最低賃金の引き上げは若年労働者の雇用機会を奪う

川口 大司
ファカルティフェロー

2007年の最低賃金法の改正以来、地域別最低賃金は上昇を続けている。2005年に668円であった平均最低賃金は2011年には737円に上昇した。おおよそ10%の上昇である。政府は最低賃金を上げることでワーキングプア対策を行おうとしているのだが、最低賃金引き上げによる低技能労働者の雇用への悪影響も心配されている。特に経験が浅く技能が低いと思われる10代の労働者への影響が最も心配されるところである。この懸念の妥当性を検証するため、森悠子氏と筆者は2007年から2010年のデータを用いて、最低賃金引き上げの16-19歳男女の雇用率への影響を分析し、経済産業研究所におけるワークショップ「最低賃金改革」で発表した。

地域別最低賃金10%引き上げにより16-19歳男女の雇用率は5.3%ポイント前後低下

分析の結果、地域別最低賃金を10%引き上げると、16-19歳男女の雇用率は少なくとも5.3%ポイント低下することが明らかになった。16-19歳男女の2006-2010年における平均雇用率が約17%であったことを考慮すると、無視できない大きさであるといえる。このような副作用をもたらさないワーキングプア対策として慎重に設計された給付付税額控除制度を導入すべきである。

最低賃金の引き上げ幅の大きさと10代男女の雇用率の変化の関係は次のグラフで明らかである。

2007‐2010年における最低賃金の変化と就業率の変化
グラフ:2007‐2010年における最低賃金の変化と就業率の変化

グラフの横軸は2007年と2010年の最低賃金の自然対数値の差である。東京都や神奈川県の約0.1という数字はこの3年間で最低賃金がおおよそ10%引き上げられたことを意味する。東京都と神奈川県で引き上げ額が大きいのには制度的な理由がある。2007年から施行された新最低賃金法では、最低賃金額を設定するにあたって、生活保護水準との逆転現象の解消が求められるようになった。この生活保護水準の計算のなかには住宅扶助が含まれており地域差が大きい住宅費が反映されている。そのため住宅費が高い地域では、最低賃金と生活保護基準の逆転幅が大きくなり、その解消のために最低賃金が大きく引き上げられることになったのである。東京都と神奈川県以外でも、最低賃金の引き上げ額が大きい都道府県は法改正前に生活保護との逆転現象が顕著だったという傾向がある。

グラフの縦軸には16-19歳男女の就業率の2007年から2010年にかけての変化をパーセント・ポイントの変化で示してある。東京都や神奈川県では16-19歳男女の就業率がおおよそ5ポイント低下したことがわかる。また、グラフ全体を見ても横軸の最低賃金引き上げ幅と縦軸の16-19歳男女の就業率の変化にはおおよそ負の関係があったことが見て取れる。

2007年から2010年という期間は金融危機の影響で労働市場が極端に冷え込んだ時期をふくんでおり、その影響に地域差があった可能性もある。そこで、最低賃金引き上げの影響が直接及ばないものの、労働市場全体の状況を反映すると思われる30-59歳男性の失業率を景気循環の指標として用いて、その影響を調整した分析を行った。結果は冒頭に述べたように地域別最低賃金を10%引き上げると、16-19歳男女の雇用率は少なくとも5.3%ポイント低下するというものであった。また、16-19歳男女の就学率には地域差があるので、その要因をも制御したが結果はほとんど変化しなかった。

日本でも給付付税額控除の導入を通じた本格的な貧困対策に取り組むべき

最低賃金の引き上げによってワーキングプア対策を行うことには、10代男女の雇用機会を奪ってしまうというコストが伴うことには注意が必要である。日本政府は、最低賃金を平均賃金で割った指標がOECD諸国のものと比べて低いことを指摘し、最低賃金引き上げの必要性を示唆している。しかし、先進ヨーロッパ諸国をはじめとして多くのOECD諸国が深刻な若年失業問題に直面していることを忘れるべきではない。また、この問題解消のため、OECDは「未熟練で低技能の労働者への雇用意欲をそぐことがない水準に最低賃金が設定されていることを確認すること」を各国政府に提言している(5月にメキシコで開かれたG20労働担当大臣会合を前に発表されたプレスリリース)。この提言に私たちも耳を傾けるべきである。

もちろん最低賃金が影響を与える層は10代の男女だけではない。最低賃金が上がることで、雇用を失わずに賃金が上がる労働者もいるわけで、その人々が貧困世帯の構成員であれば、最低賃金引き上げが貧困世帯対策になる可能性もある。しかし、これについては可能性を議論するだけではなくて引き続き実証分析を行って結論を出していく必要がある。

最低賃金の引き上げに警鐘を鳴らすとワーキングプア対策が必要ないと主張しているように思われがちであるが誤解である。問題はワーキングプア対策をどのように実現していくかである。貧困世帯の労働者に対しての実質的賃金補助を行う制度として給付付税額控除があり、米国や英国ではすでに一定の成果を上げている。この制度は単純に言うと国民の税負担で貧困世帯の労働者の賃金を補助しようとする制度である。賃金補助であるため生活保護のように受給者の勤労意欲をそぐという副作用が小さい。日本で導入しようとすれば、財源の確保、納税者番号制度の導入、世帯ベースでの課税・給付に向けての税改革といった数々の難問をクリアしていかなければならない。さらに導入後に賃金補助が低技能労働者の労働供給を促進し賃金を下落させてしまう可能性にも目を向けないといけない。給付付税額控除には困難が伴うとはいえ、国民的な課題である貧困対策を雇用主負担で行わせようとする最低賃金の引き上げだけでワーキングプア対策を行うのはその副作用を考えるととても難しい。道のりは遠いが給付付税額控除の導入を通じた本格的な貧困対策に取り組むべきである。

2012年10月9日

2012年10月9日掲載

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