IoT, AI等デジタル化の経済学

第201回「なぜ日本人の生産性はドイツ人の半分なのか(3)- 失われた30年を生み出した大きな要因 - 」

岩本 晃一
リサーチアソシエイト/立命館アジア太平洋大学

2 調査の結論(続き)

現在、日本人の生産性が低い要因として、人々の間で語られているものを以下に列挙する。

第一に、企業の経営者がリスクをとらずに保身化している

経営者の本来の役割は、リスクをとって新しいことにチャレンジし、将来の糧を生み出すことであり、そのために高い地位と高い収入が与えられている。だが、その立場を守るためにリスクを避けて保身化している。自分が経営者である間は無難に過ごし、会社を辞めてからは会社で何が起きても自分の責任ではないと考え、保身化している。自分が何か判断し、決断し、実行して失敗したら、自分が責任をとることになり、リタイア後の安泰な生活を失ってしまう。

人間関係重視、忖度(そんたく)重視、仕事よりも和をもって尊しとなすとの風潮がある。採用に当たって体育会系を重視したため、会社全体が体育会系と言われている。自ら判断せず、「横並び」、「バスに乗り遅れるな」、が判断基準である。あの会社が始めた、ということが自社も始める判断材料であった。高度経済成長時代、「横並び」、「バスに乗り遅れるな」という言葉が、日本企業の中やマスコミなど国内中で使われていた。これまでこのような判断方法で誰も責任をとらなかったのが日本企業である。市場が成長していたときはこの方法でよかったが、低成長時代になると、自分の頭で考えないといけなくなった。だが経験がないために自分で判断できないし、自分の進退をかけてリスクのある判断ができない。

今や、人間関係でなく、高い専門能力でグローバルな国際競争を勝ち抜かなければならない時代である。だが、いまだに昭和時代の日本固有の古い感性や人間関係でグローバルな国際競争を生きて行こうとする経営者が多い。企業内に専門性を持つ経営者がいないことは、経営者の選抜方法に問題ありとの指摘もある。

第二に、企業のパフォーマンスに結びつかない無駄な作業が多い

組織の中だけで閉じた仕事が多い。例えば、幹部説明資料や内部打ち合わせ資料は、3枚で十分なところ、30枚、ひいては100枚を作成させ、結局、実際には3枚しか使わなかったということが多い。

また資料の完成度も、内部用検討資料なので、90%で十分なところ、95%、ひいては98%を要求され、時間を膨大に消費し、結局、企業のパフォーマンスには何ら貢献しない。

第三に、人事部の存在がある

日本企業は世界的に見ても人間関係が悪い。人間関係で日本人のエネルギーの9割以上が消耗すると言われている。若い人の優秀な才能が人間関係で消耗されている。赤ちょうちんで上司の悪口を言って酔っぱらって帰宅したり、最終電車がそうした酔っぱらいで一杯だったり、電車のホームで酔って寝ている人、気持ち悪くて吐いている人、そういった光景は全て日本だけしか見られない特異な現象である。欧州では電車のホームはセメントを積んだだけであり、日本のような酔っぱらいが線路に落ちることを防止する柵などない。日本以外では、定時になるとさっさと家に帰り、家事をしたり、家庭だんらんを楽しむ。

ではなぜ、日本企業は世界的に見ても人間関係が悪いのだろうか。それは、人事部が一括採用し、人の相性を無視し、各職場に配置するからと考えられる。そのため、人同士のフリクションが生じる。日本企業は世界的にも珍しい「人事部による一括採用」方式をとっている。

ドイツは、「人事部による一括採用」方式でなく、完全な「ジョブ型」である。人の採用権限は、人事部でなく各部署にある。そのため、若者を6カ月という長期のインターンで受け入れた後、お互いが気に入れば、そのまま就職する。一種のお見合いである。その結果、受け入れる側も、この人であれば人間関係でフリクションは生じないと考え、若者も、この職場であれば人間関係で悩まされることがないと分かり、結果、就職が決まる。こうして長い時間をかけて決まった職場なので、人間関係の摩擦でエネルギーを消耗せずに仕事に集中することができる。

