中国経済新論:実事求是

市場秩序を如何に確立するか
― カギとなる法治と道徳 ―

関志雄
経済産業研究所 コンサルティングフェロー

中国では、最近注目されている食品の安全性問題に象徴されるように、「市場秩序」の乱れが目立っている。このことは、中国の投資と輸出の環境を悪化させるだけでなく、国内市場の拡大、ひいては経済成長を制約する原因になりかねない。これらの問題を重く見る中国政府は、「市場秩序を徹底的に整理し、規範化し、社会信用システム作りを加速しなければならない」という認識を示している(温家宝総理、第十期全国人民代表大会第五回全体会議における「政府活動報告」、2007年3月5日)。中でも、ニセモノの製造・販売、虚偽広告、商業詐欺、マルチ商法、脱税、密輸、安全基準を満たしていない食品と薬品への取り締まりが優先課題として挙げられている。しかし、市場経済に見合った法治と道徳規範がまだ十分確立されていないことから、政府の対策にもかかわらず所期の成果を上げるに至っていない。

市場経済では、政府や、企業などの行為は本質的に利己的で機会主義的なものである。彼らの行為が良い結果を導くように、それらの行為を制約しなければならない。具体的には、市場参加者に加えなければならない制約には、少なくとも所有権の確定と保護、契約の履行、そして適切な監督という三つの内容が含まれているという。仮にこれらが実現されなければ、市場参加者はひたすら自らの利益を求めることになり、人々は互いに不利益を被ることになる。市場秩序を維持するために、市場参加者は、政府に加え、彼ら自身によって制約されなければならない。前者は「法治」であり、後者は「道徳」である。

中国は「判断の依拠となる法律はないこと」と「法律があっても守られていないこと」が共存している状態にあり、法治社会との間にはまだ距離がある。1970年代末に改革開放が始まってから、特に2001年のWTO加盟をきっかけに、さまざまな法律が制定されたが、立法過程において国民の参加が限られていたため、消費者や農民などの意見が必ずしも十分に反映されていない。法律自身の不備に加え、司法における独立性の欠如と司法部門自身の腐敗や、法律より党と政府の指導者の判断が優先されること(いわゆる「人治」)なども、法治の欠如の現れである。市場経済が健全に運営されるためには、適切な法律が確実に執行されていることが前提である。

しかし、法律を頼りに市場秩序を維持することは、実際には、非常にコストの高い方法である。裁判を行うには、時間と費用だけではなく、大量の精力も欠かせない。しかも相手側も同様に、時間と精力を費やして付き合わなければならない。裁判に負ければ、その損失はさらに大きくなる。同時に、国家は法廷、警察署、刑務所を設けなければならず、そのコストは国民の税金で賄わなければならない。従って、違法行為に対して重い懲罰を課するという法治による「他律」に加え、自分の利益を求めるときに他人に損害を与えないという道徳による「自律」も求められている。残念ながら、このような道徳観念は、社会主義というイデオロギーが退潮し、功利主義が主流となっている今日の中国では欠如している。特に、計画経済から市場経済への移行期において、所有権の保護が不十分であるゆえに、人々は、他人に損害を与えることをも辞さずに短期の利益のみを追求し、長期の取引を維持するための信頼関係を軽視している。本来、「人民のために奉仕」すべき官僚たちが、「人民元に奉仕」するようになったと揶揄されているように、自らの立場を利用して私利を図るという不正行為も跡を絶たない。

こうした中で、胡錦涛・国家主席が「八栄八恥」という道徳規範を提唱している(表)。その内容は、マルクス・レーニン主義よりも、文化大革命のときに批判の対象となった儒教の教えに近い。その狙いは、「思想統制を強めることを通じて政権の安定化を図ること」にあるだけでなく、「市場秩序の確立」にもあると理解すべきであろう。権力の乱用が市場秩序の乱れをもたらす要因になっているだけに、政権の担い手である共産党員が率先して国民に手本を見せるべきである。

表 「八栄八恥」とは
表 「八栄八恥」とは
(出所)胡錦濤(2006年3月4日、全国政治協商会議の委員会での発言)

2007年8月1日掲載

2007年8月1日掲載