中国経済新論:中国の経済改革

四川大地震は良いガバナンスを促進できるのか

丁学良
香港科学技術大学社会科学部教授

中国安徽省出身。1984年に米国留学、1992年にハーバード大学博士号を取得。ハーバード大学、国立オーストラリア大学アジア太平洋研究所での教職と 研究職を経て、現在、香港科学技術大学社会科学部教授。カーネギー国際平和財団シニアフェロー、中国政法大学役員教授を兼任。専門は、比較発展、社会移 行、大学制度、グローバリゼーション。英語、中国語の著書は、ケンブリッジ大学出版社、オックスフォード大学出版社、北京大学出版社など、から出版されて いる。

良いガバナンスとは、政策決定の過程と徹底的な実施の結果が、公正かつ有効で客観的に検証できる一連の基準を満たしていることを指す。したがって、それは一種の状態であると同時に、ひとつの過程でもある。十数年来、国際社会は途上国におけるガバナンスの向上に大いに注目している。ガバナンスが良くなければ、その社会の持つ潜在力が発揮できず、国際社会からの援助も大量に浪費される。この問題が四川大地震の影響を考える際、特に重要になっている。なぜならば、すべてのシステムの改善とガバナンスの進歩は、常に大きな事件と共に生まれるからである。

今回の四川大地震の際の中国政府と民間の救助の進め方とその効果は全般的に国内外から高く評価されている。中でも、国際社会は三つの参考例を取りあげ、中国の進歩を評価している。三つの参考例のうち、二つは中国にあり、一つは隣国にある。

一つ目は1976年の唐山大地震で、二つ目は2003年のSARS(重症急性呼吸器症候群)、三つ目は四川大地震の約一週間前に発生したミャンマー・サイクロン災害である。この三つの参考例は、四川大地震に見舞われた中国政府と民間の活動への評価に大きく影響した。もし、このような比較の対象がなければ、中国に対する国際社会の全般的な評価がなぜ良かったかを理解できない。この高い評価は、地震前に発生したチベット事件とそれに関連する五輪聖火リレー中に起きたさまざまな抗議活動と、鮮明な対比をなしている。

このように、今回の中国の救援活動に対する国内外の評価はおおむねポジティブである。しかし、震災後の再建はまだ始まったばかりで、今後中国政府が、今回の地震で見られた様々な形の自由化と活力を生かし、ガバナンスの向上を促すことに、どの程度の明確かつ確実な進歩を見せることができるのかについて、中国国内の民衆だけでなく、国際社会も見守り続けている。

長い間、政治社会学は、政治制度の形成と変化のための社会的条件に注視してきた。その研究テーマは、近代的な国家行政管理システムがどのように変遷したか、どのように効率的に、公正に変化したか、あるいはその逆なのか、良い方向に変化することを支える社会的要因は何なのか、などである。実証分析のベースとなる資料が限られるため、各国の学界の関心は、農業社会から工業社会への移行期以降の近代に集中している。

システムの成長を促進する原動力は主に三つある。ひとつ目は戦争である。戦争が近代国家の行政管理システムに与えるインパクトは非常に大きく、これまで多くの前例がある。例えば、かつて欧州において、英国よりも強い国であるポルトガル、スペイン、オランダが英国に敗れたのは何故なのか。イギリスが「日の沈まない国」になった根本的な要因のひとつは、近代的戦争を組織、支援する有効な財政等の制度を発展させたことである。イギリスの競争相手は戦争を戦争だけとしてとらえ、その結果、極度の疲弊状態に陥った。これに対し、イギリスは合理的な行政管理システムの構築に力を入れたため、戦争中に進歩を続け、ますます強大になり、戦争によって崩壊するどころか強化された。

二つ目の原動力は、大規模自然災害である。これは行政管理システムなどを含む近代的国家が進歩し、より合理的より効率的になった要因でもある。三つ目の原動力は経済競争であるが、これについて別の機会で改めて論じる。

今回の大震災をきっかけに、中国政府が制度面の悪い点を改善し、良いガバナンスの推進の面で顕著な進歩を果たせるかどうかを見守りたい。

大きな自然災害は戦争とは異なるものの、類似点もある。多くの国の政府は大きな自然災害に対しては、事前の対策を講じているが、実際の災害発生時には、事前の予想を超える規模になることが多い。これに対して、国家機関、行政システム、社会管理など様々なメカニズムがより機敏かつ積極的に対応し、破壊を進歩のチャンスとして捉えることができれば、まさにすばらしいことである。こうした角度から、今回四川大地震の発生後、国内外が最も大きな関心と期待を持っている点について見てみる。

