中国経済新論:中国の経済改革

所有制改革の行方
― イデオロギーの壁を如何に乗り越えるか ―

関志雄
経済産業研究所 コンサルティングフェロー

時代とともに進化する社会主義

1970年代末以降、中国の経済改革は、計画経済から市場経済へ、また生産手段の公有制から私有制へという二つの軸に沿って進んできた。これは実質的には、社会主義体制から資本主義への移行に他ならない。しかし、北京大学の張維迎教授が指摘しているように、旧ソ連と東欧が取ったショック療法とは対照的に、中国は社会主義の看板を維持しながら漸進的に改革を進めようとしているため、イデオロギーは改革を妨げる要因になっている(「中国の改革を理性的に考えよう」、『経済観察報』、2006年3月11日)。

実際、中国ではイデオロギーに制約されて、指導者は明確な改革目標を提示できず、多くの改革は人目を避けながら行わざるを得ない。その結果、改革が変質してしまう場合もしばしば見受けられる。また、改革者が政治的に弱い地位に置かれているため、「左派」からの攻撃を恐れて、改革に対して消極的になり、改革の好機を失ってしまう。さらに、改革のための政策は、十分に議論されないまま実施される場合も多い。特に、経済学者以外の社会科学といった学者たちは改革の議論に参加し難くなり、彼らの知恵が得られず、政治と社会の改革は経済改革と歩調を合わせることができなかった。

幸い、改革の過程において、遅ればせながらも、「理論革新」が行われ、伝統的イデオロギーが見直されてきた。資本主義の要素を取り入れた「社会主義初級段階論」、「中国の特色のある社会主義論」、「三つの代表論」などの「理論」はその典型である。これらは文化大革命のときなら「修正主義」として批判されるものだが、いまや「時代とともに進化する(「与時倶進」)」社会主義の象徴となっている。資本主義の彼岸に到達するためには、公有制の放棄をはじめ、さらなる大胆な理論革新が期待される。

鄧小平の知見

従来のイデオロギーを除去するに当たり、改革開放の「総設計師」と呼ばれる鄧小平は、大きな役割を果たした。

1990年代の初めに、計画経済が正式に放棄され、社会主義市場経済が導入されるようになったことは、その好例である。中国では、改革開放の開始とともに、市場経済化の是非を巡って論争が続いた。とくに、1989年の天安門事件を受けて、一部の保守勢力が「計画か市場か」という問題を「社会主義か資本主義か」という問題にすり替えようとして、市場経済化の主張を批判した。こうした中で、鄧小平は1992年1月から2月にかけて深センなど広東省を中心に中国の南部を視察し、市場経済問題に関する多くの重要な談話を発表した(いわゆる「南巡講話」)。その中で、「計画が多いか、それとも市場が多いかどうかでは、社会主義と資本主義の本質的な区別にはならない。計画経済イコール社会主義ではなく、資本主義にも計画はある。市場経済イコール資本主義ではなく、社会主義にも市場がある。計画と市場はどちらも経済手段である。」と指摘した。これは、「計画」VS「市場」の論争に終止符を打ち、同年10月に開催された第14回中国共産党全国代表大会(党大会)において「社会主義市場経済」が体制改革の目標として確立される決め手となった。

鄧小平は1997年1月に亡くなったが、彼の遺言ともいうべき「南巡講話」をはじめ、彼の知見が、いまだ進行中の社会主義から資本主義への移行に多くの示唆を与え続けている。

その一つは「白猫黒猫論」である。大躍進の失敗と「三年間の自然災害」を受けた1962年に、農家による生産請負制の問題について討論が及んだとき、鄧小平は、「現在は、農業はあらゆる形式の中でも1戸単位で進めるのが良い。白猫でも黒猫でも、この過渡期においては、農業の回復に役立つ方法であればそれを使えばよい……つまるところ、すべてを一律にするのでなく、実事求是(事実に即して物事の真相を探求する)でなければならない」と語った。この「現実路線」に沿っていけば、改革開放を進めるに当たり、イデオロギーではなく、現実の情勢に合わせて柔軟に対処するべきことになる。

