中国経済新論:中国の産業と企業

中国企業の海外上場を巡る大論争

関志雄
経済産業研究所 コンサルティングフェロー

中国企業の海外上場は1993年の青島ビールの香港での上場に遡る。当時、中国国内では資金不足に加え、証券市場が設立されてまだ日が浅く充分な機能を備えていなかったため、多くの中国企業は、資金調達の場を、香港をはじめとする海外市場に求めてきた。この情況はその後も続いており、特に2005年以降、中国企業が海外市場で調達した資金量は国内の分を上回るようになってきた(表1、図1)。

表1 海外市場における中国企業のIPO情況
表1 海外市場における中国企業のIPO情況
(出所)『清科-2006年度中国企業上市年度報告』
図1 国内市場を上回った海外市場での資金調達額
図1 国内市場を上回った海外市場での資金調達額
(注)IPOと既上場企業の増資を含む。
(出所)中国証券監督管理委員会より作成

これを背景に、中国企業の海外上場の是非をめぐって、慎重派と推進派の間で、論争が交わされている。人民大学の紀宝成学長や国務院発展研究センター金融研究所の夏斌所長をはじめとする慎重派は、国有企業が海外上場する場合、(1)国民は中国経済の成長の果実を享受できなくなり、国有資産が流失してしまう、(2)国家の経済安全保障が脅かされる、(3)国内資本市場の発展が遅れてしまう、と懸念を表明している。これに対して、推進派の代表的論客である中国社会科学院金融研究所の易憲容研究員は、正面から反論し、海外上場のメリットを力説している。

国有資産の流失に当たるか

人民大学の紀宝成学長は、優良な大型国有企業の海外上場は国有資産の流失につながっていると批判している。多くの企業の上場価格は低い株価収益率(PER)をベースに算出されたため、海外の投資家が割安な価格で株式を購入し、利益を享有する一方で、中国の国民は経済成長の果実を享受できなくなる。その上、上場する前に企業の再編に費やしたコストや高価な海外上場コストも国有資産の流失に当たるという。

これに対して、中国社会科学院金融研究所の易憲容研究員は、海外上場における割安なPERとIPO価格だけを見て、国有資産の流失と見なすことは間違いであると指摘する。なぜならば、そもそも国内資本市場の高いPERは異常だからである。長い間、A株上場会社は企業の実情とはるかに離れた高いPERでIPO価格を設定したが、業績がさえず、上場後間もなく株価がIPO価格を割り込むことがしばしば見うけられた。その結果、多くの投資家は、IPOと増資に興味を失い、A株市場の資金調達機能が著しく損なわれた。このように、海外上場の場合の割安なPERに基づくIPO価格の設定は国有資産の流失にあたらず、成熟した海外投資家の冷静な行為の結果であると言える。国内市場の高いPERこそ市場の未熟さの表れであり、投資家の利益を損なうという。

易憲容研究員によると、海外上場は企業成長に必要な資金を調達できるだけではなく、コーポレートガバナンスの向上と事業のグローバル化にもつながる。実際、国有企業は海外上場によって資産が流失するどころか、高額な利潤と株価の上昇を通じて国有株主に大きい利益をもたらしている。

国家の経済安全保障への脅威になるか

大型国有企業の海外上場は国家の経済安全保障への脅威となるのではないかと、人民大学の紀宝成学長が憂色を示している。まず、商業銀行やエネルギーなど、国家の発展戦略を担う企業が海外上場すると、株の所有が海外投資家に分散され、経営決定権も分散されてしまうため、国家の戦略を実行できなくなる。また、国有銀行など金融業の上場企業に出資している海外戦略投資家あるいは株主が、銀行融資の方針を変えることを通じて、資金配分に巨大な影響を与えかねない。さらに、多くの国有大・中型企業は公共財の生産という社会機能を担っており、行きすぎたグローバル化はこの機能を損なうことになる。これらの問題はラテンアメリカをはじめ、すでに多くの発展途上国で見られている。1990年代から2000年代の初めにかけて、ラテンアメリカ諸国は、国内企業の大規模な海外上場により、国内資本市場が大幅に縮小し、資産価格の変動が激しく、周期的な経済危機が多発しているという。

人民大学の楊瑞竜、劉元春教授は、国家の安全保障と国家の戦略利益にかかわる上場案件や買収案件に対しては、企業のグローバル化が進んでいるアメリカでさえ、政府がしばしば介入していると主張する。例えば、2005年に中国海洋石油が米ユノカルに買収を仕掛けようとした際に、米国政府の干渉で実現できなかったと指摘している。

これに対し、易憲容研究員が国有企業の海外上場は国家の経済安全保障への脅威とならないと反論している。まず、海外上場している国有企業の中で、国の持分は過半数になっているのがほとんどである。そもそも、政府が株の絶対的多数を所有しなくても、相対的多数さえ待っていれば、企業を支配することができる。これに対し、海外投資家は分散している上、彼らの投資目的は会社の経営への参加よりも、配当とキャピタルゲインを享受することである。中国側は会社の経営権をきちんと支配していれば、国家の安全問題を議論する必要がない。それよりも、大型国有企業が抱えている最も深刻な問題は、これらの企業が、経済安全保障を口実に自らの独占体制を維持しようとしていることであるという。

国内の資本市場の発展の妨げになるか

一方、国務院発展研究センター金融研究所の夏斌所長は、優良な国有企業の相次ぐ海外上場が国内資本市場の発展を妨げると批判する。上場企業は株式市場の基礎であり、良質な上場企業は株式の投資価値の源泉である。規模の小さい上場企業は、仕手戦における投機対象になりやすいが、大型上場企業の場合、資産規模が大きく理性的な投資家による長期保有の対象となるため、株式市場を安定化させる役割を果たすことができる。しかし、国内で上場している企業は、質の面において明らかに海外で上場している企業より劣っており、一種の「悪貨が良貨を駆逐する」という現象が見られる。優良な大型企業の海外上場は、中国の株式市場全体の質を低下させ、投資家の信頼を損なうだけでなく、国内市場の流動性の低下ひいては空洞化につながってしまうという。

これに対し、易憲容研究員は、資本市場を発展させていくためには、企業の海外上場を阻止するのではなく、国内市場の魅力を高めて、上場企業を惹きつけるべきであると反論している。このような認識に立って、当局も、監督体制の強化をはじめ、証券市場の制度整備を急いでいる。現に、2005年から始まった「非流通株改革」を経て、中国国内の証券市場は資金調達の場としての機能が大いに向上し、海外で上場している中国企業の国内への回帰が加速している(表2)。推進派が主張しているように、優良企業の海外上場は、競争圧力を高めることを通じて、かえって国内金融市場の改革の原動力となっている。

表2 香港で上場しているH株発行企業によるA株のIPO(2006年7月-2007年6月末)
表2 香港で上場しているH株発行企業によるA株のIPO
(出所)Wind資訊より作成。

2007年7月17日掲載

2007年7月17日掲載