もしインターンの後、お互いの相性が合わず、就職に至らなければ、若者は、大学に帰ることができる。このように6カ月間インターンに出て、また大学に戻るという形態を何度か繰り返し、30歳くらいまでに自分の適地を見付けて就職すればいい、というのがドイツの若者の就職感である。国家予算が潤沢なので、大学の授業料が無償であることも、こうしたことを可能にしている。

ドイツでは、このようなスタイルが社会の中で定着している。例えば、シェアハウスの中で1人分の部屋が空いたとする。すると、そのシェアハウスに住んでいる人が、知り合いを見つけて連れて来て、「保証人」になる。入居者全員で面接をする。全員の了解が得られて初めて入居することができる。そうした段階を経て入居したので、若い男女が、気ままな格好をして、共同生活をしても何も問題は起きない。一方、日本のシェアハウスは、大家さんが面接をして新規入居者を決める。既に住んでいる人の意見を聞かない。そのため、新規入居者との間で諍(いさか)いが起きることが多い。筆者の知り合いの女性は、大学院の大切な勉強があるにもかかわらず、隣部屋に新しく入っていた若い男が、毎夜毎夜、女性を部屋に連れ込み、その様子が壁を経て筒抜けになり、何度注意しても止めないので、ほぼ半狂乱になったという事例を知っている。

シェアハウスの事例は、ドイツ企業では、各部署が新規採用権限を持っているが、日本企業では人事部が新卒一括採用し、人の相性に関係なく各部署に配置するので、人間関係でフリクションが生じるという、日本とドイツの社会的考え方の違いを端的に表している。

ジョブ型は、「必要なときに必要な人を雇う」制度であり、就職時に、自分が持っているスキルを相手に提示し、相手が求めるスキルと合致しているかどうかを確認することが最も重要である。そのためドイツの大学では、社会で働く上で必要なスキルの研鑽に励むこととなる。

一方、日本は、採用後、OJTで会社のカラーに染めていく方式なので、採用時にはスキルは問わない。そのため、日本の大学では、就職後、役に立たない学問を学ぶような学部学科が多いが、それが就職にとって何の障害にもならない。

会社の採用面接では、スキルに対する質問はなく、学生時代に何に熱中したかなど、人間性を知る質問が中心となる。最も重視するのは、専門能力やスキルでなく、会社に入って人間関係を重視できるかどうかである。こうした会社の姿勢が、日本の大学生を専門的な勉強やスキル形成から遠ざけている。

日本は、人事部が「新卒一括採用」後、OJTで会社のカラーに染めていく方式なので、社員は、他の会社では役に立たないスキルしか身に付かず、途中で転職することが非常に困難になる。その結果、人は一生、その企業で過ごさざるを得なくなる。会社による「一括採用」の代償として会社は従業員に「終身雇用」をセットで補償してきた。だが今や終身雇用は崩れたが、会社にとって都合のよい「新卒一括」だけは存続させている。日本の若者が会社にとって都合の良いように利用され、あまりにかわいそうである。恐らく若者自身も、そうした事情を感じ取り、会社のために本気で働こうとしないのではないだろうか。それがまた日本人の生産性を落としている。

終身雇用が保証できないのなら、人事部を廃止し、ジョブ型に転換すべきである。

また「新卒一括採用」は、「会社のためなら何でもします、どこへでも行きます」という人事を受け入れるという契約である。その代わり、会社は「終身雇用」を保証したのである。だが今や会社にとって都合の良い面だけが残っている。終身雇用が保証されないのに、なぜ、会社のために真面目に働くのか、と働く側はばからしくなる。それがまた企業の生産性を落としている。