また、社会主義とは何かについて、鄧小平は新しい解釈を与えている。具体的に、「社会主義の本質は生産力を解放し、発展させ、搾取と両極分化をなくし、最終的にはともに豊かになることである」とした上、「資本主義のものか、それとも社会主義のものか…を判断する時、主として社会主義社会の生産力の発展に有利かどうか、社会主義国の総合国力の増強に有利かどうか、人民生活水準の向上に有利かどうかをその基準とすべきである」と主張した(いずれも、1992年の南巡講話)。この「社会主義の本質論」と「三つの有利論」に従えば、「計画か市場か」と同様に「公有制か私有制か」も、社会主義と資本主義を区別する基準にはならないことになる。

未完の所有制改革

従来のイデオロギーでは、「生産手段の公有制」は、「計画経済」とともに、社会主義経済体制の根幹であるとされた。このため、計画経済の時代の中国では、民営企業が一切認められておらず、国営企業(後に「国有企業」に改められた)と集団所有企業からなる「公有制企業」しか存在しなかった。しかし、実践を通じて、この体制の下では経済活動は活力を欠き、効率が低いことが明らかになった。こうした教訓を踏まえ、中国は、1970年代末期に改革開放路線に転換し、1992年の第14回党大会において、「計画経済」が正式に放棄され、その代わりに「社会主義市場経済」が国を挙げて目指す目標となったが、当時、社会主義市場経済は、公有制を主体とする市場経済と理解され、市場化改革と比べて、所有制改革は遅れてしまう格好となった(図1)。

図1 中国における漸進的改革による体制移行
図1 中国における漸進的改革による体制移行
(出所)筆者作成

その後、国有企業改革は株式制への転換という形で進められ、国有企業に民間資本が注入される形で、多くの混合所有制の企業が誕生してきている。それに合わせて、公有制の定義も「時代とともに進化してきた」。まず、1997年の第15回党大会では、株式制企業の国(または集団)出資の部分に関しては、公有経済の一部として認められるようになった。さらに、2003年10月に行われた中国共産党第16期中央委員会第3回全体会議(三中全会)で採択された「社会主義市場経済体制を改善する若干の問題に関する決定」では、株式制が公有制の主要な実現形態とされ、国(または集団)が支配している企業なら、国による持ち分が過半数(絶対控股)でなくても、他の出資者より大きければ(相対控股)、その企業全体が公有制経済の一部と見なされるようになった。しかし、「決定」の中には、まだ「公有制の主体的地位を堅持する」という文言が残されており、国有企業の民営化の妨げとなるイデオロギーの壁が完全に除去されるまでに至っていない。

実際、中国では、「公有制」という大原則に触れないように、党や政府の公式の文書では、「民営化」と「私有化」という表現が避けられている。その代わりに、民営化を推進するに当たり、個別企業の「所有権改革」または、国有企業の退場と非国有企業の成長を含む経済全体に関わるより広い意味での「所有制改革」といった間接的表現が使われている。しかし、本来であれば、社会主義の国における所有制改革は、民間企業の国有化を意味するはずだが、中国では逆に国有企業の民営化という意味で使われている。中国における「所有制改革」は、自動車を運転するときに「左にウインカーを出したまま右に曲がる」と例えられるように、まさにルールに違反した危険運転に当たる。現実的問題として、民営化は正当性を欠いたままで進められると、法律の整備がどうしても遅れてしまうため、それに伴う利益が一部の権力者に独占されるなど、多くの弊害が生じている。これは、公平性に反するだけでなく、改革に反対する口実を保守派に与えてしまうのである。

所有制改革の更なる理論革新に向けて

民営化をはじめとする所有制改革の「大義名分」作りともいうべき「理論革新」に、多くの経済学者が腐心している。その中で、社会科学院経済研究所の元所長である董輔礽氏と北京大学の厲以寧氏による「公有制」の更なる拡大解釈が注目されている。

