RIETI海外レポートシリーズ 欧州からのヒント

第十回「『派遣切り』切り?!」

白石 重明
コンサルティングフェロー

「派遣切り」切り?

長く続いた好況の後、急速に景気が悪化している。このような時への備えとしてこそ導入されたはずの「派遣社員」等の非正規雇用者が、契約にしたがって(!)失業に追い込まれている姿が喧伝され、これを何とかせよという声が高まっている。「派遣切り」切り、とでもいおうか。製造業への派遣禁止など、具体的な提案も出ているところだ。今回は、この問題について欧州からヒントを提出してみたい。

話の始まりは経済グローバル化

さて、話の始まりは、経済グローバル化だったはずである。技術の発展などによって、ヒト、モノ、カネが国境をたやすく越えて移動するようになった。しかし、実際には、カネが瞬時にグローバルに移動するのに対して、ヒトは労働力であると同時に生活者でもあるから、なかなかそうもいかない。世界の(日本を含めた世界の)カネは、より高いリターンを求めて世界中を動きまわり、人件費が高いところにはよりつかなくなる。資本と労働との分配において有利なところへとカネは集まる。このところの日本の労働分配率の低下傾向も、こうした大きな物語の中で理解ができよう。しかも、このような経済グローバル化は、いい悪いの問題ではなく、現実の現象である。誰もこれを止めることはできない。そのような中で、日本経済が生き残るためには、硬直的で高くつく労働を何とかせねばならない。以上のような理由で、労働市場の柔軟化・自由化を進めたのではなかったか。

だとすれば、いま、「派遣切り」を切ろうとするならば、この元々の問題への気配りが必要なはずである。単純に「派遣はなしにして、みんな正社員でいきましょう」となれば、経済グローバル化の力学により、外国のカネも、日本のカネも、より有利な国外へと向かうだけであり、その結果として日本経済は不活性化するだろう。正規雇用だけしかだめだというならば、現在、派遣社員等として働いている人々が失業するだけではなく、中長期的に失業率が高止まりする可能性がある。特に経済グローバル化の中で、最も厳しく国際競争にさらされている製造業への派遣を禁止するならば、製造拠点はこぞって国外へ、ということになりかねない。

新自由主義?

だからといって、新自由主義者がいうように「だからこそ、ここではもっと自由化を進めるべきなのだ」というのは妥当だろうか。彼らは「正社員になる道もある。派遣という道もある。そのような制度設計の下で、どれだけ努力したかによって待遇が異なるのは当たり前であり、自己責任というものだ」という。確かに、一部では、正社員の抱える「重たさ」(サービス残業への圧力や出世をめぐる組織内の政治などなど)を嫌って、正社員への登用を断って派遣にとどまる例も少なくなかったという話も聞く。「いいところ取り」はできないという意味では、自己責任という側面もあろう。

しかし、第1に、経済グローバル化におけるヒトの移動は、ヒトが労働力であると同時に生活者である以上は、おのずと限界があるはずである。「海外から安価な労働力を流入させ、賃金の高い日本人はそれにふさわしい職場を海外に求めよ」などと嘯くのは、ありもしない「フラット」な世界を前提とした議論であり、まっとうな政策論議たりえない。

第2に、ヒトが容易に移動できないということを認めるならば、どのような社会に生まれついたか、そこにどのような境遇で生まれてきたか、といったことは事後的な自己責任論では語りつくせない問題である。実際問題として、現代日本は、そうした自己責任論を正当化しうるほどには、自己責任で努力すれば上昇できるような状況にはないと思われる。もちろん、自らの努力によって道を拓いた人々もいるが、そうした例があるからといって皆が「JAPANESE DREAM」を信じることにはならない。

第3に、現実問題として、既に日本社会は、振り子が新自由主義的方向に触れすぎており、社会としての安全・安定を損ないつつあるように思われる。「誰でもいいから殺したかった」というのは、その極端な一例である。このような現実を前に、ドグマティックな自己責任論を振りかざしてみても、少なくとも政策論としてはむなしかろう。

バランスを図ることこそが現実的政策

結局のところ、この問題は、いかに適当なバランスを図るか、というシジフォスの神話にも似た努力を継続する他に現実的な解はないと思われる。ドグマティックな議論(あるいは一時の人気取り的な議論)は、百害あって一利なしであり、むしろ、他国や過去の例を丁寧に検分することで、あるべきバランスを見極めていくほかはない。

その意味では、欧州はヒントの宝庫である。現在、欧州でも景気悪化に伴って失業者が増大しているが、その様相はそれぞれの政策を反映して異なっている。たとえば、フランスでは、雇用保護が手厚いが、その反面として若年層に失業が偏っている。24歳以下の失業率は、実に18%となっており、全体平均の倍以上である。いったん採用したら解雇は難しいとなれば、企業が新規採用に慎重になるのは当然であり、そのよい実例がフランスなどだ。労働市場が柔軟である英国でも失業率が上昇しているが、その構造と意味合いは、フランスなどとは異なるのである。

欧州の経験にかんがみれば、確かに、現在の日本の状況は改善を要するが、だからといって一方的に雇用を安定化=硬直化させることの副作用に目をつぶることも正しくないだろう。日本国内を見渡せば、実は人手が足りないというところもあるようだ。政府による最低限のセーフティ・ネットの存在を前提として、非正規雇用者への配慮をやや強めるにしても(解雇予告や補償の強化)、一方で雇用のミスマッチを丁寧に、しかしダイナミックに図る(それは、ある意味で日本の産業構造の転換を図ることでもある)という政策が、現時点の日本に求められる政策的バランス感覚ではないだろうか。

2009年1月14日

2009年1月14日掲載

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