ロシアとは何か?
欧州がロシアに投げかける視線は複雑である。日本の論調を見ていると、「ロシアが大国としての自信を取り戻し、エネルギー資源を政治的に利用している」「ロシアの政治的な振る舞いに対する警戒が必要だ」といったものが散見されるが、それほど単純に整理することは重要なポイントを見逃す可能性がある。
欧州にとってロシアとは何か? この問題に関する完璧な答は見出されていない。そもそも、欧州一体としてロシアをどう位置づけるかという問題設定に無理があるのが実情だ。エネルギー安全保障の問題に限定しても、欧州委員会がいくら「欧州共通のエネルギー政策」の旗を振っても、現実には各国の主権に関わる問題として各国がそれぞれの立場からエネルギー安全保障問題に取り組んでいる面が強く、したがって、ロシアとの関係も一様ではない。
たとえば、ドイツは「エネルギー資源の豊富なロシアとの関係を強化することが、エネルギー安全保障に資する」との基本的な発想に立脚しているように見える。2005年にロシアのガスプロムとドイツのE.ON他による合弁企業(NEGP)が設立され(会長はシュレーダー元ドイツ首相)、ロシアとドイツを直結するバルト海海底パイプライン建設が開始されたのは、その一例である。
他方、地理的にもっと西に位置する欧州各国では「ロシアに依存せず、エネルギーソースを多元化することがエネルギー安全保障に資する」との基本的な発想がある。アルジェリア等の北アフリカからの天然ガス輸入を拡大しようとする動きは、ロシアとの関係を抜きにしては理解できないのである。
こうした基本的な構図の中で、2006年、そして2009年と、ロシアからウクライナ経由での欧州へのガス供給が停止する事態が発生し、欧州では「ロシアに頼りきるのはやはり危険ではないか」という議論が高まった。「ロシアがエネルギー資源を政治的武器として利用している以上、これに対抗することが必要だ」というわけだ。欧州委員会でも、この立場からの議論が提起された。
しかし、事態をよく見ると、むしろロシアの行動は「エネルギーの政治的利用をやめて(国際価格よりもずっと安価な特恵的価格でのエネルギー提供をやめて)、通常の国際市場価格での取引を行うことを目指している」と理解したほうがよくわかる。ロシアが政治的にエネルギーを利用したといえるのは、ウクライナやベラルーシに対して特別に安価な友好価格でガスを提供してきたことであって、そこから市場価格での取引に変更しようとする動きは、むしろ政治的利用を停止して経済的利益を優先しようとしたものだと理解するほうが現実に近いと思われる。
こうした現実に根ざして、「ロシアとの経済的関係を深化させることでエネルギー安全保障を図る」という基本路線は、欧州委員会などでの議論とは別に、現実の企業間提携という形で着実に進められている。それは、ドイツ企業のみならず、ロイヤル・ダッチ・シェル(英蘭)やENI(伊)といった、国家がロシアへの依存を警戒している国の企業によっても進められているのである。彼らからは「ソ連時代を含めて何十年もエネルギー供給者として安定してきた相手を信頼すべきだ」という声すら聞かれる。
新たな脅威
しかし、ここにきて、ロシアに関する新たな脅威が浮上している。今般の国際経済危機によって、エネルギーの国際市場価格が急落し、ロシアの収入も急減している。また、ルーブルの為替レートも大幅に減価している。こうした状況にあって、「ロシアの資源エネルギー開発やインフラ更新に十分な投資がなされるのか?」という懸念が強まっているのである。
従来から「ロシアが豊富なエネルギー資源を有しているにしても、その開発やメンテナンスのための十分な投資が行われているのか?」という懸念は時々指摘されてきたところであるが、今般の国際経済危機は、この問題を強く意識させることになったのである。
もちろん、国際的な景気悪化によってエネルギー需要自体が停滞するので当面は問題にはならないという考えもあろう。しかし、エネルギー資源開発の投資に要する懐妊期間を考慮に入れれば、着実な投資が行われなければ将来に禍根を残す可能性が高い。
ロシアの大手企業であるガスプロムにしても、実はさまざまな形で政府にキャッシュフローをいわば召し上げられてきており、十分な投資余力があるわけではないとの指摘もある。こうした中、資金繰りのために膨大な資金が日本から貸し付けられているという声も聞く(さまざまな交渉のレバレッジとしての意味もある一方、資源価格が低迷する中では相当のリスクもあると思われるが、その当否はここの主題ではないので論じない)。
いずれにせよ、ロシアの資源開発やエネルギーインフラ更新のために十分な投資資金があるということではなさそうであり、このままでは「信頼できるエネルギー供給者としてのロシア」が、政治的な要因ではなく経済的な要因によって幻想となる可能性がある。これこそが、欧州で意識されている新たな脅威である。ロシアを信頼できるエネルギー供給者たらしめるために、欧州でどのような動きが今後出てくるのかについては、注目しておいてよいだろう。
なお、投資不足の懸念は、ロシアに限るわけではない。欧州にとってロシアがエネルギー供給者として大きな存在であるからこそ問題がクローズアップされつつあるだけであって、今般の経済危機に直面して、必要なエネルギー開発やインフラ整備のための投資が不足してしまう可能性はいずれの国においても多かれ少なかれある。いずれの国にあっても、財政政策を発動しようとするならば(あるいは他国に援助を行おうというのならば)、その対象メニューについてよくよく検討することが重要だろう。