中国経済新論:世界の中の中国

開放なくして改革なし

丁学良
香港科学技術大学社会科学部教授

改革者としての鄧小平の知見

中国の近代化史、特に過去30年間の改革・開放を評価する時、鄧小平に対しては、たとえ彼が評価の分かれる決定を下したことがあるとしても、彼に十分な歴史的な地位を与えなければならない。歴史人物に対する評価は、歴史的背景を十分考慮した上で行うべきである。私は、鄧小平が彼と同じ年代の指導者の中で最も賢明な人だと考える。彼の思想は最も自由主義的ではなかったかもしれないが、中国の発展には改革・開放が必要であるという認識をはじめ、彼の戦略思想は最も明快であった。

今日、「改革・開放」はすでに耳にたこができるくらいよく聞く言葉になっているが、ここ30年間中国で起きたこれほど大きな変化の原因について問えば、最も簡潔な答えは「改革・開放」の四文字にほかならない。

私が鄧小平のこの言葉に対し賛成しない点はたった一つである。この四文字の順序だ。私は、「改革・開放」ではなく、「開放・改革」と言うべきだと思う。鄧小平は、20世紀の中国の歴史においてだけでなく、西洋が東洋に圧力を強めはじめた時代にさらに遡っても、最も偉大な改革者である。鄧小平より以前は、彼よりも開放的な改革者がいても、彼らの政策は長続きしなかった。鄧より地位が高い改革者―たとえば光緒帝の場合、彼には実権がなかった。また、鄧小平より急進的だったが地位が低いため全国に及ぼすほどの影響力がなかった者もいる。鄧小平はこれらの人物と比べて個別の面では及ばないものもあるが、総合してみると最大の改革者である。改革は彼によって推進されたからだ。

改革の前提となる開放

改革・開放以来の30年間、なぜ中国はこのように変化したのか、なぜこのような変化が大きな社会的効果をもたらしたのか。それは鄧小平が有効な方法をはっきりと見つけたからである。まず中国は対外開放をしなければならない。開放しなければ、中国は意味のある改革が起きない。「改革・開放」の四文字の順番を逆にしなければ、中国がこのような大きな成功を収めた理由を説明することが難しい。

開放があったからこそ改革がある。改革の動機は、現行の政策、制度、システムなどに対する不満にある。現状に対する不満があるから「改めなければならない」。しかし、「改める」方向は多元的であり、進め方も急進的なものから保守的なものまで様々である。それゆえ、私はむしろ「改良」という言葉でこの30年間の道のりを表したい。というのも「改良」の目標は「良い」方向に邁進することであるため、実際の効果が良くなければならない。決して国と国民を実験室のマウスのように扱い、軽率に改めることではない。

改良の鍵は、「良い」手本があるかどうかである。現行の政策、制度、システムに欠点があり、実際の効果がなく「どの猫もねずみをとることができず」、やり方を変えなければならない時、まず手本がなければならない。なにが手本になるのか、これは「改める」ための最も基本的な課題である。手本を誤れば、「改良」するどころか、「改悪」してしまう。

大躍進と文化大革命の失敗

中国は、改革・開放前の約30年間に二度ほどの「改革」とも言うべき大きな実験が行われたが、良い手本がなかったため、誤った方向に進んでしまった。一回目は大躍進である。これは毛沢東がソ連をモデルにした工業化路線に対して行った改革で、毛はソ連のスピードが遅すぎると考え、共産主義に突入することを急いだ。この点から、大躍進も改革と言える。しかし、彼が青年時代に大きな影響を受けた「大同世界」、つまり空想の農業社会主義を手本としたため、人民公社が生まれ、社会・経済に惨憺たる結果をもたらした。そしてその後、彼の空想に基づいた経済政策に対する党内の劉少奇、鄧小平、陳雲などからの批判への反撃として、「文化大革命」を発動した。

文化大革命は、二度目の「改革」である。毛沢東は当時の状況のすべてに対し不満を抱いたため、より激しい「改め」方を採った。「17年間の黒い路線(間違った路線)を粛清する」という「文革」初期に最も流行っていたスローガンは、このことを端的に表している。「17年間」とは1949年から1966年の間のことで、毛沢東は、この間の中国の大半の分野において改革の名の下でそれに逆行するものが進められていたため、このような状況を改める必要があると考えていた。しかし、文革が進められた結果、中国はさらに大きな災難に見舞われた。

失敗に終わったこの二回の大きな「改革」は、いずれも手本を誤ったため、深刻な問題が発生し、中国経済が崩壊の淵に立たされたのである。

「改革・開放」の成功

前二回の急進的な「改革」と異なり、今回の30年間の「改革」は、「開放」という大前提の下で、「開放」的な背景と環境の下で実施された。これは鄧小平が同年代の指導者よりも賢明なところである。今回の改革が成功したのは、過去30年間に中国の門戸が開かれていたからだ。その門戸は大きく開かれる時と小さく開かれる時があるが、一貫して開かれたままである。もし門を閉じていたら、中国は決して現在のような道を歩むことがなく、どのような悲惨な状況になっているかは予想もできないだろう。開放された環境の中に置かれて初めて、ほかの国がどのようなことをしているか、どの国がうまく行き、どの国がうまくいかないのか、どの方法が有効で、どの方法が効かないのか、どの制度が良いか、どの制度がだめなのか、を知ることができる。

