中国経済新論:実事求是

瀋陽日本領事館事件から見た日本外交の建前と本音

関志雄
経済産業研究所 コンサルティングフェロー

中国の瀋陽日本領事館で起こったあの偶発的事件が、国交回復30周年という日中関係の節目に大きな影を落とす大事件にまで発展してしまった。5人の北朝鮮の難民が、海外への亡命を目指して日本領事館に突入しようとし、懸命にこれを阻止しようとする中国の武装警察が、日本の敷地に入ってしまった。この場面がカメラに撮られ、連日テレビのニュースやワイド・ショーに繰り返して流されていることもあって、事件の行方が大いに注目されている。

今回の事件を巡って、日本の政府はウィーン条約に保障されている領事館の不可侵権を根拠に、中国の「主権侵害」に対して謝罪を求めており、マスコミも政府と同調して、一斉に中国を非難している。一部の自民党の政治家に至っては「領土を侵されたのと同じで、他の国なら戦争になる」、「国家の誇りも尊厳もない」、「中国の国家権力が館内で拉致したと言ってもいい」という被害妄想を思わせるような暴論を展開している。

これに対して、中国は「ウィーン条約の規定によれば、我々は領事館の安全を守るために必要な措置を講じる義務を負っており、武装警察官の行為は純粋な責任感によるもので、同条約の関係規定にも合致している」と反論している。その一方で、98年5月に日本の警察官が中国大使館に「侵入」するという今回と類似している事件が起こった時に特に問題にしなかったという前例を踏まえて、「日本側は冷静になり、中国側の措置を善意的にとらえるべきで、事態を深刻にすべきでない」と訴えている。当局の意向を反映したマスコミの報道も非常に慎重である。その背景には、一部の日本人評論家の言うように中国政府の失態を国民の前にさらしたくないのではなく、靖国神社参拝問題などで高まっている国内の反日感情を煽りたくないといった配慮がある。

このように、中国から見て、本来感謝されるべき「好意的」行動が「故意」的主権「侵害」として非難されてしまったことは、まさに「心外」であろう。中国の武装警察が、職務を放棄し、亡命者の日本領事館に侵入することを放任するなら、今回のように5人には止まらず、千人単位で亡命者が殺到するであろう。難民の受け入れの問題に加え、北朝鮮との関係悪化も避けられないことから、日本政府はこういう状況を望んでいないであろう。実際、阿南惟茂・駐中国大使が北京の日本大使館内の会議で「不審者」を大使館や総領事館に入れずに「追い返す」よう指示していたと伝えられているが、これは大使個人の失言というよりも日本政府の本音を語っていると理解すべきであろう。

「主権」に加え、今回の対立のもう一つの焦点は「人権」に関するものである。確かに、テレビのあの画像をみると、誰もがこの5人の亡命者に対して同情の念が沸くであろう。しかし、それと同時に、我々はテレビの画面に登場するチャンスさえない百万人単位に上る彼らの同胞、ひいては、戦乱や飢饉にさらされている億単位に上る他の地域の難民も忘れてはいけない。日本は、建前上、人道の見地から難民を受け入れることになっているが、本音では、決して難民を歓迎していない。これは、2001年に日本における難民認定者数はわずか24人(82年から累計284人)に止まっているという実績から見ても明らかである(表)。日本は自分が難民の受け入れには非常に消極的であることを棚に上げておいて、人権尊重の立場から中国を非難するのであれば、まさに偽善の行為に他ならない。領事館に侵入した5人、さらに今後一層増えると予想される多くの亡命者を受け入れるつもりのない日本は、彼らの処遇に関して、はたして口を挟む権利があるのであろうか。

表 日本における難民認定申請及び認定数の推移
申請数認定数
198253067
19834463
19846231
19852910
1986543
1987486
19884712
1989502
1990322
1991421
1992683
1993506
1994731
1995521
19961471
19972421
199813315
199926013
200021622
200135324
合計2,532284
(出所)法務省入国管理局

2002年5月17日掲載

2002年5月17日掲載