中国経済新論:実事求是

中国は「財政赤字の貨幣化」を実施すべきか
― 支持を得られていないMMTに基づいた政策提案 ―

関志雄
経済産業研究所

中国では、コロナショックを受けて成長率が大幅に低下する中で、大型景気対策の実施を求める声が高まっている。そのための資金を中央銀行による貨幣の増発で賄うという提案が財政部財政科学研究院の劉尚希院長から出されており、メディアを巻き込んだ形で話題を呼んでいる。しかし、「財政赤字の貨幣化」を意味する同提案は、広く支持を得られておらず、政府に採用される可能性が極めて低いと見られる。

財政赤字の貨幣化とそれを提唱する現代貨幣理論とは

財政赤字の貨幣化は、世界各国では禁じ手とみなされ、その正当性を主張する現代貨幣理論(Modern Monetary Theory, MMT)も学界では非主流派の地位に甘んじている。しかし、2008年のリーマンショック以来、主要国が中央銀行による国債の大量購入を通じて流動性を提供する量的緩和策(QE)など、それに準じる政策を実施してきたことを背景に、財政赤字の貨幣化に対する評価を見直す機運が高まっており、MMTも脚光を浴びるようになった。

財政赤字の貨幣化は、本質的に中央銀行が恒常的に財政赤字をファイナンスすることである。その具体的実施方法として、次の4つが挙げられる。まず、中央銀行が発行市場から国債を直接購入することを通じて政府に資金を渡すことである。第二に、中央銀行がすでに保有している国債などの政府に対する債権の一部を放棄することで、政府にとってこれは債務の返済負担の軽減を意味する。第三に、中央銀行が保有する国債をゼロ金利の永久債に転換することで、それにより政府は返済義務を負わなくなる。第四に、中央銀行が新たに発行する貨幣を政府の口座に直接入金することである。

MMTは、「自国通貨を持つ国は、債務返済に充てる貨幣を自在に創出でき、インフレさえならなければ財政赤字で国が破綻しない。そのため、財政赤字の貨幣化は有効な経済政策の手段である」と主張している。

これに対して、主流派の経済学者たちは、財政赤字をファイナンスする方法が、借金なのか貨幣化なのかによって、マクロ経済と金融の長期的安定や、財政の持続可能性などに与える影響は全く違うと反論している。借金の場合、借りたお金を一定期間内に利息付で返済しなければならず、返済の圧力は政府支出の拡大に対する制約メカニズムとして働くが、貨幣化の場合、それによって政府の財政支出の拡大を制約する最後の防衛線が崩れてしまう恐れがある。このような状況を回避し、また中央銀行の独立性を保証するために、中国を含め、多くの国においては、中央銀行が直接国債を引き受ける(発行市場で購入する)ことが法律で禁じられている。

しかし、リーマンショック以降、欧米や日本が採ってきた量的緩和を中心とする超金融緩和政策とMMTが薦めている財政赤字の貨幣化との類似点が指摘されている。例えば、日本の状況は、日銀が国債を直接引き受けていないものの、実態として、その大半を間接的に買い入れていることを考えれば、財政赤字の貨幣化と極めて近いと言える。この点について、例えば、財政制度等審議会の分科会臨時委員を務める吉川洋立正大学長は、異次元緩和が「実際には財政ファイナンスになりつつあり、客観的に見ればMMTとの違いも今一つ分からなくなっている」と類似性を認めている(日高正裕「日銀の異次元緩和とMMT『類似性高い』-肯定・否定派双方が一致」、ブルームバーグ、2019年6月7日)。

話題になった中国における財政赤字の貨幣化の提案

中国では、MMTの主張や財政赤字の貨幣化の事例として先進国における非伝統的金融政策を紹介したり、評価したりする議論や研究は以前からあったが、2020年4月下旬に、財政部財政科学研究院の劉尚希院長が出した中国におけるこのような政策の実施に関する具体的提案が注目されている(中国ウェルス・マネジメント50人論壇と中国財政科学研究院が共同主催した「経済の現況下の財政政策」をテーマとするセミナーにおける発言、2020年4月27日)。劉院長は、コロナショックが経済環境を一変させ、巨大なリスクをもたらしていることを背景に、政府が財政政策を策定するに当たり、伝統的な総需要管理を超えた新たな考え方と枠組みが求められ、財政赤字の貨幣化の合理性、実行可能性と有効性を認識すべきであると次のように主張している。

コロナショックを受けて、世界は低成長、低インフレ、低金利、高債務、高リスクという新状況に直面している。多くの国において、量的緩和や、低金利政策が採られているにもかかわらず、インフレが起こっていない。このことは、インフレの原因を貨幣の増発に求める「貨幣数量説」がすでに時代遅れであり、マネーサプライの対GDP比の上昇も、必ずしも経済の不安定要因になるとは限らないことを示している。

現在の中国におけるインフレ率は、需要よりも供給側の構造要因に大きく左右され、その水準も警戒水域には達していない。2008年以降の経験は、マネーサプライの変化はインフレ率にほとんど影響しないことを示している。かつて財政赤字の貨幣化がハイパーインフレにつながるのではないかという懸念があったが、今ではその可能性はほとんどないと言える。海外の10年以上にわたる量的緩和の実践は、これを証明している。従って、従来の経済理論、中でも金融理論への反省に立って、財政政策と金融政策の新しい組み合わせを模索すべきである。

