「東アジア経済統合」構想の陥穽―拡大する世界経済の不均衡が示唆するもの―

谷川 浩也
上席研究員

今日、ASEAN+3を核とする東アジア経済統合に対する経済界および関係諸国の期待と関心は極めて強い。日本政府もこれを受けて、通商面でのFTA交渉および金融面での為替協力・債券市場育成協力を中心に本格的な推進体制に入っており、特に共通通貨構想まで視野に入れた後者の進展の早さには目を見張るものがある。勿論、このような強いモメンタムが働く背景には、高成長を続ける東アジア経済の将来に対する確かな信頼と域内国境措置の撤廃による新たな経済発展のフロンティアに対する強い期待がある。

東アジア経済統合の自己完結性

しかし、単純に域内の経済障壁を撤廃していくことで、東アジアにおいても将来的にEUや北米のような自律的な経済圏の構築が可能になるのだろうか。10年前の秋、ASEAN+3諸国を含むアジア太平洋諸国は、「ボゴール宣言」において遅くとも2020年までに域内貿易投資の完全自由化を達成し、APEC圏内での経済共同体を確立することを目指したが、その背景には政治安全保障上の文脈のみならず、経済的文脈においても、北米を含むことによって初めてこの地域が経済圏としても完結するという認識があった。このような認識は、既に過去のもの、或いは無用の長物になったのであろうか。

勿論、筆者は今に至るまでの関係諸国政府のご奮闘やご苦労を承知しないわけではない。筆者は、東アジア諸国が70-90年代の欧州や米州諸国と同様に、域内自由化を推進すること自体の意義を否定するものではないし、97-8年のアジア危機の経験が米国に頼らない形での域内金融・為替協力の必要性に関する合意形成を促した経緯も合理的だと考えている。また、上述のAPECが自らの限界によって域内の貿易投資自由化の推進力を失い、またWTOにおける新ラウンド交渉が行き詰ったことが地域的取り組みを加速した側面もあり、単純なAPEC/WTO回帰が代案になる訳ではないとも考えている。

にもかかわらず、今再び筆者が「東アジア経済統合の自己完結性」というやや古典的な問いを発する理由は、東アジア経済躍進の基本的メカニズムが内包するさまざまな不均衡が近年限界に近づいている兆候が見られ、その持続可能性に疑問があることにある。この意味では、今の繁栄の基本的メカニズムを前提とする統合構想は、あくまで過渡的なものにすぎない。制度的な国境障壁の撤廃と金融通貨協力の枠組みづくりを超えて、持続可能で自己完結的な東アジア経済発展のメカニズムを構想し、統合後の東アジア経済に関する確かな展望を持つことは、今まさに求められている政策思考ではないだろうか。

東アジア経済・中国経済躍進の基本メカニズムと蓄積する不均衡

多くの経済史家が明らかにしているとおり、戦後日本の復興と繁栄を支えたものは、基本的に米国の戦後政策によって作り出された。初期においてはガリロア・エロア等復興資金の供与と朝鮮特需が厳しい経済安定化のショックを和らげ、その後は参入を許された巨大な米市場への工業品輸出の拡大が高度成長への足がかりとなった。そして、後者を支えたシステム的な基礎が「貿易(経常取引)の自由化」、「資本取引の制限」及び「固定為替レートの採用」からなるブレトン・ウッズ体制であった。

このブレトン・ウッズ体制は非常にうまく機能し、日本および西ドイツを経済的に早期に復興させ、力強い同盟国とするという米国の目的は見事に達成された。しかし、他方でこれら周辺国に対する寛大な市場開放と割安な為替レートの許容は、米国の恒常的な経常収支赤字を生み出し、このシステム発足から約四半世紀後の1971年に、スミソニアン体制への移行(ドルの実質切り下げとフロート制への移行)という形で終結した。

この間もその後も、日本経済は程度の差こそあれ基本的に米国市場依存という体質を抜け切れていないが、実は日本の後を追って経済発展の途を歩んだNIESおよびASEAN諸国においても、「雁行的発展」という形で投資や技術は主に日本(後に日本および米国)から取り入れつつも、生産した製品の輸出市場としては、圧倒的に米国に依存していた。この意味で、80年代から90年代にかけての東アジア経済は、「自己完結的」なものとは到底言えず、北米をその中に含めて初めて完結した自律的経済圏と認識できる実態にあった。そして、これがAPECでの貿易投資自由化が自然な政策アジェンダとなった背景でもある。

90年代半ば以降、この実態に大きな変化があったのだろうか。既に見たように、97-8年のアジア危機は1つの転機ではあったが、これによってこのような経済の実態が変わった訳ではなかった。もし、経済の実態を変化させた可能性があるとすれば、それは90年代半ばから急激に顕著なものとなった「中国の台頭」であろう。

近年の中国経済の目覚ましい発展は、その貿易構造に象徴的に現れている。世界輸出における中国の比重は、1990年の1.7%から2002年には6.0%に、世界輸入におけるそれは、1990年の1.3%から2002年の4.1%にそれぞれ大きく伸びており、同時期に減少した日本、微増に留まるNIESおよび倍増には及ばないASEANと比較しても突出している。しかも、輸出品目に占める電気・電子機械を中心とするハイテク製品の割合が過去5年程度の間に急増している。他方、発展する経済は大都市部を中心に多数の富裕層・中間層を生み出し、莫大な消費市場としての中国に対する関心も高まった。このような諸傾向は、高い技術力と高レベルの人材を擁する個別企業(多くは民営企業・郷鎮企業)又は個別事業所の事例紹介と相まって、これまでとは異なる自律的で自己完結的な東アジア経済像を造り出し、他方で中国脅威論の根拠ともなってきた。

