RIETI海外レポートシリーズ 欧州からのヒント

第二回「戦略的な“攻め”のM&Aのススメ」

白石 重明
コンサルティングフェロー

欧州M&A事情

今回はM&Aのお話をしたい。世界的なカネ余りを背景としてM&Aの話題が華やかである。日本でも、いわゆる三角合併の解禁もあってM&Aが注目を集め、実際にもブルドッグソースの買収の一件や、急速に成長してきたミタルが日本の鉄鋼メーカーを買うのではないかといった議論が話題になった。そこには「外資の脅威に対抗する本邦企業」というドラマ仕立ての様相もあり、確かになかなか見ごたえもあるようだが、欧州から見ていると少し違う物語も見えてくる。

唐突だが、パリのシャンゼリゼ通りといえば観光名所の1つとして名高いところだ。ここに最近改修されたルイ・ヴィトンの店がある。観光シーズンには入場制限が行われるほどの人気である。欧州系のブランドは、このユーロ高にもめげず人気が高いが、なかでもルイ・ヴィトンといえばブランド・ビジネスの典型的な成功例だろう。ドルガバ(ドルチェ&ガッバーナ)は知らなくても許されるかもしれないが(もはや許されないか?)、ヴィトンを知らないでは許されまい。しかし、このルイ・ヴィトンがM&Aで急成長した企業グループの1ブランドであることをご存知だろうか。

「モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン」という。LVMHといったほうがとおりがいいかもしれない。この企業グループは、1)モエ・エ・シャンドン(シャンパン)やヘネシー(コニャック)といった飲料ビジネス、2)ルイ・ヴィトン、フェンディ、セリーヌ、ロエベ、クリスチャン・ディオール、ジバンシィ、そしてケンゾーといったファッション・ビジネス、3)タグ・ホイヤー、ゼニス、ショーメといった時計関係ビジネス、などを要する巨大グループである。あのブランドも傘下にあったか、と驚かれるブランド名はなかっただろうか。ちなみに、グループの売上高は150億ユーロを超えており、1ユーロ=155円とすると2兆3000億円超である。

LVMHを率いるのは、ベルナール・アルノー氏というフランス人である。彼は、1985年にクリスチャン・ディオールという有名ブランドを抱えるブサックという会社を買収したのを皮切りに、1989年にはLVMH(1987年にモエ・ヘネシーとルイ・ヴィトンが統合して誕生)を買収するなど積極的なM&Aによって急速な成長を実現した。その過程で「伝統ある○○を、新興勢力に売り渡していいのか!?」などという議論がまじめになされた形跡はあまりない。

同じフランス系だから抵抗がないのだろうと思われるなら、リシュモンの例もある。リシュモンはスイス系の企業グループで、買収につぐ買収によって現在ではカルティエ、ヴァンクリーフ&アペル、クロエ、ランセル、ジャガー・ルクルト、ピアジェ、ダンヒル、モンブラン、IWCといった数々のブランドを傘下に有している。その買収の歴史において「伝統ある○○を外国勢力による買収から守れ!」という抵抗の議論が盛んであったということはなさそうだ。

さらに例をあげれば、日本でもよく知られているパリの老舗デパート「プランタン」は、2006年にイタリア人実業家が買収してオーナーに納まっている。同デパートが誇るステンドグラス・ドームはフランスの重要文化財扱いだが、それでもプランタンが外国人の手に渡ることについて大騒ぎがあったとは聞かない。日本では「ソースの作り方も知らないファンドに云々」という議論も聞かれたようだが、どうもM&Aに対するスタンスが基本的に違うようだ。

