中国経済新論:実事求是

建国60周年を迎える中華人民共和国
― 経済改革の時代から政治改革の時代へ ―

関志雄
経済産業研究所 コンサルティングフェロー

今年の10月1日に、中華人民共和国は建国60周年を迎える。その期間は、毛沢東(1893-1976年)が独裁者として君臨した「前半の30年」と、鄧小平(1904-1997年)の主導で幕を開けた「改革開放」の「後半の30年」に大別される。経済制度として、社会主義より資本主義のほうが優れていることを実証したかのように、中国における経済発展は、計画経済と生産手段の公有制を採った「前半の30年」では停滞したが、市場経済と私有財産を取り入れた「後半の30年」では飛躍した。

しかし、経済発展の代償として所得格差の拡大や、環境問題の深刻化といった歪みが顕在化している。これらを是正していくために、民主化を中心とする政治改革が欠かせない。中国は、これまでの30年の「経済改革」の成果を土台に、これからの30年では「政治改革」を積極的に推し進めなければならない。

計画経済の下で停滞した「前半の30年」

中国では1949年の共産革命を経て計画経済が導入された上、私有財産が全面的に否定され、利潤を追求するための生産と交換も禁じられた。実際、全民所有制(国有企業)と集団所有制(労働者による共同所有)からなる「公有制企業」しか認められず、民営企業も外資系企業も存在しなかった。この体制の下では、資源配分の効率も労働意欲も低かった。「大躍進運動」や「文化大革命」といった動乱期も加わり、経済は長期にわたって低迷していた。1953年から1978年までのGDP成長率は年率6.1%、人口の増加を割り引いた一人当たりGDPの伸び率は同4.0%にとどまった(国家統計局国民経済総合統計司編、『新中国五十年統計資料匯編』、1999年に基づいて計算)。

改革開放の総設計師とされる鄧小平はこの「前半の30年」に対して、次のように総括している(「政治面では民主化を進め、経済面では改革を実行する」1985年4月15日、『鄧小平文選』第3巻、人民出版社、1993年)。

「われわれは建国後、農村では土地改革と合作化を進め、都市では資本主義工商業の社会主義的改造を行い、どちらもなかなか好調でした。ところが、1957年以降、『極左』の思想が台頭しはじめ、次第に優勢を占めるようになったのです。1958年は『大躍進』の年で、ワッと立ち上がって人民公社化に取り組み、『一に大規模、二に公有』を一面的に強調し、『大釜のメシ』を食べて(働いても働かなくても待遇が同じ、悪平等のたとえ)大きな災難を招きました。『文化大革命』については、いまさら申すまでもありません。1976年の『四人組』粉砕後も、なお2年間低迷し、基本的にはやはり『極左』の誤りを踏襲し、そんな状態が1978年まで続きました。1958年から1978年までの20年の間に、農民と労働者の所得はあまり増えず、生活水準は非常に低く、生産力はどれほどの発展も認められませんでした。1978年の一人当たりの国民総生産(GNP)は250ドルにも届かなかったのです。同年末、(共産)党の第11期中央委員会第三回全体会議(第11期三中全会)が開かれました。われわれは冷静に中国の現状を分析し、経験を総括して、建国後1978年までの30年間の成績が非常に大きいことを確認しましたが、取り組んだ仕事がみな成功であったとはいえません。」

「建国後1978年まで30年間の成績が非常に大きいこと」を、アヘン戦争以来失われた「国家主権の独立」の回復と理解すれば、これは「前半の30年」に対する妥当な評価だと言えよう。

市場経済の下で飛躍した「後半の30年」

「前半の30年」における社会主義の実験が失敗したという反省に立って、1978年12月に開催された第11期三中全会をきっかけに、中国は「改革開放」を中心とする鄧小平路線に転換し、市場経済や私有財産といった資本主義的要素を積極的に取り入れるようになった。

まず、改革開放当初、農業部門では、人民公社が解体され、家族単位の請負制が導入され、工業部門においても「放権譲利」(企業に権限を委譲し、利益を分ける)の下で、利潤の追求が認められるようになった。各経済主体の自らの利益への追求は中国経済に活力をもたらした。

1989年の天安門事件を受けて、改革開放は一時停滞したが、1992年の鄧小平の「南巡講話」をきっかけに再び加速した、同じ年に行われた中国共産党第14回全国代表大会(第14回党大会)では、「社会主義市場経済」の建設が改革の目標として定められた。その後、消費財のみならず、生産財や、労働力、土地、資本の配分においても、政府による計画や行政指導の代わりに、市場の役割が漸次に大きくなってきた。

市場化が進む中で、外資系企業や民営企業など、非国有企業が成長する一方、1990年代後半以降、国有企業の民営化も始まった。労働力や資本といった生産要素が効率の低い国有部門から効率の高い非国有部門にシフトすることにより、中国経済全体の生産性が高まっている。

このように、計画経済の時代(前半の30年)とは対照的に、市場経済の時代(後半の30年)では、人々が自己の利益を追求することで、優勝劣敗という競争原理(アダム・スミスの言う「見えざる手」)が働き、資源がより有効に利用されるようになった。その結果、1979年から2008年の30年間のGDP成長率は年率9.8%、一人当たりGDPの伸び率は8.6%と、いずれも「前半の30年」を大きく上回った(国家統計局編、『中国統計摘要2009』)。

政治改革が最重要課題となる「次の30年」

30年にわたる改革を経て、中国は、総じて国民生活が改善され、国際社会における存在感も増しているが、その一方で、所得格差の拡大や、環境問題の深刻化、官僚の腐敗などに対する国民の不満が高まっており、暴動の頻発に象徴されるように、社会が不安定化している。中国が抱えているこのような問題は、経済面における資本主義化と共産党による一党独裁を維持しようとする政治体制の間の矛盾によるものであり、その解決のためには政治改革が欠かせない。

現に2007年10月に開催された第17回党大会における胡錦涛総書記の報告において、「民主」という言葉が60回以上繰り返されるほど、政治改革が大きいテーマとしてクローズアップされた。既得権益層による抵抗など、紆余曲折が予想されるが、民主化を中心とする政治改革は、中国にとって次の30年の最重要課題になろう。

2009年9月25日掲載

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