中国経済新論:実事求是

香港返還十周年
― 試練を乗り越えて新たな飛躍へ ―

関志雄
経済産業研究所 コンサルティングフェロー

不運の出船

香港が1997年7月1日に中国に返還されてから、今年で十周年を迎える。しかし、その船出は決して順調なものではなかった。返還翌日にタイバーツの切り下げをきっかけにアジア金融危機が勃発し、これを受けて景気が急速に悪化し、物価も下がり続けた。デフレは財とサービスの価格に留まらず、不動産や株といった資産にも及んだ。特に、住宅価格の急落はローンを抱える多くの家計に債務超過をもたらし、消費に水を差した。財政収入が減る一方で、デフレを解消すべく、政府が財政支出を拡大し続けた結果、財政赤字は巨大化してしまった。景気は世界的ITブームの波に乗って、2000年に急回復したが、それも長くは続かず、バブルの崩壊とともに経済成長は再び失速した。さらに、2003年にSARSの蔓延を受けて不況が一段と深まった。

一方、アジア通貨危機を経て、多くのアジア通貨が大幅に切り下げられたが、香港は1米ドル=7.8香港ドルという固定レートを堅持してきた。その結果、香港ドル、ひいては香港の物価、賃金、不動産の賃料などが割高になり、香港の国際ビジネス・センターとしての競争力が低下した。為替レートの切り下げが政策手段として排除された以上、競争力の改善、ひいては景気の回復は、賃金と物価の一層の低下、すなわちデフレの進行を待たなければならなかった。その上、ドルペッグの下では、香港の金利が米国の金利と強く連動しており、金利を下げることを通じて景気を刺激するという金融政策の手段も大きく制約されていた。

復活のきっかけとなったCEPA

幸い、2003年6月に、中国本土と香港の経済貿易緊密化協定(CEPA)が正式に締結されたことにより、返還後に低迷が長引いた香港経済は転機を迎え、急回復を見せた(図)。成長率は、2004年の8.6%、2005年の7.3%に続いて、2006年も6.8%という高水準を遂げており、失業率も、2003年第2四半期のピーク時の8.5%から現在の4.3%に半減している(いずれも季節調整済み)。

図 返還後の香港が辿ったW型の経済成長とM型の失業率
図 返還後の香港が辿ったW型の経済成長とM型の失業率
(出所)香港政府の公式統計に基づき作成

CEPAの内容は財貿易の自由化にとどまらず、サービス貿易の自由化と投資の手続きの簡素化なども含まれている。CEPAが締結されたことにより、一部の禁止品目を除いて、香港から中国本土へ輸出される商品はゼロ関税で大陸市場に参入できるようになった。これは、資金、情報、起業そして技術導入における香港の優位性と大陸の科学技術ならびに豊富な人材という優位性との結びつきをさらに強めることを通じて、新しい優位産業を形成させることにも寄与している。CEPAのもう1つの柱は、中国が香港企業に対して金融や小売、物流、通信事業といったサービス分野の市場をWTOで規定されたタイムテーブルより早期に開放したことである。中でも、CEPAによって、中国本土の銀行は国際証券・債券取り扱いおよび外国為替センターなどを香港に移転することが可能となり、香港において買収や合併による事業拡大を行うことも奨励されている。このように、CEPAを通じて中国企業、中国資金の香港進出が促進される一方で、サービス分野の香港企業の対中進出も促進されるのである。

その上、CEPAは、「香港の観光業の発展を促進するために、本土は、広東省住民の香港個人旅行を許可する。この措置は当初、東莞、中山、江門での試験的な実施の後、2004年7月1日までに広東省全体に適用するものとする」と規定している。これがきっかけとなって、その後、対象地域は広東省に加え、段階的に49都市に広がった。

「出て行く」から「来てもらう」へ

これまでは香港企業が中国に「出て行く」という形で中国経済との一体化を進めてきた。実際、中国から見ても香港は欧米や日本を凌ぐ第1位の投資元となっている。その一方で、香港の製造業の規模は大幅に縮小し、GDPに占める割合は3.5%まで低下している(2005年)。中国への生産移転は利潤を追求する企業にとって合理的選択だが、香港経済の空洞化を招いてしまったという懸念も生じている。幸い、CEPAがきっかけとなって、モノ、ヒト、カネなどが香港に集まってくるようになった。

まず、モノの面では、香港は華南地域と世界を結ぶ中継地になっている。2006年の香港の輸出総額は3155億ドルに達しているが、その94.5%が中国関連を中心とする再輸出(中継貿易)となっている。香港にとって、中国は輸出入の46.4%を占める最大の貿易相手国となっている。

また、ヒトの面では、香港を訪れた旅客数は2000年の1306万人から2006年には2525万人に急増した。中でも、ビザ発給が大幅に緩和されたことを背景に、中国からの旅客数が379万人から1360万人に急増し、全体の53.9%を占めるようになった。

さらに、カネの面では、香港は中国企業の主要なオフショア資金調達センターでもある。2006年末現在、231社(H株、レッドチップ)の中国本土企業が香港市場に上場している。その株式時価総額は8117億ドルで、香港市場全体の株式時価総額の約半分に相当する。また、これら企業の総資金調達額の累計は1794億ドルにも達している。最近では、中国建設銀行、中国銀行、中国工商銀行といった世界的にも大型のIPOが相次いでいる。一方、中国から香港への直接投資は、累計1631億ドル(2005年末現在)に上り、世界から香港への直接投資の3割近くを占めている。世界を目指す中国企業にとって、香港で拠点を持つことは、国際市場進出の足がかりとなる。

このように、「出て行く」から「来てもらう」という戦略転換をしたことにより、香港は単なる「中国への玄関」から「汎珠江デルタ経済圏のビジネス・センター」に変貌している。2006年から始まった中国の第11次五カ年計画(規画)においても、「香港の金融、物流、観光、情報などのサービス業を支援し、国際金融、貿易、航運(海運、空運)センターとしての地位を維持する」という方針が盛り込まれている。

「香港の中国化」Vs.「中国の香港化」

香港返還後の10年間は「香港の中国化」の過程であると同時に、「中国の香港化」の過程でもある。「一国二制度」や「50年不変」など、香港返還にかかわる重大な方針は、鄧小平のアイデアであった。「我々は、『50年』というのは一時の感情からいい加減に言ったのではなく、中国の現実と発展の必要を考慮した上で言ったことなのである」(1984年12月19日)という鄧小平の発言から、香港と中国大陸の制度と発展段階の収斂という過程は、50年間はかかると想定していたことがうかがえる。しかし、近年、中国において市場経済化と私有財産が定着してきており、所得水準も急速に上がってきているように、「中国の香港化」が予想を超えるペースで進んでいる。「中国の香港化」こそ、香港の繁栄と安定、ひいては2047年に予定される「一国一制度」への円滑な移行の保証となるだろう。

2007年6月29日掲載

2007年6月29日掲載