フランスの政府系研究機関であるCEPIIは、近年この点に関して非常に興味深い研究成果を次々に発表している。それは、SITC6桁という非常に細かい製品分類に遡り、中国を巡る域内外の製品貿易および部品貿易の流れを把握することによって可能になったものであり、通常の貿易統計を眺めているだけでは知り得ない「躍進する中国の実像」を明らかにするものである。その実像とは、近年の中国の急激な輸出の伸びと輸出品目のハイテク化は、2002年においてもその殆どがFDI(海外直接投資)を通じて東アジア全域に形成された電気・電子機械中心の生産流通ネットワークに中国が組み込まれたことによるものであり、しかもその中で中国が占める付加価値は、莫大な低賃金労働力供給に依存したアセンブリー部門に限られているという。即ち、中国は日本、NIES等から高価な部品や半製品を輸入し、それを製品に組み立てて、割安な固定レートの下で米EUに輸出している(=三角貿易構造)だけであり、この意味で既に見た戦後の東アジア経済の米国市場依存構造は全く変化していないことになる。

中国が本格的な経済発展を開始したのが80年代半ばだとすれば、それから既に20年程度を経過した中国を巡る準ブレトン・ウッズ体制に蓄積された不均衡の歪みもまた巨大である。まず、2003年で対GDP比5%にも達している米国の巨大な経常収支赤字の存在とそれに大きく貢献している1000億ドル(2002年IMF統計)もの対中貿易赤字がある。しかし、中国の対世界貿易黒字は約200億ドル強に過ぎず、その差は主に対アジア諸国で計上している巨額の(部品)貿易赤字である。この意味で米国の巨額の貿易赤字は、実質的には、生産流通ネットワークによって地域ごと巨大な工場のようになった東アジア全体に対するものと考えることも出来る。逆に、このことは、何らかの特別の原因又は自然な経済メカニズムの作用により、米国の巨額の対中貿易赤字が維持できなくなった場合、その影響が東アジア全域に及ぶことも意味している。

東アジア経済・中国経済が直面する持続可能性の問題と経済統合の展望

近年の中国経済(およびこれに牽引される東アジア経済)の躍進は、米国の大幅な対中貿易赤字に支えられていることを見たが、これがどのくらい持続可能であるかは、米国の莫大な経常収支赤字の持続可能性に依存する。これが東アジア経済が直面する第一の持続可能性の問題である。ブレトン・ウッズ体制の崩壊を含む過去の先進国の大幅な経常収支赤字調整の歴史と対GDP比5%という過去最大の赤字幅からは、そう遠くない時期の大幅なドル安調整も連想されるが、現実はそれほど簡単ではない。というのも、70-80年代と異なりフェルドシュタイン=ホリオカの指摘したホーム・バイアス(国内貯蓄の大部分は、資本移動が自由でも国内投資に向かう傾向)の減少した今日の金融資本市場においては、経常収支赤字を上回る資本の流入は十分可能であり、これがある限り、大幅なドル安などの調整は必然的ではないからである。他方で、ドルペッグを維持するために多額の介入を行い、外貨準備を蓄積した東アジア諸国政府が、政策意図によって積極的に米国債を購入して資本を還流させている現実もある。しかしながら、近年の多くの研究によっても、現在の米国の巨額の経常収支赤字が長期的に維持困難であることが示されており、その時期と調整のプロセスについて異論はあるものの、何らかの調整が不可避であろうという点においては、コンセンサスがあると考えられる。

第二の持続可能性の問題は、三角貿易そのもの、或いはそこに組み込まれた中国経済の持続可能性である。既に見たように、中国は生産流通ネットワークのうちアセンブリー部門投資を大量に受け入れ、輸出大国への道を駆け上がったが、その背景には税制等の面での過度のインセンティブによるディストーションが存在する。勿論、さまざまな規制や慣行により国内市場が完全な単一市場とはいえない現状にあることや都市部対農村部を中心とする所得格差もまた無視し得ない不均衡である。何よりも、消費がわずか40%で投資が何と40%、輸出入総額の対GDP比率が59%といういびつな総需要構造は、明らかに持続困難であり、遠隔地での教育社会インフラ整備投資を含む格差是正と内需主導による成長軌道への修正が中長期的に不可欠の課題といえるだろう。

このほかにも、上記不均衡を是正する上での為替調整や政策調整の有るべき姿、調整後の東アジア諸国の為替レジームのあり方など検討が深められるべき課題は多い。当面のFTA交渉と為替金融協力を加速することの重要性は言うまでもないが、長期的には過去20-30年の東アジア経済躍進を可能にした基本的パラダイムは持続困難であり、今後は単なる統合促進を超えた「新たなパラダイムに関する政策構想」がますます重要になってくるだろう。

なお、来る6月17-18日に経団連会館において、RIETI政策シンポジウム「新たな世界的不均衡とアジアの経済統合」が開催される予定であるが、同シンポジウムの問題意識にもあるとおり、これは上記のような考察を含む現在の世界経済・東アジア経済が直面するいくつかの構造問題を明らかにするとともに、その帰結として予想される世界経済の調整の実像と望ましい政策対応のあり方を検討するものである。

本稿では、同シンポジウムで議論の深まりが予想される諸論点のうち、特に近年の中国経済の躍進を可能にした国際貿易・金融上の不均衡という視点から、直面する問題の構造と経済統合への含意について紹介した。読者各位の上記コンファランスへの積極的なご参加をお待ちしている。

2004年6月8日

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2004年6月8日掲載