「三本の矢」政策パッケージへの期待とリスク

後藤 康雄
上席研究員

「背水の陣」としての政策転換

新政権が打ち出しているマクロ経済政策、いわゆる「アベノミクス」の出足が好調である。為替、株式の両市場が大きく反応して円安、株高が進んでおり、すでにこれだけでも輸出企業の収益改善や家計等の資産効果の景気押し上げ効果が期待できる。大胆な金融政策、柔軟な財政出動、成長戦略からなる「三本の矢」政策は思いのほか成果をあげているといえる。

期待の高まる今回の政策パッケージは、バブル崩壊後の長期的な経済政策の流れからみても、その持つ意味合いは重い。「失われた90年代」を余儀なくされたわが国は、小泉政権時の「小泉改革(2001~2006年)」、民主党政権による「政権交代(2009~2012年)」という政策の大転換に期待し、相応にそれらを実行してきた。しかし、おそらく大方の国民にとって、少なくとも景気浮揚策やデフレ脱却策としての成果は期待ほどではなかったのだろう。今回の「アベノミクス」への熱い期待は、その反動という側面がある。

バブル崩壊後の90年代以降、幾多の政権によってさまざまな経済対策が講じられてきたが、今回の施策は、大規模な政策転換として、いわば「三度目の正直」にあたる。この間、一貫して財政状況は悪化の道をたどり、通常の感覚ではすでに抜き差しならない段階に入りつつある点も考え合わせると、アベノミクスは"背水の陣"の政策といえる。

期待への働きかけの重要性

今回の柱の1つであるデフレ脱却策、すなわちインフレ・ターゲットを中核とするマクロ政策は、考え方自体は分かりやすく、また正統的な経済学の論理にのっとったものである。「期待への働きかけ」という部分が最重要ポイントだが、経済における期待の果たす役割の重要性に異論を唱える専門家は少ないだろう。何らかの理由で人々がインフレに向かうと信じ込めば、企業などの価格設定が徐々にインフレ指向になり、自己実現的にインフレになる公算が大きい。

あくまで結果論であるが、「物価の番人」たる日本銀行自身が"デフレ期待"を強めてしまった面は否めない。「金融政策に出来ることには限界がある」という主張を繰り返し、特に2008年のリーマンショック以降は、欧米の金融政策よりも後手で消極的な印象を与えてしまった。もちろん日銀に言い分があることは理解できる。政府の財政再建がおぼつかないなか、いたずらに金融緩和への期待を定着させてしまうと、単なる財政ファイナンス(放漫財政の尻拭い)に陥る可能性は高い。デフレ期待を定着させた責任が、政府と日銀のどちらにあるかの判断は難しいが、いずれにせよ根強く定着してしまったデフレ期待の転換には、相当なサプライズが必要になりつつある。

壮大なる賭け

期待への働きかけの序幕は、順調な滑り出しをみせている。しかし、今後を展望すると、今回の政策パッケージは、歴代政権のとってきた経済対策とはやや次元の異なる大きな課題を抱えている。これには短期的(5年程度)な視点と、長期的(10年単位)な視点のものがある。短期的な課題としては、このまま政策がうまくいき、いざ経済の"体温"である物価が本格的に上昇してきたときの対応である。特に長期金利が上昇し始めた段階での政策運営を誤ると、財政赤字の累増(やその懸念)を通じて、一気に財政不安を招くリスクは少なからず識者が懸念するところである。今はうまくかみ合っているようにみえる金融緩和と財政拡張が、手のひらを返したように長期金利の高騰を招く悪材料へと様相を転じかねない。

さらに長期的な視点でも課題がある。もし今回の大胆な政策が所定の効果をあげない、あるいは上記のような好ましくない事態を招いた場合、その後の政策をどう設計するかである。すでに"聖域なき構造改革"、"戦後政治の大掃除"を経たにもかかわらず経済の低迷を抜け出せずにいたわが国は、今回、劇薬ともいえる政策パッケージに経済運営を委ねた。それがうまくいかなかった場合の将来像は非常に描きにくい。このように後が無い、という意味で、今回の政策パッケージは壮大な"賭け"の要素を多分に含んでいる。

筆者は、だから今回の政策は問題であってやめるべきだ、といいたいわけではない。むしろ、折角うまくいきかけている政策を本格的なよい軌道に乗せる方向に知恵を絞るべきと考えている。そのためには、"賭け"の要素をなるべく小さくすることが重要であり、短期的な視点でいえば、財政不安を招かないための努力が、長期的な視点では三本目の矢である成長戦略が鍵を握っている。特に後者については、もともと、「先進国では人口成長率の低下やイノベーション余地の縮小などから、おしなべて経済成長力が低下し、さまざまな問題(金融危機等)の土壌を形成している」という主張は根強かった。2011年に話題となったタイラー・コーエン著『大停滞』などはこの流れの代表である。もしもこれが"不都合な真実"なのであれば、現在進めている政策は一時しのぎでしかなく、いずれ我々は財政や社会保障をはじめ、経済全体の設計を抜本的に修正する必要が出てくる。

政策に危うさが垣間見えた場合の"コンティンジェンシープラン"がしっかりしていれば、安心して政策を遂行できるという意味で、それもまた政策の成否を左右する重要な「期待」ルートといえるのではないだろうか。

2013年3月19日

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2013年3月19日掲載

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