もちろん、M&Aの内容によっては、欧州でも大きな抵抗や関心を呼ぶ事例もある。たとえば、2006年春、ドイツのエネルギー最大手企業E.ONがスペインの電力最大手エンデサの買収を提案したが、スペイン政府やエンデサ主要株主の意向などでスムーズに進まなかった。2007年2月にはE.ONによるエンデサへのTOBが実施されるに至ったが、イタリアの電力最大手企業ENELがエンデサ買収に参入するなど買収環境が悪化、結局のところ、4月にE.ONは買収提案を撤回してしまった。こうした動きの背景には、エネルギーセキュリティ上の考慮からスペイン政府が外資によるエネルギー企業の買収に好意的ではなかったという事情があるといわれている。

また、電力・ガス企業についていえば、EU内で供給事業を行う者(EU外企業を含む)がEU域内のネットワークを保有することを禁じるオーナーシップ・アンバンドリングを原則とするなど、ロシア系企業の積極的な買収意欲に対する実質的な防衛策をEU委員会は提案するに至っている。もちろん、EU委員会はロシア企業への差別化ではなく内外無差別化のためと説明しているが、すでに同条項を「ガスプロム条項」という名称で呼ぶ関係者は少なくない。

しかし、このようなエネルギーセキュリティとか国防上の問題がない場合に、M&Aに対する拒否反応というのは、日本ほど強いとは思われないのである。実際、欧州ではEU統合、ユーロ導入などの事業環境の変化を背景として、クロスボーダーを含むM&Aが活発に行われてきた。世界のクロスボーダーM&Aは、ここ10年来、米国関係と欧州関係がだいたい二分してきたといっても過言ではない。欧州企業は、ビジネス上の競争の厳しさを現実を通して知り尽くし、M&Aを企業戦略の1つとして明確に意識しているように見える。

日本企業に期待される“攻め”の姿勢

他方、日本では、一部の例外を除いて、M&Aというと「脅威」「防衛」「拝金」という言葉が連想されるようだ。企業戦略としてM&Aを積極的に位置づけていこうという意識は、まだまだ低いのではないか。たとえば、とあるフランス人は「ミタルがアルセロールを買収する際に、どうして新日鉄はアルセロールの買収に出てこなかったのか?」と真顔で訝る。M&Aを戦略として位置づけている彼らからすれば、こうした疑問は当然に出てくるものなのだろう。実際、その後のミタルと新日鉄のやりとりをみると、彼らの疑問ももっともではないか。もちろん、東芝によるウエスティング・ハウスの買収、JT(日本たばこ産業)による英国タバコ産業大手ガラハーの買収、そして日本板硝子株式会社による英国ガラスメーカー大手ピルキントンの買収など、欧米企業流のM&A戦略を立案・実行している日本企業も存在している。しかし、なおこうした動きは少数派で、いかにM&Aの脅威から企業を防衛するか、という議論をしているのが多数ではないだろうか。

言い古されていることだが、株価が割安とならないよう、企業の力を出し切るような経営を緊張感を持って行うことが最高の企業防衛策である。そうした経営努力のコンテクストにおいて、さらにM&A を企業戦略の1つとして明確に位置づけて活用していく「攻め」の姿勢が重要ではないか。日本銀行が過剰流動性を供給し続けてきたのに、それが外資ファンドなどの円キャリートレードに使われるばかりというのでは(そしてそのために円安バイアスがかかって外資から買われるばかりというのでは)、寂しい。国際的な金融情勢に変調が見られる中、国際的なM&Aについても潮目が変わるという予想が強いが、だからこそ、しっかりとした企業戦略の1つとして攻めのM&Aを位置づける発想が求められよう。ちなみに、ユニクロでおなじみのファーストリテイリングが、バブル・オイル・マネーと競り合った挙句にニューヨークバーニーズの買収を断念したことを日本のマスコミは「失敗」と称するようだが、むしろ戦略的M&Aを試みて合理的に撤退判断をしたという意味において「ナイス・トライ」というべきだろう。各分野で国際的なビジネス再編が進みつつある今、日本企業がどのような動きを見せてくれるのか期待したい。

2007年10月9日
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2007年10月9日掲載

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