中国は改革・開放の初期に、「門」を思い切って大きく開く勇気がなかったので、先に「窓」だけを開ける形で、深センなどの特区のみでスタートした。鄧小平の政策は、開放の度合いにかかわらず中国が対外開放を続けることであった。これは非常に重要な一歩である。中国は改革しなくても、開放しなければならない。開放さえすれば、ほかの国がどのように経済を発展させるか、どのように教育を推進するか、どのように産業の高度化を実現するか、どのように法体系と社会政治制度を設計するか等々、中国の優秀な人材や政府の政策決定者は必ずや啓発され、改革が必ずついてくる。世の中のもっと先進的なやり方を見ることができれば、中国は停滞せず、むろん後退もせず、良い方向に向かって努力する人が現れる。これはまさに、「改」めて「良」くなるという「改良」に当たる。

危機から生まれた改革・開放

中国の改革・開放は決して偶然の産物ではない。その原動力は危機である。1949年から1978年の約30年間、中国は門戸を閉じて「改革」を試みた。確かにその目的は、中国を豊かで強い国にし、急速な発展と工業化を実現することであったが、門戸を閉じては、先進的な目標、先進的な道、先進的な方法、先進的な体制を見ることができず、無駄な苦労をして国を悪くする一方であった。1978年の改革は、1949年以降の選択できる方法が狭くなり、旧体制を維持するコストが高くなった時に、もはやこのままでは続かない状況下で採られた、方向転換の措置である。

知人の米国人教授は、中国は文化大革命がなければ、鄧小平の改革もなかったかもしれないと言う。この言葉は、まさしくその通りである。「文革」により、中国人は、急進派が空想に基づいて考え出せるすべてのやり方を体験したが、約束がすべて破られ、すべての希望を失い、ほとんどの資源が消耗されてしまった。その時になって、中国はようやく常識を取り戻して改革・開放に向かったのである。たとえば、請負制は決して新しいものではなく、中国は二千年の間、この方法で田畑を耕してきた。つまり、中国の農民は耕す方法を心得ており、役人が生産の細かい部分に介入する必要はないのである。

当時、中国大陸の指導者に最も衝撃を与えたのは、欧米ではない。鄧小平の年代の指導者の多くは留学経験があり、欧米の先進ぶりには驚かない。しかし、大陸より発展している台湾や香港のような華人社会を見ることで、彼らは大いに刺激された。これは、彼らが比較されることに耐えられないのと関係するかもしれない。同じ華人社会なのに、経済発展や国民生活のレベルにこれほど大きな格差があり、しかも国民党は共産党に敗れて台湾に逃げた「亡命政権」である。

開放がなければ、これらの情報は中国大陸に入ることがなく、大多数の人は台湾と香港の市民が地獄のような生活を送っていると思い込んでいたに違いない。

さらなる発展に向けての課題

世界中の国の近代化の方法は様々である。しかし、輸出奨励にせよ、IT産業の発展にせよ、加工産業の発展にせよ、最も簡単な区分は「近代的経済技術水準」を尺度とし、先発か後発かで分けることである。後発者または発展が後れている者が近代国家に仲間入りを果たそうとする時、なにが最も重要なのだろうか。もちろん、資金、技術、人材などが必要であるが、最も重要なのは、真実でなるべく完璧または正確な情報である。情報(information)、アイディア(ideas)、他人からの啓発やインスピレーション(inspirations)、学習の対象となるモデル(models)、他人から汲み取る教訓(lessons)等々は非常に重要である。

なるべく正確で真実の情報の自由な伝達は、後発国家が進歩するための前提(pre-condition)である。この前提がなければ、他の要素だけでは趨勢を逆転させることができない。中国が今後の30年間にどうなるかを予測する時、これまでの30年間にわたり、社会政策、政治、法律、経済、環境などの分野で行われた改革を、客観的に評価した上、それらの持続可能性を分析しなければならない。

中国は今後の30年間で引き続き高成長を遂げるかどうかは現時点で予想し難い。しかし、少なくとも私たちは、今後の15年間に、これまでの方法のうち、引き続き良い影響をもたらす方法と、当初は良い影響をもたらしたがすでに悪い影響が現れている方法を区別し、その中から、どういう方法を続けるべきか、をある程度判断できる。続けられるものは、今後の発展のバネになる。続けられそうにない方法は、むろん改めなければならない。そして、改革案の策定に当たっては、中国はこれまでの30年間を総括するだけでなく、外国の経験を参考にすべきである。これは決して100%外国からコピーすることではないが、「国情」を口実に他人に学ぶことを拒んではいけない。中国は、国際的視野を以て時代の潮流を捉え、持続的な効果をもたらす政策、体制、方法、組織形態を見定めなければならない。これこそ責任のある態度である。

2008年6月25日掲載

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