2021年9月16日、ついに中国が、環太平洋パートナーシップに関する包括的及び先進的な協定(CPTPP)加入を申請した。昨年11月、習近平国家主席がAPEC首脳会議においてCPTPP加入を公言した際は、米国主導で交渉され、このもっとも高水準の自由化を求められる通商協定に中国が社会主義市場経済(巷間「国家資本主義」とも言われているが)体制のまま加入するのはとても現実的ではない、というのが筆者の率直な感想だった。
しかし、RIETIの研究会で渡邉真理子(学習院大学教授)が加茂具樹(慶應義塾大学教授)との分析結果を共有してくれたことを機に中国の「本気」を確信した筆者は、加茂、そして中国通商法・経済法に精通した川島富士雄(神戸大学教授)にも参加を依頼して議論を重ね、その成果を9月初旬に4名の共著でポリシーディスカッションペーパー「中国のCPTPP参加意思表明の背景に関する考察」(RIETI PDP 21-P-016、以下「PDP」)として取りまとめた。第4オーサーにして、今回は裏方として「プロデューサー」業務が中心の筆者が共著者を代表するのは僭越ではあるが、PDP刊行の矢先に中国が加入を申請し、図らずもタイムリーな情報発信となったので、このコラムではPDPの議論を広く紹介すべくその要点を平易に紹介し、中国の加入に対して我が国、そしてCPTPP締約国が取るべき指針を提言したい。なお、PDP、本コラムに関連して、併せて共著者の情報発信にも注目していただければ幸いである。
渡邉真理子 Mariko Watanabe (@suneko13)
加茂具樹 慶應義塾大学総合政策学部 加茂具樹研究室
川島富士雄 Fujio Kawashima's Blog
中国の確固たる政治的意思と戦略 ―「制度に埋め込まれたディスコース・パワー」の拡張―
我々が中国の「本気」を確信した理由のひとつは、冒頭の習主席に加え、李克強首相も中国はCPTPP加入にオープンであると言明しており(2020年5月29日、全国人民代表大会後の総理記者会見)、国家最高レベルでの政治的意思表示が認められたことによる。加えて、中国共産党中央政治局常務委員会や全国人民代表大会(全人代)といった最高レベルの意思決定機関が審議・承認に関わった複数の文書においても、CPTPP加入を目指す方向性が明確にされていた。特に法治中国建設規画(2020-2025)(2021年1月)、全人代常務委員会工作報告、第14次5ヵ年計画(それぞれ2021年3月)では、「依法治国」の推進を標榜し、国際ルールの形成・援用をツールとして国際社会における自国利益の伸長を図る中国の姿勢が明確にされている。CPTPP加入もその一環として位置づけられる。
こうした中国の強い政治意思の基底にあるものは、「制度に埋め込まれたディスコース・パワー」の拡大・追求である。噛み砕いて説明するなら、中国としてはグローバル経済秩序形成における発言力を高め、そうした秩序形成に決定的な影響力を有する「大国」(major power)となることによって、国際社会において自国権益を拡張することを意図している、ということになろう。その動機は、中国が抱く「不安全感」、これも平易に言い換えるなら、中国の利益に適わないパクス・アメリカーナを基礎とする既存の世界秩序に埋没することへの警戒感にあり、中国はその既存秩序の書き換えのために「制度に埋め込まれたディスコース・パワー」を追求する、と説明できる。CPTPPについても、そこに参加することにより、アジア太平洋自由貿易地域(FTAAP)に連なるアジア大洋州の経済秩序形成に影響力を発揮することを目指していると言える。
CPTPP加入の障壁
しかしこうした中国の思惑の一方、社会主義市場経済体制を取る中国にとって、現行のCPTPPの遵守は容易ではない。たとえばCPTPP労働章では、団体交渉権等の労働基本権の保障や強制労働の廃止が求められているが、自発的な労組結成の権利が認められず、労組が中華全国総工会の統制を受ける中国には、同章は極めて高いハードルになる。また、電子商取引章についても、中国のデータ保護主義ゆえに、データ移動の自由やデータローカリゼーション要求禁止の充足は困難である。国有企業については、国有企業改革3年行動方案(2020 – 2022)では、中国政府がCPTPP加入を意識して国有企業章整合性を確保すべく、競争中立性確保を進める意向が見て取れる一方、国有企業の安全保障上の重要性も強調しており、予断を許さない。
