中国経済新論:実事求是

性善説崩壊が日本停滞の真因

関志雄
経済産業研究所 コンサルティングフェロー

20世紀は性悪説に立った資本主義と性善説に立った社会主義が対決する世紀であったが、ソ連の消滅に象徴されるように、社会主義の全面敗北という形で幕を閉じた。「成功した唯一の社会主義国家」と言われた日本においても、失われた10年を経て性善説の神話が崩壊してしまった。これを背景に、中国にとって、日本は学ぶべき経済発展の手本から反面教師に転落してしまっている。

社会主義は人間が本質的に善良で、自分の幸せだけでなく、皆の幸せをも望むことを前提にしている。この場合、人々の利己的行動が他人に損害を与えないように、法律や契約をはじめ様々な制度を厳格に明文化したり、これを実行するために警察、裁判所、刑務所など公権力を行使する機関に膨大な資源を投入したりする必要がない。その上、人々は互いに信頼関係によって結ばれ、目標に向けて協力し合うため、競争よりも協調を重んじる社会主義は効率と平等が両立できる素晴らしい制度である。

高度成長期の日本は概ねこの理想に近い状況であったが、性善説が成り立った(かのように見えた)背景には、コミュニティが果す役割が大きかったと見られる。特に、企業、業界団体、政財官の協力体制というソフトな制度が、法律などハードの制度に代わって、人々の行為を監督し、反社会的行動を抑制したことが重要であろう。しかし、経済発展とともに核家族化と生活様式の多様化が進み、コミュニティとそれによって支えられた人間の信頼関係が崩壊するにつれて、こうした拘束力がもはや働かなくなった。性善説が崩れ去ったのに、無理して社会主義の失楽園を維持しようとするため、様々な矛盾が「制度疲労」という形で表れてきた。

その典型は、終身雇用と年功序列を中心とする人事制度である。同制度では、社員が一旦入社すれば給与や昇進は各々のパフォーマンスとはほとんど関係なく、年次にスライドして決定され、しかもよほど大きな過失を犯さないかぎり解雇されることもない。皆一丸となって会社のために頑張る意識が支配的だった性善説の時代なら問題はないが、「自分は会社のために何ができる」よりも「会社は自分のためになにができる」という性悪説に基づく考え方が主流になった今、この社会主義国における国営企業を思わせるようなシステムは明らかに限界に来ている。

現に、ビッグバンが進む金融セクターでは、意欲と能力のある人材が実力主義に徹する外資系企業に流れてしまい、人材の空洞化が進んでいる。このように、日系企業は、人材を一人前に育て外資系企業に提供する一種の研修所になってしまっている。一方、やる気も能力もない人たちにとっては、日本企業という温室にこもりフリー・ライダー(ただ乗り)に徹した方が得策である。「給料泥棒」が増殖しているなかで、日本企業に残った優秀な人材さえ意欲を失い、その能力を「退蔵」させてしまう(図)。このような「悪貨は良貨を駆逐する」ともいうべき現象(いわゆる「グレシャムの法則」)は人材の流出に限らず、産業の空洞化、政治家と経営者を巡る不祥事など、広い範囲にわたって見られるようになった。そして、日本経済は活力を失い、衰退の道を歩み始めたのである。このように、制度が時代の変化に対応できなくなると、個人個人が合理的行動をとっても、全体としては良い結果につながらない。

「悪貨は良貨を駆逐する」ことは、「価値」(例えば、労働力の場合、その意欲と能力を反映したパフォーマンス)が「価格」(賃金などの待遇)から乖離するときに起こる現象である。日本経済をグレシャムの法則の呪いから解放させるためには、各経済主体が市場メカニズムを活かしながら、モノ・ヒト・カネ・情報の価値を正しく評価した上で、それに相応しい価格をつけることが先決である。具体的に、まず、政治家や経営者など指導的立場にある人々(ひいては彼らを選ぶ人々)が価値を正しく判断する能力を身につけなければならない。これに加え、各経済主体が価値に見合った形で価格(例えば、企業の場合、個別社員のパフォーマンスを反映した賃金水準)を決めるべきであろう。これを通じて、性善説に助長された悪平等の弊害が是正されよう。

図 グレシャム法則のメカニズム -日本企業の人事制度の場合-
図 グレシャム法則のメカニズム
(注)グレシャム法則=「悪貨は良貨を駆逐する」
価格(賃金などの待遇)が価値(生産性などのパフォーマンス)から乖離するときに起こる現象である。

(本文は日経ビジネス2000年10月23日号掲載論文に加筆したものである)

2002年7月5日掲載

2002年7月5日掲載