中国経済新論:中国の経済改革

「普遍的価値」を巡る論争
― 政治改革の突破口になるか ―

関志雄
経済産業研究所

「普遍的価値」VS「中国的特色」

中国では、資本主義化が進むという経済基礎と依然として共産党による一党独裁が維持されている上部構造との矛盾が鮮明になったことを受けて、指導部が政治改革を模索し始めている。実際、07年10月に開催された第17回中国共産党全国代表大会における胡錦涛総書記の報告において、民主という言葉が60回以上繰り返されるほど、政治改革が大きいテーマとしてクローズアップされるようになった。政治改革を進めるに当たり、民主や、自由、人権といった概念を「普遍的価値」(普世価値)として受け入れるべきか、それともあくまでも「中国的特色」を堅持すべきかを巡って、革新派と保守派の間で、熾烈な論争が繰り広げられている。

革新派によると、民主、自由、人権などは経済と社会の進歩に寄与する「普遍的価値」であり、すべての先進国がこれらを共有していることはその証左である。また、改革開放以来の「中国の奇跡」も、このような価値を受け入れるようになった結果に他ならない。今後も高成長を持続させていくためには、民主主義体制を中心とする憲政といった制度面の保障が欠かせない。さらに、民主、自由、人権などは、経済発展のための手段にとどまらずに、人類が目指すべき目標でもあるとしている。

その実現に向けて、共産党内では、これまでの経済改革と同じように政治改革も漸進的に進めていくべきだという認識が主流になっているが、体制外(一部は「反体制」)の学者を中心とするグループは、より急進的な政治改革を求めている。中でも、2008年12月に、中国立憲百周年に合わせて発表された、「08憲章」が内外の注目を集めている。「憲章」は、自由、人権、平等、共和、民主、憲政といった普遍的価値を基本的理念とし、①憲法改正、②権力分立、③立法民主、④司法の独立、⑤人民解放軍の国軍化、⑥人権保障、⑦公職選挙をはじめとする19項目にわたる要求を掲げている(BOX)

これに対して、保守派は、いわゆる「普遍的価値」が、あくまでも西側または資本主義のものに過ぎず、中国がこれらの目標を追求すべきではないと反論している。彼らは、「国内外の一部の勢力が「普遍」というスローガンを掲げて、西側の主張と要求を無理やり我々に押し付けようとしている。我々の社会主義制度を根本的に変えようと企んでいる。」と警戒している(馮虞章、「いわゆる普遍的価値をいかに認識するか」、『人民日報』、2008年9月2日)。過去30年間の中国経済の高成長はまさに「中国の特色ある」社会主義の優越性を示しており、今後もこれを堅持すべきであるという。しかし、革新派の立場に立つと、このような論調は、政治改革を恐れる既得権益層の代弁者の言い分にしか聞こえない。

ジレンマに直面している指導部

今回の「普遍的価値」を巡る論争において、共産党の指導部は建て前としては革新派側に立っているように見えるが、これは必ずしも本音とは一致していないようである。

確かに、温家宝総理は、「科学、民主、法制、自由、人権は資本主義が特有するものではなく、人類が長い歴史の過程で共に追求してきた価値観および共に創造してきた文明の成果である。」(「社会主義初級段階の歴史的任務とわが国の対外政策に関するいくつかの問題」、2007年2月26日に新華社によって配信された、翌日に人民日報に掲載)という見解を示している。

また、胡錦涛国家主席が2008年5月に訪日した際に署名された「『戦略的互恵関係』の包括的推進に関する日中共同声明」において、日中双方は、「国際社会が共に認める基本的かつ普遍的価値の一層の理解と追求のために緊密に協力するとともに、長い交流の中で互いに培い、共有してきた文化について改めて理解を深める」と明記されている。それには、最近浮上している「中国異質論」を払拭したいという中国政府の意図が見え隠れている。

しかし、指導部は、「普遍的価値」を目指すことを「国際公約」として掲げながらも、政権維持のためには、それと明らかに相反する「四つの基本原則」(社会主義、人民民主主義独裁、共産党の指導、マルクス・レーニン主義と毛沢東思想)をも同時に堅持しなければならない立場にある。結局、彼らの言う民主も、あくまでも共産党による一党独裁の維持を前提とする「中国の特色ある」ものにとどまらざるを得ない。