現代は、専門能力でグローバルな国際競争を勝ち抜かなければならない時代であるが、そうした時代にあっても、人間関係を重視し、専門性を持たない人々を作り出す人事制度が残っている。欧米企業では当たり前になっている博士は、日本企業の中で専門性のある仕事をしたいと主張し、人間関係で仕事をするのが苦手なので、「使いづらい」として日本では採用が今でもかなり少ない。

このように日本企業が依然として旧態依然とした古い昭和の価値観のままでいる中で、国は、大学院倍増計画を進めた結果、大量のポスドクが発生した。貴重な理系人材を捨てているというのが世界の評価である。

第四に、人を冷たく扱っている

1つめは、過去30年間、実質賃金は低下し続けている。働けば働くほど賃金が下がると、人は働く気をなくしてしまう。日本企業が成長しない大きな要因の1つが、ここにあると考えられる。

2つめは、非正規の増加である。いまや非正規は、全雇用者の4割近くを占めている。人件費を固定費と捉え、固定費を削減した者が評価されて出世するという環境の中で、どんどんと正規が非正規に置き代わっていった。非正規が増えると、社内でのノウハウの蓄積と継続ができなくなり、また仕事に無責任になり、それが日本企業の生産性を大きく落とした原因であるとの指摘もある。

図1 非正規雇用労働者の割合の推移
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図1 非正規雇用労働者の割合の推移

3つめは、人材育成投資(OFF-JT)の削減である。筆者が若い頃、日本企業は将来の幹部候補生を積極的に外国の大学に「企業派遣」の留学生として派遣した。特に米国のMBAへの留学は各社とも積極的だった。だが、若者が米国のMBAで学び、その知識を活かそうと期待して帰国すると、日本では依然として「人間関係重視」であり、人間関係で物事を解決しようとする時代であったため、帰国者を受け入れた部署では、「外国で学んだMBAは役に立たない」「単なる頭でっかち」「理屈ばかりでうるさい」との風潮が広まり、また帰国者にとっても、同じ大学で学んだ他国の同級生が大企業の高いポジションに就職して活躍している姿を見て、日本企業の遅れに幻滅し、企業を辞めて再び米国に戻って就職するか、日本で起業するなどをした。

企業側はこうした傾向を見て、自社が採用した将来の幹部候補生が留学を機に次々と会社を辞めてしまうことに危機感を募らせ、一時は退社する者は留学費用を全額返還させるなどの措置を導入したが、やがて企業派遣の留学自体を止めてしまった。今では企業派遣による海外留学、なかでもMBA留学はほとんどなくなった。

結局、日本企業に残った「人材育成」は、新卒採用者にOJTでスキルを積ませるだけである。このスキルの狭さが、現在のような将来の大きな不確実性のある予見が困難な時代にあって、困難に直面したとき、どうすればいいかわからずに右往左往し、企業をけん引することができない人材ばかりが企業内に残ることとなった。せっかく留学で得た貴重な知識を日本企業で活かせなかったことは、日本企業が世界に大きく遅れる1つの要因にもなっている。

図2 我が国企業の人材育成投資額の推移
図2 我が国企業の人材育成投資額の推移
出典)通商白書2017
図3 人的投資と研究開発等に関する各国の投資額変化(2000年⇒2010年)
図3 人的投資と研究開発等に関する各国の投資額変化(2000年⇒2010年)
出典)通商白書2017

4つめは、終身雇用制度の崩壊である。いわゆる「日本型雇用」と呼ばれてきたものは、「新卒一括採用」と「終身雇用」がセットになっている。採用時、学生が持っているスキルを問わず、一括採用し、入社後、OJTを課すことでその企業のカラーに染め上げて容易に他社に転職できないようにし、企業のためなら何でもします、どこへでも行きます、という滅私奉公型の人間を育成し、その代わり終身雇用を保証した。

ただ、終身雇用とは言っても、大部分の人は役職定年と呼ばれる実質上の定年で辞めさせられ、子会社、関連会社、取引会社に転職させられ、確かに雇用は定年まで保証されたかもしれないが、賃金と仕事の内容は大きく下がるという、外国からはとても高齢者に冷たい日本という評価ではあった。

