中国経済新論:実事求是

なぜ対中ODAが必要なのか
― 求められる市場の失敗を補う役割 ―

関志雄
経済産業研究所 コンサルティングフェロー

最近、日本では対中ODA(政府開発援助)を削減ないし中止すべきだという議論が盛んになっている。国内の厳しい経済・財政状況のなかで、高成長を達成している中国に援助を行う余裕がなくなってきていることが主な原因であるが、5月の瀋陽総領事館事件に象徴されるように政治面における日中間の葛藤も見直し論に拍車をかけている。残念なことに、このような議論はODAが相手側に一方的に利益を与えるものであるという暗黙の前提に立っており、運用次第では供与国自身もメリットを享受できるという認識が欠けているように思われる。

そもそも、政府による市場の介入であるODAはなぜ必要なのか。資本主義の考え方に基づいて考えれば、本来市場のできることは市場に任せるべきであり、政府が干渉すべきではない。それでも多くの経済分野において政府が大きな役割を果たしているのは、「市場の失敗」を補うという面を持っているからである。教科書的に言えば、公共財、外部性、所得分配の不平等といった問題がその好例である。これらを手がかりに日本の対中ODAのあり方について考えてみよう。

まず、公共財とは、人々の生産や生活に必要な物やサービスのうち、料金を払わなくとも利用できるようなもので、さらに、一人が使ったからといって他の人が使えなくなるということのないものである。生産者が負担するコストを受益者から回収できないという性質から、公共財は市場に任せても十分には供給されないのである。公園や道路などがその典型だが、友好な国際関係も一種の公共財と見ることができる。ODAを通じて、供与国と受入国との関係が改善できれば、戦争の可能性が低くなり、その上、貿易や直接投資などの経済交流も促進されることになる。

実際問題として、日中間では歴史問題が尾を引いており、「日中友好」の外交辞令とは裏腹に、終戦後半世紀以上が経過した今でも、中国における反日感情がいまだに根強い。日本企業が中国に進出する際、常に反日感情に遭い、欧米企業と比べて不利な立場になると多くの日本の経営者が感じている。ODAを通じて、中国人の間でも日本に対する好感が持たれるようになれば、日本企業の対中ビジネスもより円滑に展開されるだろう。残念ながら、日本が中国に対して膨大な援助をしているにもかかわらず、中国ではあまり感謝されていないという報道に象徴されるように、当初期待された効果は必ずしも上がっているとは言えない。この状況を改善するためには、中国における広報活動の強化と日中間の信頼関係の構築が欠かせない。

次に、外部性とは、ある経済主体の行動が他の経済主体に直接的に(悪い)影響を与えることであり、公害問題がその典型例である。中国では、人口の増大と工業化の進展を背景に、砂漠化、大気・水の汚染など自然破壊が深刻化している。ODAにより、中国国内の環境問題の改善が可能になるだけではなく、酸性雨や黄砂など日本が中国から受けている被害の軽減にもつながろう。環境問題に取り組むに当たって、日本の先進技術はもとより、その経験と政策も中国にとっては多いに参考になるはずである。

最後に、所得分配が不平等である場合、人道的立場から、豊かな国が貧しい国を援助するのである。貧困の解消は受入国の政治・社会の安定にも寄与するであろう。特に中国は日本の隣国であり、混乱が起きると、難民の流出など、日本にとっても対岸の火事では済まされない。このように、貧困の解消は外部効果の予防という側面も有している。中国は近年目覚しい経済発展を遂げつつあるとはいえ、いまだ一人当たりGDPが1000ドル未満の低所得国である。さらに国内においては地域格差が大きく、沿海地域と比べて内陸部が、また都市部に比べて農村部が遅れをとっている。自立成長の軌道に乗りつつある沿海地域の都市部はともかく、中国の人口と国土の大部分を占める内陸部と農村部に関しては、ODAから卒業するのはまだ時期尚早である。

2002年9月6日掲載

2002年9月6日掲載