Market Outcomes: An Empirical Analysis Using Micro Data from Japan.” Industrial Relations, 54(3), 499-520.
  • Suga, Fumihiko (2020). “Returns to Postgraduate Education in Japan.” Japanese Economic Review, 71(4), 571-596.
  • Walker, Ian and Yu Zhu (2011). “Differences by Degree: Evidence of the Net Financial Rates of Return to Undergraduate Study for England and Wales.” Economics of Education Review, 30 (6), 1177-1186.

2023年9月5日掲載

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