中国経済新論:日中関係

中国にとって依然として参考になる日本の経験
― 大野健一著『途上国日本の歩み』を読んだ感想 ―

関志雄
経済産業研究所 コンサルティングフェロー

1978年10月24日、鄧小平は、日本の神奈川県座間市の日産自動車工場を視察した後、「ここへきて、現代化とは何かが分かった」と感想を述べた。このエピソードに象徴されるように、改革開放へと模索しはじめた当時の中国は、日本から学ぶ意欲が強かった。このような姿勢は、1980年代まで続いたが、その後、日本はバブル崩壊をきっかけに経済が長期にわたって低迷していたのと対照的に、中国は急速な経済発展を遂げたことにより、中国では「日本に学ぶべきものはもはやない」という風潮が強まってきた。

しかし、成長率こそ中国が日本を上回るようになっているが、平均寿命や、産業構造、消費構造などから判断して、両国間の発展段階の間では、依然として40年ほどの開きがある。また、日本は短期間で東アジアの農業国から最先端の工業国にのぼりつめただけでなく、「一億層中流」といわれるほど、平等な社会の構築に成功した。この経験は、調和の取れた社会を目指す中国にとって、参考にならないはずがない。中国は、後発性のメリットを生かすべく、日本から先進的技術だけでなく、先進的制度をも学ぶべきである。

そのためには、日本の歩んだ道を振り返ってみ、その成功の経験と失敗の教訓を総括することが重要である。その際、発展途上国の官僚を対象とする講義をベースに纏められた大野健一・日本の政策研究大学院大学教授の著書『途上国日本の歩み 江戸から平成までの経済発展』(有斐閣、2005年)は、大いに参考になる。同書は、日本の現代化の過程を、「外部の挑戦」と「内部の対応」という軸に沿って纏められているだけに、同じグローバリゼーション圧力にさらされながら、「改革開放」を押し進めている中国の研究者や政策当局者にとって、共感できる多くの内容が含まれている。中でも、日本が経験したGATT(WTOの前身)加盟に伴う産業調整や、深刻な環境問題、対米貿易摩擦、通貨切り上げ圧力、不動産と株といった資産価格の急騰(いわゆる資産バブルの膨張)などは、現在中国でも繰り返されている。

日本は19世紀半ばに西洋世界に向けて開国した際に、また1945年の敗戦後の二度にわたって大きな挑戦に直面したが、いずれの場合にも少なくとも経済面について言えば、やがて困難を克服し大成功を収めた。著者は、その成功のカギを、外来の概念やシステムが、輸入に当たり欧米発のオリジナルのままではなく、自分のニーズに合わせて適宜修正されるという「翻訳的適応」の能力に求めている。日本は、古来の中国との交流などを通じて、新たな外来文化を柔軟かつ重層的に受け入れ、技術の翻訳の素地が、明治維新の頃には、すでに整っていたという。

また、グローバリゼーションへの対応に際して、民間セクターの競争努力に加え、政府の対応が成敗のカギとなる著者が主張する。もし政府が国際統合の過程のコントロールを失えば、マクロ経済の破綻、社会分裂、政治危機、民族紛争、外国支配といった重大な帰結をもたらす。国内能力の弱さと外圧の強さのジレンマに直面している政府の中には、外部世界との交渉を拒絶し、孤立・経済統制・西洋文明の否定に走るものがある一方、自国社会へのダメージを顧慮することなく、自由貿易原理や欧米民主主義を全面的・狂信的に受容するものもある。改革開放に転じるまでの中国は前者に当たり、1990年代以降のロシアにおける体制移行が後者の好例であると言える。これに対して、日本では、国内で進行する制度的熟成と外国から注入される異質なシステムへの応接、すなわち、内外システムの相互作用の累積によって社会のダイナミズムが生み出されたのである。このロジックは、もう一つの経済発展の成功例としての改革開放に転換してからの中国にも当てはまるように思われる。

経済発展における政府の果たすべき具体的な役割について、著者は、「市場の失敗の理論」を援用しつつ、通産省が1950-1960年代に行った「過当競争の回避」と「幼稚産業の育成」を中心とする産業政策に、一定の評価を与えている。しかし、「現在の後発途上国は発展の初期からWTOやFTAなどの自由貿易体制に組み込まれており、一種の関税自主権喪失の状態にあることから、幼稚産業育成に必要な関税政策の自由度をほとんど持たないという点は十分認識する必要がある」と指摘している。

現在、中国は1960年代の日本と同じように高度成長を謳歌しているが、その持続性を考える際、日本の経験は我々に多くの示唆を与えてくれる。著者は、70年代以降、日本において成長率が大幅に低下した説明として、農村部の余剰労働力の枯渇(完全雇用の達成)に加え、欧米経済へのキャッチアップを達成することにより、後発性の優位が喪失してしまったことを上げている。キャッチアップの過程にある途上国は先進諸国から技術や制度を導入できるが、いったん先進国のレベルに近づくと、もはや他国のコピーだけで成長することができず、イノベーションによって常に新しいものを創出しなければならない。他人の通った道を追いかけるよりも、新たな道を切り開いていくほうが、速度が落ちるのは当然である。

日本では、キャッチアップ過程においてよく機能していたシステムが、成熟した工業国の段階になると無用の長物となったことは、90年代のバブルの崩壊以降通説となった。これに対して、著者は、たとえ自由市場経済を導入するにしても、それは試行錯誤的かつ慎重に進めなければならないのであって、長期指向、チームスピリット、効率と公平のバランス感覚といった特質は、むしろ日本が育ててきた長所として、放棄してはならない、と訴えている。

これらの「長所」に加えて、日本のシステムのもう一つの特徴は戦後、自民党による長期政権が維持されていたことである(いわゆる1955年体制)。皮肉的にも、「自由と民主」を標榜する自民党の政治基盤は、都市部の中産階級ではなく、地方である。自民党は、公的資金を地方開発や農業補助金に注ぎ込むことによって支持を集め、政権を保ってきたのである。このような所得再分配政策は、経済効率の犠牲の上に成り立っているという批判もあるが、多くの日本人は、これは社会の安定を維持するためのコストであると考えている。中国においても、都市部と農村部の間の所得格差が拡大しつづける中で、調和の取れた社会を実現するためには、日本と同じように、経済発展の果実を、農民を含む国民全体に行き渡されるように、政治改革に取り組まなければならない。

2007年3月30日掲載

2007年3月30日掲載