仮に米国が先にCPTPPに加入すると、こうしたルール面でのハードルはいっそう上がる。かつて米国は、TPP12においてベトナムやマレーシアの労働法制の具体的な課題について改善を求め、強制力のある二国間合意(サイドレター)を交わしたが、米国はCPTPPに復帰すれば、同様の約束を中国にも迫るだろう(特にウイグルの強制労働問題)。さらに、バイデン大統領の民主党政策綱領(Party Platform)から明らかなように、米国は今後の通商協定締結において、労働、環境、人権を重視し、米国・メキシコ・カナダ協定(UCMCA)レベルの規律を目指す。実際、米国はCPTPPについてもこの水準に引き上げる再交渉なしに加入しないことを明らかにしており、特に労働章がUSMCA水準に引き上げられることは、中国にとって極めて厳しい結果となろう。だからこそ、中国は米国不在のCPTPPに加入を果たすことが必須になる。
中国加入なら高レベルの約束と履行確保が大前提
中国をCPTPPに入れるべきか、入れざるべきか—この問いについてPDPでは、CPTPP を「西側と中国との価値観の違いを強調するために設けられたのではなく、公正な競争などを確保するための具体的な要件」(PDP 39-40頁)と捉え、中国加入をアプリオリに排除する立場には立たない。ただし、筆者個人としてもう少し踏み込んで言えば、中国に対しては、そのかぎりにおいては躊躇なく厳しい加入条件を求め、またCPTPPの側も中国の協定履行を確保できる体制を整えることが必須と考えている。
具体的に言えば、第一に、加入のハードルを維持することである。この点はPDPでも触れたが、2019 年に採択されたCPTPP加入手続5.1条は、加入希望エコノミー(CPTPPでは台湾や香港といった独立関税地域の加入を想定し、「国」ではなくこのように表記)に、「全ての既存のルールに従うための手段」、つまり協定遵守確保の具体的な見通しや手順を示すこと、また「各締約国にとって商業的に意味のある市場アクセス」、つまりは個々の現締約国すべてを満足させる市場開放を提供することを求める。このベンチマークは2021年6月の英国の加入手続開始決定に関する第4回TPP委員会決定にも具現化されているが、加入交渉開始にあたり、特に英国の協定遵守の能力と意思が重視されている。この英国の加入プロセスが先例となれば、中国は同様の水準でCPTPP上の義務の完全実施に明確な道筋を示すことを求められ、さらに100%に近い関税の削減・撤廃、加えて国有企業規律や投資・サービス自由化等の例外も最小限にとどめることが求められる。こうした現締約国の姿勢は、PDP刊行後に発出された第5回TPP委員会閣僚共同声明でも明らかにされている。
この点については、オーストラリアのテハン貿易相が、5G通信網からの排除や新型コロナウイルスの起源に関する再調査要求に端を発する数年来の通商摩擦について、改めて中国に対応を求めており、中国の通商ルール遵守の実績として、この問題への対応を重視すると述べている(時事2021.9.17)。こうした課題が残されたままでは、英国同様の協定遵守の意思・能力を中国にも認めることは、困難であろう。
第二に、中国が2001年にWTO加盟の際に用いた議定書方式の採用を提案したい。中国のWTO加盟議定書は単にWTO協定上の義務の履行を確認するだけでなく、貿易権や価格統制といった個別制度に関する協定整合性確保の具体的約束、さらには輸出税廃止やダンピング防止税調査における非市場経済国扱いなどWTO協定プラスの規律を含む。CPTPPでも同様の議定書を作成し、きめ細かい実施を約束させるとともに、必要に応じて、CPTPPプラスの約束を取りつけることもあり得る。たとえば国有企業関連では、現行規定においては適用対象外である政府系ファンドや広範な留保が可能な地方国有企業に関する競争中立性確保、国有企業と民間企業の独禁法や環境法など規制上の無差別の実現、また電子商取引関連では、データへのガバメントアクセスに対する範囲の明確化や制限などが考えられる。
また、これらの加入条件の履行確保には、固有の監視メカニズムが必要になる。中国のWTO加入条件の履行監視を試みた経過的審査制度(TRM)は、中国の非協力的な姿勢や有効な制裁を伴わない制度的欠陥のため、十分には機能しなかった。この点、たとえば上記のTPP12における米越労働サイドレターは、米国側の関税引下げとベトナムの労働法整備・改正をリンクさせており、同様に中国と現締約国の約束の履行をリンクさせる履行確保メカニズムの導入は一案であろう。
こうした対応は中国に対して厳しく、時に差別的に映るが、中国は多くのCPTPP締約国とはまったく異なる経済体制を採用し、しかもGDP世界第2位の経済超大国であって、既に市場経済が浸透している国、また経済規模の小さな国の加入と同列に語ることはできない。中国に構造改革を促し、CPTPP域内での公正かつ自由な競争が機能する環境を整え、個々の現締約国にとって少なくとも経済的には懸念なく中国を迎え入れるインセンティブを与えるために、少なくとも筆者個人としては(PDPの他の共著者はともあれ)、こうした対応が必要と考える。さもなくば、既にCPTPPに加入し、開放的な経済体制を有する国々は、期待した利益を中国の加入から互恵的に得ることは困難である。
