中国経済新論:中国の経済改革

「三度目の春」を迎える共産党

丁学良
香港科学技術大学社会科学部教授

中国安徽省出身。1984年に米国留学、1992年にハーバード大学博士号を取得。ハーバード大学、国立オーストラリア大学アジア太平洋研究所での教職と 研究職を経て、現在、香港科学技術大学社会科学部教授。カーネギー国際平和財団シニアフェロー、中国政法大学役員教授を兼任。専門は、比較発展、社会移 行、大学制度、グローバリゼーション。英語、中国語の著書は、ケンブリッジ大学出版社、オックスフォード大学出版社、北京大学出版社など、から出版されて いる。

中国に関心のある人であれば、中国にとって2009年は普通の年ではないということを知っているはずである。

2009年が特別な意味を持つ出来事は、プラス面とマイナス面の両方合わせて4つある。まず、中華人民共和国の建国60周年である。中国人の伝統では、60年は干支が一巡する年数で、人間にたとえると還暦の年に当たり、50周年よりも重要かもしれない。この60年と密接に関係するのが、1919年の「五四運動」の90周年である。「五四運動」は、中国共産党および、20世紀の中国の政治、社会、文化などすべての面の変化に極めて大きな影響を与え、現代中国の出発点とも言われている。三つ目は、悲しい日で、20年前の政治的悲劇〔訳注:天安門事件〕である。四つ目は、多くの中国漢民族は知らないが、国際社会とチベットで幅広い影響がある日で、1959年のいわゆる「チベット動乱」である。この年に、ダライ・ラマ14世は集団を率いてチベットから逃亡した。

この四つの記念日により、2009年の中国は非常に大きな不確実性を抱えている。この不確実性はマイナスの事態にまで発展する可能性もあるし、プラスのことをもたらす可能性もある。ここで、私は、プラス面での可能性から今後の傾向を分析したいと考える。この2009年の最初の文章において、私は、「共産党は『三度目の春』を迎えることができるのか」という設問をテーマとしたい。

「三度目の春」とは何か。中国の伝統的な概念、特に大衆文学では、何度目の「春」とは何度目の結婚を指す。大衆文学では、「二度目の春」、「三度目の春」は特に中年男性が自分よりだいぶ年下の女性と二度目または三度目の結婚をすることによって、新たに生きる活力を得ることを意味する。しかし、ここでいう「中国共産党は『三度目の春』を迎えることができるのか」は、プラスの意味で使っており、決して官僚たちの私生活をからかっているわけではない。

私は、中国共産党が「三度目の春」を迎えられることを心から期待している。さらに、多くの人々の努力によって、「三度目の春」が実現される、あるいは少なくともその方向に向かって着実に進むことを期待している。なぜ「三度目の春」と呼ぶのか。過ぎ去ったばかりの20世紀を振り返ってみよう。20世紀の前半に、全世界で共産主義運動が起きたが、私は、これを「一度目の春」と名づける。20世紀半ばになると、多くの共産党が政権をとったのである。

ただ、政権を勝ち取って唯一の与党になってから、ほとんどの国の共産党は、「一度目の春」しか味わうことができず、1980年代から1990年代初めにかけて相次いで衰退し、崩壊した。しかし、世界の大半の共産党政権が「一度目の春」の末期に消え去ったとき、中国共産党だけが「二度目の春」に恵まれた。中国共産党の「二度目の春」は現代世界史において特別な意味を持っている。これが、2008年末に、中国国内だけでなく、海外の多くの学術団体やメディアが相次いで中国の改革開放30周年を記念したり、議論したゆえんである。

それでは、長い歴史の中でなぜ大半の与党共産党が「二度目の春」を迎えられず、中国共産党だけが歴史的なチャンスに恵まれたのだろうか。その理由は簡単である。中国共産党は、共産主義の宿敵、世界中のほかの共産党と共産主義運動に批判される「搾取制度」と結婚したからだ。「共産党宣言」、レーニン選集、毛沢東選集を読んだ人であれば、共産党や共産主義運動が「共産」と呼ばれるのは、その根本的で最大の特徴が資本主義の消滅にあるということを知っている。これがほかの急進的運動との基本的な違いであり、共産党の「身分証」のしるしと見なすこともできる。

歴代の共産主義の経典は、資本主義の消滅を主目的としている。全世界の与党共産党のほとんどが「二度目の春」に恵まれず生き残れなかったのは、「資本主義の消滅」を変えてはならない原理としたためである。しかし、中国共産党はこの点において、世界の他の与党共産党とは正反対の行動を取り、大胆に「適者生存」の方法、すなわち「資本主義との結婚」を選択したため、「二度目の春」を迎えることができたのである。

共産党体制を研究するあらゆる言語の書籍を調べても、1980年代以前の数十年間、与党共産党が資本主義の道を切り開き進んで行くと予想できた人、あるいは信じる人はいなかった。過去30年間を振り返ると、中国共産党は、多少の動揺はあったものの、基本的にこの道をうまく切り開き、歩んできた。なぜこれが可能であったのか。それは、中国共産党はほかの与党共産党と違って、柔軟な発想で本来徹底的に消滅したい対象と結婚したからである。この体制の融合の結果、人民の生活が大幅に改善されただけでなく、中国共産党の政権も新たな基礎が築かれた。もし中国共産党が30年間毛沢東の道を歩み続けていれば、今日の中国と中国共産党は北朝鮮よりもひどい状況になっていただろう。