第一に、最も注目されるのは情報の透明性の向上である。1976年の唐山大地震の時、中国の全てのメディアは新華社発の記事しか使用できなかった。そして、唐山大地震に関する新華社発の数本の記事は、当時の気が狂ったような人間性のない政治用語に満ち、地震による被害、特に人命の被害についてほとんど言及しなかった。政府による情報統制のため、唐山大地震は当時の中国社会に大きなパニックを引き起こし、様々な流言飛語の広まりを助長した。被災地に関する本当の状況が分からないため、人々はどのように救助すればいいか分からず、大半の地域において、一般庶民は、無知と愚かな指導の下で、理性的でない防震対策や救助活動を行ったのである。

27年の歳月を経て、2003年のSARSの初期には再び情報統制というの古いやり方が使われ、これは国内外にパニックを招くなど、その弊害が露呈された。結局、深刻な自然災害が突発するたびに、真実の情報がタイムリーに開示されないことは噂や誤った判断の温床となってしまう。

このため、今回、国際社会が中国に肯定的な評価を下した理由は、まず四川大地震の期間に、中国はまれに見る高い情報の透明性を実現したからである。政府の公告だけでなく、主要メディアの自主的な参加、一般庶民の携帯電話や電子メールなど、様々なチャネルから発信された情報は、中国社会全体を広く動員し、救援活動に積極的に参加させ、デマを防止するなどの面で大きな役割を果たした。このように、今回の透明性の向上は、トップダウンではなく、ボトムアップによって進められた。国内外の報道にあるように、中国の宣伝部門は地震発生当初、昔のような方法で世論を統制しようとした。だが地震発生後、多くのメディア関係者がボランティアとして被災地に赴き、最新情報を迅速に発信したことにより、情報の透明性が確保され、中国は海外で大きく評価と同情を得ただけでなく、国内における全面的な団結と助け合いを促進した。

こうした中で、人々は、中国政府がこの短期間の透明性の向上を肯定し、それを制度化と常態化することができるかどうかに注目している。透明性の確保について、たとえ一部だけでも進展があれば、中国は良いガバナンスの構築に向けて画期的な一歩を踏み出すことになる。

第二に、今回の救助活動において中国の民間の力が自発的かつ広く参加したことである。NGO(非政府組織)や、小規模な財団、経済団体、個人による救援活動など、愛と正義に基づく様々な行動は、世界からの賞賛を浴びた。たとえ最も裕福な国であっても、四川大地震のような巨大な突発的な災害に遭遇した時、政府だけでは対処しきれない。中国はまだ発展途上国であり、多くの地域と人口が貧困あるいは半貧困状態にあり、政府は一手に引き受ける能力も資源もない。市民社会の自発的、自主的な参加を許さなければ、このような巨大で突発的な災害はより多くの人命を奪い、より多くの被害を出し、さらには社会動乱あるいはガバナンス危機を引き起こす可能性すらある。この意味から、今回中国の市民社会が全面的に自主参加したことは、国際社会に賞賛される偉大な愛国主義を反映したもの、すなわち自国の各民族の同胞に対する思いやりと援助であり、世界を警戒させるような極端な民族主義の発露ではない。

国内外では、中国政府が民間のこのような自発的、自主的な愛国精神の国民意識を大切にし、制度面で安定的な保証を与え、より健全でみんなが助け合う強い社会を作り上げることができるかどうかに非常に注目されている。そのためになすべき事は多い。まず最優先事項として、中国は遅れることなく国際ルールと民意に則って、有効な法律を制定し、NGOや、慈善団体、財団などに対し規律を設けた上で、正当に保護しなければならない。中国国内には、ある程度の規模に達し、実際に公益事業を行ったことがあり、海外のNGOと多少とも関係のあるNGOは三千余りあると報道されている。規模が小さく基盤が弱いところを含めると数万にのぼるだろう。有効な法律の下ではじめて、これらのNGOが堂々と機能することができる。名ばかりのものは法に基づいて整理、淘汰される一方、成果を上げたものは一層活躍するだろう。

第三は、中国政府が突発的な大規模自然災害に見舞われたとき、国際社会とどのように連携して、最速かつ最も有効な方法で国際救助隊を受け入れるかという点である。

この点に関しても、今回中国政府の対応方法は1976年の唐山大地震と2003年のSARSの時に比べて異なっており、大きく前進した。唐山大地震の後、中国は「自力更生」のスローガンを高く掲げ、門を閉ざし、自らの能力が遥かに及ばないにもかかわらず、国際社会の救助の受け入れを拒否した。この行動をとった真意はどうであれ、その結果、中国国民の人命損失が拡大した。2003年のSARSの時も、発生当初、中国は世界保健機関(WHO)に自ら接触せず、相手が来ようとした時に門を閉ざし、問題が深刻化した後、多くの国が中国への渡航規制措置をとってはじめて、短期的な限られた海外援助を受け入れた。