最後に、もとより脆弱なCPTPPの執行・監視制度の強化が必要になる。目下その実効性が厳しく問われているが、とりあえずWTOには貿易政策検討機関、常設の理事会・委員会、事務局が日常的・行政的な協定履行監視を実施できる体制は整っている。他方、CPTPPには閣僚レベルのTPP 委員会のほか、各章の規定により設置される小委員会、さらにはTPP委員会の権限によって設立される小委員会(2021年8月設置の電子商取引小委員会)があり、TPP委員会に合わせて適宜開催されているようだが、WTOの各種機関のような頻度は期待できず、事務組織の補佐も議長国・寄託国による限定的なものにとどまる。紛争解決手続も、準司法的なWTO手続との比較において、迅速なパネリストの選任や履行確保の面において劣る。また、その手続の詳細も定まっていない部分があり、今後は検討手続やその他の実務的規則の策定を通じて手続の実効性を高め、利用実績を積み上げる必要がある。
迎える日本の覚悟と戦略
「米国はTPPの加盟国ではないので、中国が加盟する可能性については加盟国の意見を受け入れる。」「インド太平洋で経済連携を強化するためにあらゆる選択肢を検討している。貿易は唯一の選択肢ではない。」(サキ大統領報道官)—この微温的なコメントに現れているように、米国は少なくとも部外者として表向きは傍観の姿勢だ。ことここに至っても、環境、労働に関する規律がバイデン政権の要求水準に達しないことを理由に、CPTPPへの早期復帰には慎重姿勢を貫く(日経2021.9.17)。
しかし米国は、締約国でこそないものの、もし中国のアジア太平洋での影響力増大を脅威とみなし、そのCPTPP加入を阻止したいのであれば、いわゆる「毒素条項」でUSMCA離脱のプレッシャーをかけることでカナダとメキシコを、またクワッドやAUKUSといった安全保障上の協力枠組みを通じてオーストラリアを、それぞれ中国の加入を阻む勢力として動員できる。同様の圧力は日本にもかかることは必至であり、中国との経済的相互依存と米国との安全保障上の同盟関係のはざまで、日本は難しい舵取りを迫られることになろう。
実際、今回の中国の加入申請には、日米分断を図る「くせ球」という見方もある(日経電子版2021.9.17)。申請のタイミングが、中国の補助金に関する米国による新たな対中301条調査開始の示唆から1週間後、AUKUS発表当日であることが、余計にこうした意図を窺わせる(World Trade Online 2021.9.17)。中国の申請のタイミングに政治的意図を感じ取るなら、米国は警戒感を強めるだろう。もっとも、今月13日、ASEAN+3経済大臣会合はRCEPの発効目標時期を2022年1月に設定し、見通しが立ったので、RCEPからCPTPP、そしてFTAAPへの道筋を描く中国としては、たまたま申請がこのタイミングだった、ということかも知れないが。
こうした地政学・地経学的な議論を門外漢の筆者がこれ以上論じることは差し控えたいが、中国の加入を認める立場でも、排除する立場でも、加入のハードルを高水準に設定し、ルールの問題として議論することを当面の日本の対中戦略の基軸に置くべきことには変わりない。中国は、WTOにおいても途上国優遇の享受をめぐって米国と対立するが、CPTPPでもベトナム、ブルネイ、ペルーあたりを引き合いに、一定の義務の緩和や例外の拡大を求めるかもしれない。しかしそのような要請に応じることなく、中国が締約国への多様な政治圧力によって不完全な履行での加入をなし崩し的に認めさせる、あるいは楽観的な例外規定の拡大解釈で乗り切ることを目論むなら、毅然と対応すべきだ。中国加入を支持する野田自民党幹事長代行は、その目的は「世界経済の安定のため」であると言う(時事2021.9.17)。そのためには、社会主義市場経済体制は維持しつつも、開放性の高いCPTPPエコノミーとのインターフェイスを構築し、公正な競争が行われる条件でのみ、中国の加入は許されるべきだ。
当面はいつ中国の加入手続開始の可否を決定するかが焦点となる。CPTPP加入手続2.1条によれば、加入申請後「合理的な期間内に」手続開始の可否を決定しなければならないが、英国の場合、これが4ヶ月だった。ただし、同手続1.1条は、申請前に「非公式に全てのCPTPP署名国と意見交換することが奨励される」と定める。この点、日英関係では、日英EPAの締結によってCPTPP水準のルール遵守がある程度確保されており、更に閣僚レベルでの接触(西村・トラス会談)も公式に行われている。中国もこの間一部締約国と接触していることは報道されているが(東洋経済オンライン2021.5.19)、広く11カ国とこのような協議を行った形跡はなく、少なくとも日中では表立ってこのような接触は確認できない。こうした事情、更には中国の国内制度や経済体制の現状を踏まえ、将来の再申請に含みを持たせた上で、今回は一度中国に差し戻すことも一案かもしれない。