1980年代以前、党派を問わず世界中のすべてのチャイナウォッチャーたちは、世界最大の共産党が資本主義とこれほど固く結びつき、そして経済面で大きな成果を上げる―払った代価も大きかったが―などとは信じていなかったことである。この点について、中国共産党の業績は確かに全世界のチャイナウォッチャーを驚かせ、彼らの否定的な予言を続々と打破した。今日の中国共産党は、もはや全世界で最も固く資本主義を守り、さらには資本主義の最も酷な部分までも守る政党になっている。

過去の数十年間、国内外で多くの人は、中国共産党が政治改革を実施し、民主化を推進することを提唱し、呼びかけている。同時に、海外でも国内でも、多くの人がおびただしい文章を書き、中国共産党の本質が民主制と結びつくことはないと証明しようとしており、まるでこの党のDNAの中に反民主的な遺伝子があるかのように、民主化改革ができないと信じている。

私はむしろ、この点について中国共産党に絶望する必要はないと考えている。なぜならば、中国共産党は少なくとも「二度目の春」で、世界のほかの与党共産党が固く拒否し、あるいは成し得ないことを成し遂げ(ベトナム等は中国共産党を見習った)、資本主義を情熱的に抱きしめ、自らの政権で資本主義の発展を守ったのである。そして、このことは、共産党の本質と相容れず、起こりえない突然変異だと広く考えられていた。

中国共産党があれほどの勇気をもって、血液型が全く異なる体制と融合したことによって「二度目の春」を手に入れたならば、なぜわれわれはその成果を喜ぶ気持ちで、中国共産党が「三度目の春」を迎えることを激励できないのか。

中国共産党の七千万人の党員のうち、大半の人は頭脳明晰であるに違いない。彼らは、物質的、文化的、精神的な生活の進歩に伴い、一般民衆は自分のことに関する発言権や参加権を持つ希望が強まっており、ずっと決定を待つだけのコマになりたくないという世界の大きな流れを知っている。この漸進的な過程は、政治的により開放的になり、一般民衆が政策の制定と実施に参加する機会が増えることである。

中国共産党のなかの多くの人が党内のことについても同じように考えている。一般の中国共産党員も党内でより多くの発言権と参加権を望んでいる。中国国民も同じで、いい年になって、上層部から「素質が低すぎて、まだ自己管理できない」と言われ続けたくないのである。

私は、中国共産党が「二度目の春」から良い経験を吸収し、自信を強め、柔軟な姿勢と視野を持てば、「三度目の春」とはすなわち、共産党と基本民主メカニズムとの結婚であることが見えてくると考える。

この融合の過程は、その前の「二度目の春」と同じように、石を探りながら河を渡らなければならない。しかし、「石を探る」目的は河を渡ることであり、停滞することではない。「石を探って河を渡る」ことに対し中国政府メディアは、まるで目標も方針も定まっていないかのように解釈しているが、これは全くの誤解である。「石を探る」のは、河を渡る具体的な方向が不明確なだけで、河を渡る目標自体は非常にはっきりしており、河を渡ってこそ活路があるのだ。しかし、この点について、中国国内で明確に説明できる人が少ない。

中国共産党が「三度目の春」を迎えたいのであれば、「石を探りながら河を渡る」という実験的な気持ちを持ちながら、河を渡る決心を固め、ほかの社会で試された方法を試み、政治と政策決定の過程への民衆の参加を拡大しなければならない。中国共産党は常に、一般民衆が公共政治に広く参加すれば、共産党政権の脅威になるだろうと心配している。実際には、中国大陸以外で、特に20世紀後半に民主化の実験が行われ、その結果は必ずしも悲観的なものではない。

私は、中国共産党が各レベルの党員幹部の昇進に、適切なメカニズムを導入すれば、中国共産党の政権基盤を強化し、社会の支持を受けることができると信じる。選挙に対する理解が深く、民意を正しく誘導できる人を中国共産党の幹部に据えなければならない。都市にしても農村にしても、中国共産党内の幹部に昇進した者は、末端の民衆の投票を勝ち取れる人でなければならない。あるいは、党員の投票と民間の投票の両方を勝ち取れる幹部を昇進させるべきである。

こうした変化は、中国共産党の「二度目の春」と似ている。毛沢東時代には、運動を起こす人、理論の仕事をする人、イデオロギーの仕事をする人が最も昇進しやすかった。特に文化大革命の期間中、商売ができる人はいうまでもなく、経済や生産の仕事ができる幹部は、すべて批判と粛清の対象だった。?小平が政権を取った後、中国共産党の政権の歴史ではじめて、経済、生産、商売が分かる人が昇進の機会に恵まれた。これがあったからこそ、中国共産党に「二度目の春」のリーダーが現われたのだ。

このため、中国共産党の「三度目の春」も幹部選抜と淘汰のメカニズムから着手しなければならない。選挙のことが分かり、民衆の票を勝ち取れる党員により多くの昇進機会を与えれば、中国共産党としての与党の地位は民主化改革の過程で必ず社会から多くの支持を受けることができる。そうすれば、党内の、いい加減な仕事をしたり、上司にごまをすったり、民衆を虐げたりする幹部―彼らこそ与党の墓穴を掘る人々―を民衆の投票というメカニズムを通じて排除することができる。このメカニズムが中国共産党のなかに導入されれば、将来の政治の民主化および法治の構築の過程において、全世界の悲観的なチャイナウォッチャーの予測が再びはずれることになろう。これは中国の進歩にとって極めて意味が大きい。というのも、これは平和的で、安定的で、上と下の良好な相互作用という方法を通じて、中国が政治的に世界の現代文明の主流に仲間入りすることができるからだ。

2009年という特別な一年に、私は、中国共産党が再度突然変異し、「三度目の春」を迎えることを期待している。

2009年5月8日掲載

出所

FT中文網「中国執政党的“第三春"?」
※和訳の掲載にあたり著者の許可を頂いている。

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