実際、「08憲章」に署名した一部の「反体制分子」が当局によって拘束されており、このことからも分るように、民主、法制、自由、人権といった「普遍的価値」の追求という理想と「中国的特色」という現実の間には、依然として大きなギャップが存在していると言わざるを得ない。

岐路に立つ中国

今回の「普遍的価値」を巡る論争は、1978年に行われ、改革開放への大転換の突破口となった「真理基準論争」を思い出させる。当時、鄧小平をはじめとする改革派は、「実践は真理を検証する唯一の基準である」というスローガンを武器に、華国鋒に代表される保守派の「二つのすべて」(毛主席が決定した政策はすべて守り、毛主席が行った指示はすべて順守すべきだ)という主張を批判した。この戦略が功を奏し、1978年12月に行われた中国共産党第11期三中全会において、階級闘争を中心とする毛沢東路線が否定され、経済建設を中心とする「鄧小平路線」が確立された。そのおかげで、改革開放が軌道に乗り、中国は30年間にわたって年平均9.8%という高成長を遂げた。「二つのすべて」にこだわっていたら、「中国の奇跡」は起こらなかったに違いない。

「真理基準論争」から30年経った今、中国は再び、重大な岐路に立っている。今回の「普遍的価値」を巡る論争も、前回と同様に、改革の行方を大きく左右しそうである。

BOX「08憲章」が掲げている19項目にわたる要求

①憲法改正 現行憲法の中の主権在民原則にそぐわない条文を削除し、憲法を人権の保証のための最高法規とし、中国の民主化の法的な基礎を固める。

②権力分立 権力分立の現代的政府を作り、立法・司法・行政三権の分立を保証する。憲法により中央の権力を制限し、地方自治を実施する。

③立法民主 各級立法機関は直接選挙により選出され、立法は公平正義の原則を堅持し、立法民主を行う。

④司法の独立 司法は党派を超越し、いかなる干渉も受けず、司法の公正を保障する。

⑤軍の国家化 軍隊は特定の政党ではなく、憲法と国家に忠誠を誓う。

⑥人権保障 人権を確実に保障し、人間の尊厳を守る。

⑦公職選挙 民主的選挙制度を実施し、一人一票の平等選挙を実現する。

⑧都市と農村の平等 現行の農業と非農業という二元戸籍制度を廃止し、国民の移動の自由の権利を保障する。

⑨結社の自由 国民の結社の自由権を保障する。結党の禁止を撤廃し、一党支配による特権を廃止する。政党活動の自由と公平競争の原則を確立する。

⑩集会の自由 平和的集会・デモ・示威行動など表現の自由は、国民の基本的権利として保障する。

⑪言論の自由 言論・出版・学術研究の自由を実現し、国民の知る権利と監督権を保障する。

⑫宗教の自由 宗教の自由と信仰の自由を保障する。政教分離を実施し、宗教活動が政府の干渉を受けないようにする。

⑬国民教育 一党支配に仕えることやイデオロギー的色彩の濃厚な政治教育を廃止し、普遍的価値と市民の権利を基本とする国民教育を推進する。

⑭財産の保護 私有財産権を確立し保護する。土地の私有化を推進し、国民とりわけ農民の土地所有権を確実に保障する。

⑮財税改革 財政民主主義を確立し納税者の権利を保障する。

⑯社会保障 全国民をカバーする社会保障制度を構築し、国民の教育・医療・養老・就職などの面でだれもが最も基本的な保障を得られるようにする。

⑰環境保護 生態環境を保護し、持続可能な開発を提唱し、子孫と全人類に対する責任を果たす。

⑱連邦共和 自由民主の前提の下に、平等な協議と相互協力により大陸と台湾の和解案を追求し、立憲民主制の枠組みの下で中華連邦共和国を樹立する。

⑲正義の回復 これまでの度重なる政治運動で政治的迫害を受けた人々とその家族の名誉を回復し、国家賠償を行う。すべての政治犯を釈放する。

2009年2月13日掲載

2009年2月13日掲載