政府が5兆元程度の特別国債を発行し、無利子で中央銀行に引き受けてもらうという形で、適度に財政赤字の貨幣化を実施すれば、中国が直面している財源不足が緩和され、国債の市場での発行によるクラウディング・アウト効果も回避できる。このような政策は、間接的効果しか期待できない金利や預金準備率の引き下げといった従来の金融政策の手段と比べて、資金を財政予算に沿って中小企業など、それを最も必要とする主体に直接届けることができるというメリットもあるという。

中国における財政赤字の貨幣化の実施に異議あり

中国が財政赤字の貨幣化を実施すべきだという劉院長の提案に対して、多くの経済学者が異論を唱えている。その代表的意見として、清華大学金融研究所研究員で中央銀行貨幣政策委員会委員でもある馬駿氏は次のように述べている(馬駿「財政赤字の貨幣化に関する私見」『金融時報』2020年5月18日)。

中央銀行が恒常的に財政赤字をファイナンスするために貨幣を大量に増発すれば、物価が高騰してしまうだろう。国民党時代の中国や、1970~90年代のチリやペルー、そして最近のベネズエラで起こったハイパーインフレは、その好例である。貨幣の増発が深刻なインフレを引き起こさなくても、資産価格(特に不動産価格)のバブルを誘発する可能性がある。資産バブルが崩壊すれば、金融危機を招く恐れがある。

また、財政赤字の貨幣化に伴うマネーサプライの拡大は、自国の通貨安を招きかねない。一部の新興国では、財政赤字の貨幣化が原因となり、通貨危機がしばしば起きている。

さらに、財政赤字の貨幣化が繰り返されると、政府債務の累積に歯止めがかからなくなり、その結果、国家の信用度、ひいては、国債の格付けが低下する一方で、資金調達コストが上昇してしまう可能性がある。

そして、財政赤字の貨幣化に伴う政府の債務の拡大は、生産などの経済活動のために必要な資金が企業部門から政府部門に移転されてしまうことを意味し、経済全体の活力の低下を招く恐れがある。

最後に、財政赤字の貨幣化の実施は、財政を律するための「中国人民銀行法」の第29条に定められている「中央銀行は財政赤字をファイナンスしてはならない、国債や他の政府債券を直接購入し、または引き受けてはならない」という規定に明らかに違反しているという。

これらの弊害を考慮すると、劉元春・中国人民大学副学長が指摘しているように、財政赤字の貨幣化は、あくまでも従来の財政政策と金融政策のあらゆる手段がすでに出尽くした非常事態における最後の手段としてとらえるべきである(劉元春、中国ウェルス・マネジメント50人論壇が主催した「現在の世界的貨幣の過剰発行の影響と対策」をテーマとするセミナーにおける発言、2020年5月9日)。具体的には、金利がすでにゼロ%近辺に低下しており、それ以上は下げられないという「流動性の罠」が生じている場合や、政府の債務がすでに高水準に達しているゆえに市場での国債の消化が困難になった場合がこのような状態に当たる。しかし、現在の中国では、利下げの余地が十分残っており、市場における国債への需要も依然として旺盛であるため、政府は高いリスクを冒してまで、財政赤字の貨幣化を行う必要がないという。

維持された政府の慎重なスタンス

劉院長の財政赤字の貨幣化の実施に関する提案は、2020年5月22日に開幕した全国人民代表大会(全人代)を控えた時期に話題になり、その経済政策への影響も注目されたが、政府に採用されなかった。

中国の通貨当局の財政赤字の貨幣化に関するスタンスは、中国人民銀行国際司の研究グループが2019年6月に作成した「世の中にはフリーランチはない―MP3とMMTの初歩的検討」(財新網、2020年5月19日)という報告書からうかがうことができる。同報告書は、MMTの主張に対して、次のように厳しく批判している。

「低金利環境下で、財政赤字と非伝統的金融政策に対する寛容度を高める必要があるかもしれないが、世の中にフリーランチはない。中央銀行による貨幣発行にはコストがかからず、政府が紙幣を印刷することで無制限に支出を増やすことができるという主張は言語道断である。歴史が示しているように、経済政策はインフレリスク、財政赤字、対外バランスなどの制約を考慮しなければならない。そうでなければ、債務の不履行、悪性インフレが繰り返される可能性が高い。」

金融当局のマクロ経済政策に関する慎重なスタンスは、政府全体にも共有され、コロナショックが起きてからも変わっていない(注1)。実際、全人代における李克強総理の「政府活動報告」において、拡張的財政・金融政策を実施することが強調されながらも、打ち出された景気対策の規模が比較的小さい上、その手段も、金融政策の面では預金準備率と金利の引き下げや再貸出の拡大、財政政策の面では減税と公共投資の拡大に伴う財源不足を補うための国債の増発など、従来の枠内にとどまっており、財政赤字の貨幣化とそれに準じる政策が見当たらない(図表1)。

中国では、新型コロナウイルス感染症の収束を受けて経済が回復に向かっていることを考えれば、今後、財政赤字の貨幣化が実施される可能性は、ますます低くなると見られる。

図表1 2020年の全人代で示された経済政策
図表1 2020年の全人代で示された経済政策
(出所)李克強、全国人民代表大会における「政府活動報告」、2020年5月22日
脚注
  1. ^ リーマンショック後に、政府は景気対策を通じて短期的に比較的高い成長率を維持したが、それに伴った債務の累積や、住宅バブルの膨張、「国進民退」(国有企業のシェア拡大と民営企業のシェアの縮小)といった副作用は、投資効率の低下などを通じて中長期的な成長率を抑えてしまった。その反省に立って、政府は、今回のコロナショックへの対応において、2020年の経済成長率の目標を設定しないなど、より慎重なマクロ経済政策のスタンスを採るようになったのである。
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2020年6月17日掲載