だが今やそうした定年まで雇用を守るということさえ日本企業はしなくなった。しかし「新卒一括採用」という企業にとって美味しいところは依然として残っている。このような企業に搾取されているという感覚が人の働く気を失わせ、かつてのような、個人を犠牲にしてまで企業に奉仕するという気を失わせ、日本企業の生産性を落としている。

第五に、デジタル化・国際化の遅れである

日本の中小企業の多くは、職人が額に汗して製品を作り、それを系列の親会社または関連会社に売り、そこには人間関係の重視がある。そのため、AIデジタル技術の導入や外国への進出は、「怖い」という感覚でしかない。目に見えないAIデジタル技術は、理解できないという恐怖を持つ。また外国に行って外国人を相手に商売するというのは恐怖でしかない。

縮小する国内市場に固執し、依然として電話とファクスだけで仕事している地方の中小企業は多い。時代が大きく変わり、従来とは大きく異なるビジネスモデルにチャレンジしなければならなかったが、何もしなかった、または何をしていいかわからなかった。世界的なAIデジタルの時代において、日本企業は世界に大きく出遅れた。

日本とドイツの立地競争力の違いはどこから生まれてくるのだろうか。

日本もドイツも、企業は売り上げを増やし、利潤を増やすことを目的に行動している(経済学では、利潤最大化を目指して行動するとされている)。すなわち、各企業は、与えられた環境の下で、売り上げ・利潤を最大化する道を探ったところ、日独で、大きな違いとなって現れたのである。

日本においては、日本国内の企業を取り巻く環境が、「海外投資の推進」「海外生産比率の拡大」「製造業の国内空洞化」を進める方向が、企業の売り上げ・利潤を増やす道であり、ドイツにおいては、ドイツ国内の企業を取り巻く環境が、「企業の国内投資」を進めた方が、企業の売り上げ・利潤を増やす道になっているのである。

日本もドイツも、全ての企業が30年間にわたって、投資の選択を間違い続けたとは思えない。どの会社も、その時々、最適な投資選択をしたのである。その結果、両国で投資の方向性が真逆になっていたのである。

すなわち、日独では、企業を取り巻く「投資環境」がほとんど逆方法で違っていたと言える。

企業の「投資環境」を作るのは、行政・政治の役割である。日本の地方の行政・政治は、単に工業団地を作って誘致するだけ。それ以外はなにもしない。工場が来たら、あとは放置である。そのため容易に別な場所に移転しやすい。

一方、ドイツの地方の行政・政治は、企業を誘致した後、コストが高いドイツで企業活動しても売り上げ・利潤が増えるよう、さまざまな支援をしている。例えば、産業クラスター、フラウンホーファー研究機構、部品材料や商品の搬送のための輸送網の整備など産業インフラ、商工会議所や経済振興公社による海外販路開拓支援などなど。ドイツ人に聞いたところ、「ドイツ人も人間である。ドイツ国内で企業活動し、ドイツ人を雇い、ドイツ語をしゃべって仕事ができるのならそうしたい。」との回答が返ってきた。

もろもろのコストが高いドイツ国内で生産するのであるから、結果、出来上がる製品も値段が高いものが出来上がる。それを世界中に売るにはドイツ人はどうしているか?

他社製品と差別化し、高い付加価値を付け、made in Germany のブランドを付け、高いお金を出しても欲しいと思う製品を作るのである。そして出来上がった製品を「世界中」の市場に外国人に「積極的」に売るのである。そのためには新しい販路を開拓する。

一方、日本企業はその逆である。他社製品と似たような製品を作り、made in Japanのブランドなし、日本メーカー名のタグが付いているだけ、価格で競争するため、新製品を発表するたびに値下げが続く。これが日本で30年間、デフレスパイラルが続いている要因である。

日独で企業方針が総じて逆である。ドイツ企業は、人が欲しがるものを作って外国人に高く売れであり、日本企業は、外国人にいいものを安く提供する。日本人はどこまでもいい人なのだ。