まず、従来の公有制企業の範囲が国有企業と集団所有制企業に限られていたことに対して、董輔礽氏は、早くも1997年に発表した論文の中で異論を唱え、「公有制」の拡大解釈を試みた。すなわち、公有制(public ownership)の「公」は、公共と公衆の二つの意味があるが、これに対応し、公有制も公共所有と公衆所有という二つのタイプがある。公有制の下でのある団体の財産は、すべてのメンバーに共有されるが、各メンバーの私有財産にはならない。例えば、従来の国有企業の財産は、国民に共有されるが、国民一人一人にとって、私有財産ではない。これに対して、公衆所有制の下でのある団体の資産は、メンバーに共有されながら、個人の私有財産でもある。例えば、株式制企業の財産は株主に共有されると同時に、株主の私有財産でもある。メンバー(株式制企業の場合、株主)は、所有しているシェア(株式)を売却する形で、団体(株式制企業)から離脱することもできる。

また、株式制改革に尽力し、「厲株式」というあだ名を持つ厲以寧氏も、2004年に発表した論文の中で、国有企業の株式制企業への転換を中心に、中国において行われている国有資産の再編が民営化への動きではなく、「新公有制」への改編・発展であると主張している。厲以寧氏の定義によれば、「新公有制」企業には4つの形態がある。①少数の特殊業種(例えばガス、電力など)における公有制企業である。それは「政企分離」という前提の上で改造される国家による単独出資か、複数の国家投資機関による共同出資の株式制国有企業である。②国有資本、集団資本、非公有資本などが資本参加する「混合所有制」企業である。この場合は、政府による絶対控股か相対控股かを問わない。③国有資本に依らない公有制企業である。つまり、個人資本、社会団体(組合、商工会)資本、地域集団資本、および公共的な基金(公共投資ファンド、社会保障基金)が資本参加する企業である。これらは、株式制企業をはじめ、董輔礽氏が言う「公衆所有制」企業もこれに当たる。④公益基金が所有する公有制企業である。公益基金の資金源は個人、企業および社会団体の寄贈である。

このような4つの新たな公有制企業の形態を踏まえて、厲以寧氏は、計画経済体制から市場経済体制への移行に当たり、従来の公有制企業は市場経済体制に適応すべく、株式制を通じて「新公有制」企業へと転換すべきであると提言している。厲以寧氏の定義に従えば、上場企業を含めて、西側の株式企業のすべては「新公有制」企業に分類されることになる。

これに対して、公有制を堅持すべきだという立場に立つ一部の「保守的」学者は、「公衆所有制」と「新公有制」の議論が「公」と「私」を混同しており、「公有制」の意味を歪めているものだと批判している。確かに、新公有制を公有制として認めれば、実質上、「公有制か、それとも私有制か」は、もはや社会主義と資本主義を見分ける基準にはならないことを意味する。しかし、これは決して鄧小平が提示した「社会主義の本質論」と「三つの有利論」と矛盾するものではない。もし鄧小平が健在であれば、「公有制(企業)が多いか、それとも私有制(企業)が多いかどうかでは、社会主義と資本主義の本質的な区別にはならない。公有制イコール社会主義ではなく、資本主義にも公有制はある。私有制イコール資本主義ではなく、社会主義にも私有制がある。公有制と私有制はどちらも経済手段である。」と主張するだろう。

現実の問題として、中国経済の中心が着々と公有から私有へとシフトし、「経済基礎」とイデオロギーという「上部構造」の矛盾が顕著になるにつれて、「生産手段の公有制」という建て前を維持することが困難になってきた。政府は、厲氏の提案に沿って公有制の範囲をいっそう広げることを迫られており、最終的には「公有制」を正式に放棄せざるを得ないだろう。1992年の第14回党大会において「計画経済」が正式に「市場経済」に取って代わられてから、「公有制の堅持」が生産力向上の最大の妨げになっているだけに、その放棄は、中国経済の更なる飛躍のきっかけになるに違いない。今年の秋に予定される第17回党大会において、中国はそれに向けた重要な一歩を踏み出すことができるかに注目したい。

2007年1月29日掲載

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