今回の四川大地震の発生後、中国が情報を発信してからすぐ、台湾同胞を含め海外からは救助隊派遣の申し出があり、地震発生三日目には、海外救助隊が四川に入った。これは1976年と2003年に比べて大きな進歩である。ミャンマーのサイクロン災害の対応に比べると、天と地の差だ。残念なのは、災害時の人命救助では最初の数日間が最も重要であるが、海外救助隊の現地到着は二日半遅れとなってしまった点である。

とはいうものの、中国が今回、国際社会との半歩遅れた協力(それでも大きな改善)から良い経験を得て、国際協力に関する手続きを合理化、簡素化して加速させれば、将来、再び大きな自然災害に見舞われた時に、早急に国際社会と協力し、海外の有効な援助を受け入れることができる。「人を基礎とする」(「以人為本」)、「民を基礎とする」(「以民為本」)の原則を貫き、法規制を革新すれば、この問題の解決は決して難しくない。

第四に、今回の災害では多くの学校が倒壊したことに鑑み、地震頻発地域の公共建築物について全面的に調査し、構造を強化するあるいは再建しなければならないことである。また、校舎や病院などの建築基準を厳しく定め、地元の政府庁舎の基準を下回らないようにする。四川で数千の教室の倒壊により一万人以上の子供と教師が命を奪われたこの大きな社会的悲劇について全面的かつ明確に調査し、厳格に対応しなければ、われわれは国内に対しても国際社会に対しても説明できないだけでなく、今後、天災が人災に変わるのを防げないのである。

第五に、救済と再建の義援金と資金供与の使途に関する、公共監督システムを構築することである。これほど大きな自然災害に見舞われ、中国国民と国際社会は様々な方法を通じて被災地の住民を支援しているが、透明性を確保し厳格に監督しなければ、適切に使用されず、悲劇の後にもうひとつの悲劇を招くことになる。

中国は自然災害が頻発する国である。大きな災害だけでなく、中規模や小規模の災害も毎年発生する。救援物資や故郷の再建の資金について、透明性の高いかつ公正で有効な監督システムを作れば、国内外から援助をより多くより早く受け入れることができる。民間の慈善寄付金がGDPに占める割合は、米国が1.85%、イギリスが0.84%、韓国が0.18%、インドが0.09%で、中国は0.05%にとどまっている(2006年10月9日付け、サウス・チャイナ・モーニング・ポスト)。四川大地震はこの状況を変えることになるかもしれないが、その前提は、寄付金に関する税制と監督システムを整備することであり、そうすれば、中国国内および海外の慈善活動を持続させることができる。

第六に、大型と中型の水力発電所の建設に当たり、透明性を高め、各方面の専門家の意見を公表しなければならない。痛烈な反対意見ほど、周知する必要がある。

今回の四川大地震は予想されにくいと言われているが、近代科学あるいは歴史的資料からも分かるように、この地域は地震多発帯であるのに、ほとんどの河川にダムが作られている。多くの水力発電所が建設される前に、一部の地質専門家が疑問を示したか反対したが、政府の政策決定の前にすべて却下された。資料によれば、今回の地震発生地域の周辺には大小合わせて約7000ヶ所のダムがある。中国政府の発表によれば、地震により、8省・市のダムで危険な状態になったものが2380ヶ所、そのうち69ヶ所に崩壊の危険がある。これらのダムは言い換えれば、数千万人の住民の頭上の巨大な水がめである。はたして、中国の960万平方キロの国土に、ダムのない河川はいくつあるのだろうか。そして、これらのダムの内、公聴してから着工するものはどのくらいあるだろうか。今回の大地震からも分かるように、この問題は、商業的利益ばかりに任せてはならず、国家の安全を前提とする発展戦略のレベルにまで引き上げなければならない。

今回の四川大地震は、中国に約10万人の人命の損失、数十万の家族の離散、量りきれない血と涙、数え切れない財産の損失をもたらした。もし中国政府(特に中央政府)が、今回の巨大な災害の中で現れた中国における市民社会の偉大な潜在力を貴重な財産と見なし、さらに他国・地域の経験と結びつけ、行政管理システムの改善を推し進め、国家と社会の間での互いに良い影響を促進することができれば、中国は「良いガバナンス」に向けて大きな一歩を踏み出すことになる。そうすれば、われわれは、犠牲になった10万人の同胞の魂を思い出す時に慰めになり、犠牲者の遺族や親友の前に呵責の念も軽くなる。そして、将来、大きな自然災害に再び遭遇した時に流す血と涙も少なくなるだろう。

2008年8月5日掲載

出所

FT中文網「大震能否推進"良治"?」
※和訳の掲載にあたり著者の許可を頂いている。

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