筆者は、1990年代の「第二次対中投資ブーム」の時期、中国に駐在していたとき、よく似た光景を見たことを思い出した。欧米企業が中国に工場を立地したときの開業式典では、欧米人は、中国人に対して、自社の商品がいかに素晴らしいかを胸を張って英語で大々的にアピールし、そして買わせようとする。

日本企業は、工場の開業式典で、日本から来た幹部が飛行機の中で覚えたての中国語を使って、腰を低くして「日本は中国に悪い事をした。当社は中国の役に立ちたい」と平身低頭で挨拶し、自社商品の良さなどまったく言及しない。それを聞いていた中国人は、「彼は一体何語をしゃべっているんだろう」と口々に言っていた。

技術移転についても、欧米企業は工場で作る製品の中身を中国人に教える気などまったくないが、日本企業は中国人に積極的に懇切丁寧に教える。欧米はかつてアジア諸国に植民地を持ち、搾取していたが、恐らくそのままの光景なのだろう。中国人は、お金を巻き上げる対象でしかないと感じた。

日本の若者は決して怠けている訳ではない。夜遅くまで残業し、必死で働いている。だが、企業が作り出す付加価値が一向に増えないのは、経営者の責任であり、かつ、企業の投資環境を作るべき行政・政治の責任である。

ここでは企業経営者の責任を述べる。
i) 日本もドイツも出生率は極めて低く、国内市場は縮小している。企業が稼ぐためには外国に積極的に進出し、販路開拓をしなければならない。だが日本の経営者は、「外国が怖い、外人が怖い」と国内市場に閉じている。日本人はみんなで群れて、ようやく海外に行ける。国際化に乗り遅れている。
ii) 1995年はインターネット元年と呼ばれ、米国のGAFAMが創業したのもこの頃である。
これ以降、世界的に、デジタル技術が企業の稼ぎの中核となっていったが、日本の経営者は「デジタル怖い」と頭を引っ込めたまま。デジタル化に乗り遅れた。
iii) 日本企業は、企業内部でしか必要のない作業、企業のパフォーマンスにつながらない作業が膨大にある。昭和の古い価値観がそのまま残っている。
iv) 各種アンケートで明らかなように、日本は、世界中の企業の中での人間関係が最も悪い国である。優秀な若者は、人間関係に有能なエネルギーの大部分を使い、仕事に振り向けるエネルギーがほとんど残されていない。

ドイツでは、付加価値の高い製品を生み出す技術力を支えるのが、フランウンホーファーなどを中心とした産官学の連携による共同開発である。日本でも産学官の連携があるが、日本とドイツとは大きな違いがある。

一度、筆者は、フラウンホーファーで働くドイツ人に「フラウンホーファーに産学連携部門はあるか」と聞いたところ、「それは何をするところか」と聞かれたので説明すると、「そのように技術を売り歩く営業マンはいない」との回答が返ってきた。

かつて日本人も、ドイツ人同じことを考え、地方の中小企業に対して、付加価値の高い製品を生み出す技術力を支援しなければならないと考えた。

日本はかつて、そのために地方大学、県の公設試、工業センター、産業技術センターなどを全国に作っていった。だが学生運動の時代を経て、大学外、特に産業界との交流が途絶えた。いまでも大学と産業界の交流をタブー視する風潮がある。加えて、全国の地方大学がミニ東大化し、地場産業を支援するより論文を書くことに熱心になっていった。

日本の産学連携は、地方大学の中の理解のある数名の教官が、時間の合間を見て、ほとんどボランティアで行っている。フラウンホーファーのように大きな組織で組織的にビジネスとして行うものとはまったく違う。

(次稿に続く)

参照文献
  • 岩本晃一(2025),『高く売れるものだけ作るドイツ人、いいものを安く売ってしまう日本人』 朝日新聞出版社 2025

2026年7月6日掲載

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